第三章 アリシアは農民娘

1. あなたはきっと三人目だから

 うらぶれた木造の小屋、埃を被った姿見の中に、小柄な少女の姿がありました。


 髪は薄い青色・・。少し傷んだ毛先が触れる肩には、日焼けと泥跳ね除けを兼ねた濃紺のケープを羽織ります。薄手の青いワンピースは、何度も汚れを洗い、ほつれを直した後が残っていました。良く言えば大切に使われている、悪く言えばみすぼらしい、でしょうか。


 はい。私はアリシア・メル・ハーノイマン。これでも言わずと知れた、ハーノイマン王国のお姫様。つい先日十六歳の誕生日を迎え、嫁ぎ先を決めている真っ最中、だったのですが。


「よし、どこからどう見ても農家の小娘。……相変わらずこんなことばかり得意ですね私は」


 せっせと日に焼け泥土を被り、冷水で雑に洗い流した甲斐もありまして。ものの見事に枝毛まみれ、癖っ毛二割り増しくらいになりました青髪を、手漉きながら苦笑します。肌は元より色素が薄いのか、目を凝らさなければ分からない程度にしか焼けませんでしたが。


 自己採点、九十五点と言ったところでしょうか。少なくともこの小娘を見て、まさか王室の直系とは思う者はいないでしょう。我ながらよくも化けたものだと感心します。


 さて、僅かに光が差し込む窓の外では、空が朝焼けに染まり始めていました。そろそろ準備をしなければと、狭い小屋の中を見回していれば、控えめなノックの音に振り返り、


「アリシア様。カリンです。お迎えに上がりました」


 続く言葉に、小さく息を吐きながら、数歩を踏んで静かに扉を開けました。見上げれば相変わらずの仏頂面、薄手の白シャツと擦れた黒ズボンの平民姿なカリンへ、しかし私は、強いて目を眇めてみせます。


「何度も言いますが、私はエリーです。あなたはリンです」

「ですが」

「デモもストライキもありません。いいですね、リン」

「……は。エリー様」

「エリーです」

「え、エリー……、様……ッ!」

「ごめんなさい。私が悪かったです。行き倒れてた所を私が助けた設定を追加しましょうか」


 カリンの、自ら奥歯を砕かんばかりの苦渋を噛み締める表情に、折れました。何なら口の端から一筋の赤色が。主の呼び捨てがまさかそこまで辛いものだとは。しかし始めは姉妹くらいで通そうとしていたのに、どんどん関係が複雑になりますね。思えばノリノリで設定を考えてしまった辺りで一旦冷静になるべきでした。でもちょっと楽しかったのです。


 リン、もといカリンがほっとしたような息を吐いたのも束の間、今度は何やら眉間に僅かなしわを寄せ、私の装いをまじまじと見つめます。な、何か問題がありましたでしょうか? 恐る恐るそう尋ねてみますと、カリンは首を横に振りながら、


「全く無いのが、問題なのです。……奴隷か戦災孤児にさえ見紛うでしょう」

「こ、この国に奴隷制度はありませんよーう? というか、そこまで酷いです今の私?」

「自覚が無いのが最も問題かと」

「ま、まあ日々汗土に塗れ仕事に遊びと駆け回る子供らしいでしょう! そもそも一ヶ月くらい放ったらかしにした土家貴族もといトマスの方がよほど酷い有様ですよ!?」

「腐葉土をベッドに眠れるケダモノをヒトと並べてはなりません」

「そこまでですか!? ヒト扱いすらされませんか我が国最強の一角は!?」


 でも確かに、堆肥とミミズに塗れたまま王宮におすそ分け持ってこれる精神性はどうにかすべきかもしれませんね。控えめに言ってモラルハザードでした。いやまあ私はあまり気にしてないからいいのですけどね? むしろ私も、土草の青臭さに包まれながら畑の畝などで眠るのは、お行儀悪いですが大変心地良く……、


「エリー様……?」

「な、なんでもありませんよーう?」


 さっと目を逸らし視線を泳がせる私に、カリンの眇めた半目がじいぃ……っと突き刺さります。これは言えませんね、気晴らしに土家へ畑いじりに行っていることなど、決して。


 頬に冷や汗流しつつ、私は左のこめかみに差した髪留めを、右手で引き抜いて軽く握り込みました。すると、手の内から淡い光が溢れ、瞬きの間に形を変じます。


 クワ


 紛う事無き、畑を耕すためだけに鍛えられた鉄の刃。


 金魔法により形作られる魔力先込めの農具に、カリンのまじまじとした視線が、


「まだ、使っておられたのですね。随分と昔の物を」

「大切な近衛からの贈り物ですから。肌身離さず身に着けていますよ?」

「……手入れが行き届いて、使い込まれているようですが」

「い、今ではとても手に馴染んでおりまして。手元を離れると落ち着かないのです」

「貴族騎士が自前で用いる魔法具ですら、馴染むまで数年を要するのですが」

「も、もう十年近い付き合いですからね。王家の隠し庭で重宝しておりますとも」

「あそこに畑など無かった気が」

「さ、さあ! 無駄話は置いて、早く出ましょうねリン!」


 やたらと勘の鋭い女騎士の追及を逃れるべく、無理矢理に話を切り上げます。


 鍬を肩に担いで踵を返し、さっさと扉を開け放ちまして。


「今はまさに、国家転覆の危機なのですから!」






 私はエリー、もといアリシア。


 王家の姫にして、戦禍を逃れ、一般農民に身を窶し者。


 ハーノイマン王国は絶賛革命勃発中、無能の私は見事蚊帳の外と相成りました。






 あの王家四皇が後れを取るとも思えないので、あまり心配はしていないのですけれど。


 強いて問題と言えば、視界の端にユリウスとしての私とアリシアとしての私が静かに佇んでいるようになったことでしょうか。コレもしかして今後どんどん増えていく流れですかね。











――――――――――

【AIイラスト】

・アリシア(エリー)

https://kakuyomu.jp/users/hisekirei/news/16818093088067443912






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