6. 一 転 攻 勢

「私には、結婚というものがよく分かりません」

「「「ハイ出たあ――!」」」


 周囲から一斉に上がった声に肩を震わせるカリンを、私は静かに右手を上げて制します。後に微笑みながら手の平を差し出して「続けて?」と言葉もなく先を促します。


 ええ、今度ばかりは感謝しておりますとも。


 私より先に、望んだツッコミを入れてくれた民たちには。


 にわかに逡巡するカリンへ、再び右手を差し出します。ゆっくりでいいので、どうぞ? との意であったのですが、一瞬肩を震わせたのはまた余計な圧が漏れていましたでしょうか。


 とはいえそこはさすがの我が騎士です。覚悟を決めた瞳が私を見据え、少したどたどしいながらも、とつとつと言葉を紡いでいきます。


「言葉の意味は、理解しているつもりなのです」


 それはまるで、答え合わせでもするかのように。


「結婚とは、二人の人間が共に生きると誓うことだと理解しております」

「ええ、私もその通りかと思います」

「互いに力を合わせ、支え合っていくことではないかと」

「はい、とても素敵な考え方ですね」

「片時も傍を離れることなく、生涯の大半を分かち合うものでしょう」

「うーん、少し極端かもしれませんが、そういう在り方もあるかと思います」


 カリンはそこまで語ると、神妙に腕を組み。


 考え込むように、右手を顎に当て。


「今のアリシア様と、私の在り方と、何が違うのでしょうか」

「えっ」


 こてん、と傾げられた顔。


 いつもの涼しい仏頂面に、純粋な疑問を浮かべる黒い瞳。


 問いかけられた言葉の意味に、何故でしょうか、やおら顔が熱く――。


「「「あら~……」」」


 いやあの皆さん!? 今は「そっちかーい!」とかの方が有難いのですが!? ええ分かっておりますとも「そっちかよ」を超えた上で言葉に言い表せない「あらー」なのですよね分かっております! 何せ私もほとんどその状態ですから!


 つまり冷静に状況を整理しますと、私とカリンは結婚済みで違いますそうじゃありません! 冷静に、冷静になりなさいアリシア! 主従です! 姫と騎士です! そりゃあ一緒に居るのが当たり前でもうーん確かにその手の創作では王道的な組み合わせでそうではなくてですね! 混乱の極みに視界がグルグルしている私へ、カリンはさらに、


「十年前にお仕えしたあの日より、私の全てはアリシア様のために在ります」

「はっ、はい!」

「騎士として主君を支えるのは当然のこと、お恥ずかしながら、私もアリシア様のお言葉に、生き様に、その在り方に、何度救われたか数え切れるものではありません」

「そっ、そうでしょうか!?」

「多くの時間を、生涯の半分以上を共に過ごしてきたと、自負しております」

「お、お互いに一桁からの付き合いですものね! いつもお世話になっております!」


 ならば、と。


 カリンは、どこまでも真剣な眼差しで、瞳を細め。


「私にとって、此度の生誕祭は。

 アリシア様の隣を、誰にも譲らぬ戦いと理解して、よろしいのでしょうか」

「ぐうぅ……っ!?」


 よろしいのですか!? よろしいのでしょうかその理解で!? いやあの民の皆さん息を合わせて両腕振り上げて「「「いけ――っ!」」」ではなくてですね!? 一転攻勢です! 先のにわかに匂わせたヘタレ勘違いムーブはどこへやら、今にも押し倒されんばかりの猛攻捕食者ムーブはそもそも私が煽ったのではありませんでしたっけってそうですそれです!


「ねっ、寝るのは!

 家族でもない相手と同衾するのは、夫婦になってからと思いますうっ!」


 咄嗟の、叫びに。


 何故だか、広場が静まり返り。


 何を口走ったのか、自覚する頭に昇った血が顔にまで落ちてきて。


「「「ごふっ」」」

「ああっ!? カリン大変です民たちが唐突に口から鼻から噴血を! な、何か新手の流行り病かもしれません早く救護しなければ! ね!? ね!?」

「……は。今すぐ待機中の騎士に連絡を」


 誤魔化し以外の何物でもない、王族としてみっともないったらない言葉を吐いて、ヘタレきった心が崩れる前に駆け出しました。


「……結婚すれば、アリシア様と同衾」


 神妙な呟きを、きっちりしっかり拾う王族仕込みの地獄耳だけが、とても余計です。






        ◇






 翌朝。


 王宮の隠し庭へ、ユリウスに呼び出されました。


 一人待つ間の手持ち無沙汰を、花壇へ水を撒きながら考えます。要件は、分かっておりますとも、ええ。どう考えても昨日のカリンとの一件ですね。私の失言が一体どう受け取られ尾ひれを付けて広まったのやら、巷ではカリンが私へ婚約を迫っただの、私が生誕祭の結果を前に受け入れただの、そもそも以前からそのような関係にあっただの、裏市では私とカリンの在りもしないアレコレを描いた薄い小説が細い絵巻と共に出回り始めたということで。


「私、悪くないですよね」


 おあしす。


 現実逃避でも責任放棄でもありません。当事者が火消しに動いては事実と認めるようなものでしょう。そもそも私の精神的損傷以外に実害は無いのですから、なる早で諦めた次第です。


「カリンは、どう思っているのでしょうね」


 そんなことを考え、くすりと笑みがこぼれました。どうせいつもの鉄面皮で、平然としているに違いありません。今日がユリウスとの、私の嫁入りを賭けた決戦だとしても、変わらずに。となれば後は私個人の問題です。さて一体どちらを応援すべきなのやらと、


「……そう言えばどちらも女性ですし、図らずも懸念が一つ解消されたのでは?」


 思わぬ僥倖。ハッとした後に、小さく拳を握ります。いや、全然何も解決してないのですけどね。冷静な思考は即座に頭の片隅へと放り投げ、ともあれ心労が一つ消えたことを無邪気に喜べばいいでしょうと、


「――アリシア様!」

「ひゃい!? カ、カリン!?」


 何故ここに!? そもそもここ王族専用の隠し庭……というか私の独り言聞かれてませんよね!? 油断、失態、弁解――そんな言葉ばかりが巡る役立たずの頭は、


「……何か、あったのですね?」


 跪き、顔を上げるカリンの。


 いつになく真剣な面持ちに、即座に平静を取り戻しました。


「は。報告いた――」


 カリンの言葉が、紡がれる前に掻き消されます。


 爆発音。


 遠く、空を震わせた衝撃に、鳥たちが驚き飛び去ります。


 続いたのは、小さな爆発を圧縮したような、乾いた破裂音の連鎖。


 咄嗟にと、私を抱き締め庇ってくれていたカリンの、見下ろす黒い瞳が鋭く細められ。


「革命です」






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