闇を切り裂く、光の雫

華幸 まほろ

純真無垢

 白い腕がぼんやりと浮かび上がる。心地よい薄暗がりの中で、黒髪の少女は笑って振り返った。その笑顔が向けられているのは、顔が陰になって見えない二つの影だ。体格からして少年と男が一人ずつ、だろうか。少女はそのまま小走りに駆け寄った。

「…、…。…。」

何やら話しているようだ。二人とも、何度も頷きつつその話を聞いている。やがて、促されて、少女は扇を手に取って舞い始めた。力強く、洗練されているその舞は二人の視線をだんだんと奪っていく。舞い終わったとき、二人は少女の頭を撫でた。少女は照れて笑い、二人はその姿に穏やかに笑った。

 丑三つ時、少女が舞っていた。その姿は薄布で包まれたような月の光に照らされてぼうっと浮かび上がる。その動きは洗練されていて美しく、さながら天女のようだった。衣から垣間見えるその手足は細く、枝のようだ。その者ーつるばみは舞を止めずに、眉を顰めた。いつの間にか妖気が漂っている。舞に集中していたせいで気づかなかったようだ。

(最近妖気が漂うことが多くなってきたような気が…私の力不足でしょうか?)

密かに唇をかむ。橡が舞っている間、本当ならば妖気が漂うことはないはずだった。清めの舞だからだ。しかし、ここ一月は、わずかではあるが妖気が漂うようになった。橡の力不足としか思えなかった。橡はそっと空を見上げた。今日は満月だ。その満月が妙に禍々しく思えて、橡は心の中で首を振った。

(だめじゃない、こんなこと考えていたら。神聖な場なのに。)

ガサッと音がして、橡はぴくりと反応した。舞をやめる訳には行かないので、横目で音がした方を見るが、誰もいない。

(妖…?)

その菫色の瞳に映るのは、暗闇がばかりだった。いつの間にか妖気も消えており、平穏な時が戻ってきたように思えた。

 その後、何かが起こるわけでもなく朝日がのぼってきたので、手を下ろして御神体の方を向いた。ゆっくりと座り、礼をする。顔を上げて立ち上がり、後ろ向きのまま少し歩いてから階段までゆっくりと歩いていく。階段から降りた瞬間、ひどく体が疲れているのが分かった。

(寝ないと…あと二刻もすれば修行だから…)

重い体を引きずり、部屋までやっとの思いで歩いて行く。衣装も着替えなくてはならない。緩慢な動きで着物に着替え、橡はパタリと布団に倒れ込んだ。

 二刻経ち、橡はふと目を覚ました。この習慣はもう橡の体に刻み込まれており、起きたくなくとも起きなくてはならない。むくりと起き上がり、修行用の服に着替える。その服はもうボロボロで、何度洗っても落ちない汚れが染み付いている。橡は朝食をとるために本堂へと走った。すでに用意はされているはずだ。

「おはようございます、父上。」

部屋に入り、精進料理の乗っている方のちゃぶ台の方へと歩く。今日はたくさん採れたのか、みずみずしい蓮根がたくさん入っている。昔から彼は、採ってすぐのものを使っていた。

「ん。今日は蓮根が採れた。とっとと食え。残すなよ。」

顔も上げずに呟くようにいう雅客がかくに心の中で苦笑しつつ、橡は座った。ゆっくりと手を合わせる。雅客の皿をこっそりと見ると、雉かなにかの肉がちらりと見えた。野良作業をするには精進料理では少なすぎるのだ。

「はい。いただきます。」

たたき蓮根の酢の物へと箸を運ぶ。シャキシャキという食感は、何回味わっても飽きることはない。しばらくはかちゃかちゃと食器の触れ合う音だけが響いた。

「走り込み、滝行、舞の稽古、読み書きのおさらいが今日の稽古内容だ。食い終わったらさっさと行け。」

今日の稽古内容をただ伝えてくる雅客に、橡は頷いた。機械的なやり取りだが、それでも声をかけてくれることに橡は少しだけ口元を緩めた。

「はい。ごちそうさまでした。では、行ってまいります。」

ん、と呟く雅客を横目に見つつ、橡は戸を開けた。低い位置にある太陽が目をさす。橡は、一度大きく息を吸った後に駆け出した。

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