異人来訪

 滝行の途中、橡は視線を感じて神経を研ぎ澄ませた。滝の音がわずかに遠のき、生き物の気配が多く感じられる。近くに、野生のものではない気配がひとつあった。

(北西、ここから十秒あれば行ける程度のところ…背丈は低い…子供?こんな山奥に子供がいるなんて。どなたでしょう?)

しばらく放っていたが、声もかけずにいつまでもじっと見ているので、橡は次第に不審になってきた。

(興味本位、と言うところでしょうか?そもそも、父上に追い返されないのはなぜでしょう?それとも、父上にばれないようにこっそりと?許可は取れないはずですし…)

疑問は深まるばかりで、それどころか考えれば考えるほど新たに疑問が湧いて出てくるのであった。面倒くさくなってしまったので、橡は考えるのをやめた。滝行の時間が終わるまで、立ち上がりたいのを必死で堪える。修行はきちんとしておかないと、体が鈍ってしまう。

 しばらくして、滝行の時間が終わっても子供はいた。橡は上着を羽織ると、走って子供の元へ向かった。子供はぎょっとしたように走り出したが、普段からこの山を走り回っている橡には敵わず、すぐに追いつかれてしまう。

「待ってください。どうして私を見ていたのですか?」

いきなり本題に入られて、子供は思わず目を瞬かせた。かなり整った顔立ちだ。その反応に何を思ったか、橡はさらに質問を重ねる。

「それと、名前を教えていただいても?いえ、あなたは…」

子供は、はぁぁ、とかなり深いため息をついた。警戒心が全くない橡に呆れているのだ。それでも何も言わず、答えを待っているのを見て渋々、と言うように子供は口を開いた。

「お前は橡だろ?俺は紫苑。覚えているか?」

逆に質問されたので混乱し、橡は丁寧に答えてしまった。父以外とあまり触れ合ったことのない弊害だろうか。

「はい、大体は。すみません、今は瑠璃とお呼びください。」

紫苑はそうか、と頷いて踵を返そうとした。早く家に帰らなければならないらしく、早足である。しかし二つ目の質問に答えていないので、橡がその服の裾を掴んでもう一度質問した。

「二つ目の質問に答えてもらっていません。もう一度聞きますが、どうして私を見ていたのですか?」

紫苑は服の裾を掴まれてしまって進めないので、逃げようにも逃げられず橡の方に向き直った。

「どうしてお前を見てたのかって、そりゃ当然お前が舞ってるところ見たからだよ。悪いか!」

紫苑は見ていることを、やけになったのか堂々と宣言するが、紫黄は困ったように首を傾げた。もちろん服の裾は離していない。

「私の舞を見たら、なぜその後も私を見ることになるのですか?」

紫苑は目を逸らしつつ、だって、と口の中でつぶやいた。それきり黙ろうとするが、橡の純粋な疑問の目を見て気まずそうに口を開く。

「だって…月の下で…だったから…と、思ったし…手足が妙に細っこいし…」

声が小さすぎてよく聞き取れず、橡は首を傾げた。言葉が繋がっていないせいで意味がわからない文になっている。紫苑はしばらく橡と目を合わせて黙っていたが、観念したように再び口を開いた。

「月の下で、神秘的だったから天女だと思ったし、手足が妙に細っこいから大丈夫かと思ったって言ったんだよ!」

予想外の言葉に、橡は目を丸くした。神秘的と言われても、すぐには理解できなかった。言葉の意味はわかるのだが、自分が言われたことがないのでよくわからない、と言ったほうが近いだろう。沈黙が訪れる。静かになった瞬間に滝の音が聞こえてきたので、橡は顔を青くした。今日の稽古はまだまだ残っている上に、さぼってしまったのだと気づいてしまった。

「ごめんなさい。この後も稽古があるので、また今度会えたら、会いましょう。さようなら。」

後にあるのは父に教えてもらうものばかりなので、橡はできるだけ速く走って向かった。教えてもらっているのに、待たせてしまっては申し訳ない。

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