愛別離苦
月が真上に来るころ、月読命はやっと現れた。いつもより神気は少なく、顔色は悪く感じられる。
「このごろ、この姿になるのも一苦労だ。さて、橡、来たな。」
橡は、月読命の女性姿を見てすぐに頭を下げた。月読命の驚く様子を意に介さず、口を開く。
「先日は、無礼な口を聞いて申し訳ありませんでした!」
月読命が黙ってしまったので、橡は怒鳴られることを覚悟して体を硬くした。しかし、それは杞憂に終わる。
「なんのことだ?無礼なことをされた覚えがないから謝られる言われもない、顔を上げよ。」
橡は唖然として頭を上げ、月読命を凝視する。驚きすぎて声も出ていない。驚いた顔がよほど面白かったのか、紫苑がぷっと吹き出した。そして、橡に囁く。
「つまり、だ、月の君は、お前を、見逃して、くれっるってこと、ごめん、やっぱっ無理、耐えられなっあはははははっ。」
笑いながらのせいでとても聞き取りずらかった上に、最終的に耳元で大声で笑われ始めたので、橡は顔を顰めた。
「耳が痛いです。離れてくださいませんか?」
紫苑は笑いながら、途切れ途切れに謝りつつ橡から離れた。と、ふふっという笑い声が聞こえて、二人はパッと周囲を見渡した。すると、なんと月読命が笑っていた。紫苑も驚いて笑いが止まる。
「笑った…?」
月読命が笑うなんてことは彼らの中では前代未聞のことなので、無礼を承知ながらじっと月読命を見てしまった。月読命はしばらくしてからその視線に気づき、パッといつもの少し笑ったような、無表情のような顔に戻る。
「さて、あれの話をすると言ったね。橡はもう知っているだろうが、あれの正体は妖異だ。橡が生まれてから少ししたらすぐに入れ替わった。おそらく、舞える者を待っていたのだろうな。これから、あれが生まれた経緯を語ろう。そう、人間がまだ、朝廷を開いたかどうかの頃だー 人間は毎日、日を見ては明るいと褒め称え、月を見ては美しいと詩に読んだ。新月の夜、眠れぬ者は皆星を見て、その光を子守唄に眠った。自然が毎日の糧だった。
それを妬んだのが、闇だった。闇は忌避すべきものとされていた。古今東西、闇とは忌避すべきものだと本能が教える。闇は、誰一人として褒め称えない。詩に読まれても、月との対比。禍々しいものの例え。闇は見向きもされない、輝くものの前では。
ー輝かなければいけないのか。
ー輝かなければ、見向きもされないのか。
ーなぜ我が身は輝かぬのか。
ー輝くものが妬ましい。
ー輝くものが恨めしい。
闇は、負の感情を募らせていった。
闇には、力があった。日や月には及ばぬものの、闇に属する生き物を創ることならできた。闇は、負の感情をそのまま力に注ぎ込んだ。
ーあぁ、妬ましい。
ー日と月をどうにか曇らせられぬものか。
ー我に属するものに変えられぬものか。
ーそうだ、私の僕にやらせてしまおう。
ー日と月を曇らせてしまえ。
ー妖気を注ぎこめ。
ー我の望みを叶えよ。雅客。私の
雅客は、闇の力を、負の感情を長い間注ぎ込まれたおかげでかなり強い力を持った。多くの妖を産んだ。まずは月から、と何度も月への強襲を試みたが、それは叶わず。叶わないならば、と何かを媒介にして妖気を少しずつ送り届けることにした。それを知った月は、誰かに助けを求めた。それが、橡の祖先だ。橡の祖先は月に協力して、舞を以て夜の間、場を浄化した。月は、それに応えて明るく輝いた。その光と浄化の力によって、雅客は大きく力を削がれた。そして、雅客はしばらく身を潜めた。何か、媒介にしても良い、力が濃いものが現れるまで。
ーそれが、橡だ。久しぶりに力が大きなものが生まれた。媒介にして、妖気を送り届けるのに十分な力を持つ者。万が一ばれたとしても大丈夫なように、情を移させるように、父として育てた。ばれにくいように、人里から離して。」
橡は愕然として雅客の顔を思い浮かべた。厳しくていつもむっつりとしているが、橡は今までそれが全て優しさだと思い込んできたのだ。人里から離れているのは、月の舞を清浄な地で舞うためだと。しかし、それは全て橡の思い込みだったのだ。橡は顔を両手で覆った。そうでもしないと、何かがこぼれ出していきそうだった。
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