第三章

第1話:深夜の密談

 聖暦1015年6月1日23時50分。

 ホロウが『闇の大貴族』ヴァランを仕留めたその日の夜遅く――ハイゼンベルク家の屋敷に豪奢ごうしゃな馬車が停まる。

 立派な客室から姿を現したのは、ダフネス・フォン・ハイゼンベルクとレイラ・トア・ハイゼンベルクだ。


「ふぅ……やっと帰れたな……」


「ふわぁ……もうすぐにでも眠れそう……」


 地面に降り立ったダフネスとレイラの顔には、疲労の色がありありと浮かんでいる。

 それもそのはず、二人はここしばらく王都の別宅に拠点を移し、ひたすら公務に励んでいたのだ。

 国王の容態が優れないことから、崩御ほうぎょ後の国葬こくそう王選おうせんの下準備・王族との懇親会などなど……。重要事項についての調整や会談が連続し、ほとんど休む間もなかった。


 いくらか体重の痩せたダフネスが、屋敷の扉を押し開けると同時、


「「「――おかえりなさいませ」」」


 使用人一同が深々と腰を折った。

 先んじて<交信コール>を飛ばし、帰りの時間を伝えていたため、出迎えの準備は万端だ。


「オルヴィン、留守中に問題は?」


「はい、問題は・・・ございません・・・・・・


 執事長のどこか『含み』のある言い回しにわずかな違和感を覚えたが……。


「ならばよい」


 既に疲労困憊のダフネスは、深掘りせずに流した。


「ダフネス、私はもう寝る準備しちゃうわ」


「おやすみ、レイラ。ちゃんと温かくして寝るんだぞ?」


「おやすみなさい。あなたも、あまり無理はしないでね?」


「ふふっ、ありがとう」


 最愛の妻から声援を受け、ダフネスの気力がグッと回復した。


 その後、彼は執務室に籠って、山積みの書類と対面する。


「……よし、やるか」


 先ほどまで手掛けていたのは、『四大貴族としての仕事』。

 これから着手するのは、『領主としての仕事』だ。

 留守中にあがっていた報告書へ目を通し、領民からの陳述書をきちんと読み込み、決裁の印をドカドカと押していく。


 そうして時計の針が深夜二時を回る頃、ようやく一区切りがついた。


「ん、んー……っ」


 今日はここまでにして、風呂でも入ろうかと思ったそのとき――コンコンコンとノックが鳴る。


「オルヴィンです」


「入れ」


「失礼します」


 音もなく扉が開き、執事長が入ってきた。


「旦那様、今お手すきでしょうか?」


「あぁ、ちょうど一区切りついたところだ」


「実は御報告したいことがございます」


「今日は少し疲れた、手短にしてくれ」


 ダフネスはそう言いながら、両の目頭めがしらを親指と人差し指でギュッと押さえた。

 疲労と睡魔が交互に襲ってきており、さすがの彼もそろそろ限界のようだ。


 オルヴィンは「では端的に」と前置きし、極めて簡潔な報告を口にする。


「――本日、坊ちゃまがヴァラン辺境伯を始末しました」


「……はっ……?」


 第一報を受けたダフネスの口から、なんとも間抜けな声が零れる。


「……すまん、私の聞き間違えかもしれん。もう一度、言ってくれないか?」


「本日、坊ちゃまがヴァラン辺境伯を始末しました」


 執事長の口から全く同じ言葉が繰り返され、ダフネスはたまらず立ち上がった。


「ば……馬鹿な!? なんの下準備もなく、『王国の好々爺こうこうや』を手に掛けたというのかッ!?」


 ヴァランは熱心に慈善事業を行うことで、国民から絶大な人気を獲得し、それを『人の鎧』としている。

 彼の『裏の顔』を――その悪事をあばかないまま殺せば、暴走した民意がハイゼンベルクに向けられ、途轍もなく厄介な事態を招く。


 ダフネスは『ホロウがきちんとした手順を踏まず、ヴァランの暗殺を強行してしまった』、このように理解したのだ。


 無理もない。

 ヴァランの隠蔽工作は王国随一であり、ハイゼンベルク家の諜報部隊が長期にわたって調べ尽くしても、尻尾一つ掴めなかったのだから。


 大きく取り乱すダフネスに対し、老執事は落ち着き払った様子で応じる。


「御心配には及びません。坊ちゃまは、旦那様の御指示通り、『適切に』始末しました」


「どういうことだ!? わかるように説明しろ!」


「まずはこちらをご覧ください」


 オルヴィンはそう言って、とある『リスト』を提出する。


「な、なんだ……これ・・は……ッ」


「ヴァラン辺境伯の関与した悪事をリスト化したものです。大魔教団への金銭的支援・帝国への情報流出・極秘のクーデター計画などなど、時系列順に証拠付きでまとめております」


 手元のリストには、ダフネスが長年ずっと探し求めていた情報が、これでもかというほどに記されていた。

 これさえあれば、すぐにでもヴァランの暗殺に踏み切ることができる。


「こんなモノ、いったいどうやって……っ。いやその前に――ヴァランを討ち取ったのなら、何故すぐに報告しなかった!?」


「ホロウ様の御指示です」


「ホロウの……?」


「坊ちゃまは、旦那様が公務で疲れていることを憂慮ゆうりょされておられました。『こんな些事さじで、父の休みをさまたげるわけにはいかん。明日の朝にでも報告へあがるので、頃合いを見て第一報を伝えておいてくれ』、こう仰られました」


「こ、こんな・・・……些事・・、だと……?」


 ダフネスの口がポカンと開いた。


「どうやら此度こたびの『無理難題』、坊ちゃまにとってはいささか簡単過ぎたようです。実際にこれらの証拠は全て、三日と経たずに集まりました」


「……みっか……」


 あまりの衝撃にフッと気持ちが抜け、そのままどっかりと椅子に座り込んだ。

 天井を見つめたまましばらく停止し、やがてゆっくりと再起動を果たす。


「本当に……ホロウがこれ・・をやったのか……?」


「はい、見事な立ち回りでした。旦那様から仕事を受けてすぐ、トーマス伯爵へ根回しを行い、奴隷商グリモアをめ、裏カジノで最高幹部から情報を引き出し――全ての逃げ道を塞いだうえで、魔人化したヴァラン辺境伯を捕縛。まるでチェスのような詰め具合……天晴あっぱれというほかありません」


 その瞬間、ダフネスは再び目を見開いた。


「おいちょっと待て……『魔人化』だと!? ホロウは無事なのか!?」


 特殊な禁呪や魔王因子を悪用して、人を超えた力を手にする――それが魔人化。

 大魔教団が特に熱を入れている分野であり、これまでに三体の『成功例』が目撃され、いずれも絶大な被害をもたらした。

 魔神の『超人的な膂力』と『圧倒的な大魔力』は、十五歳の学生がどうこうできるようなモノじゃない。


「私が見たところ、坊ちゃまにはかすり傷一つありませんでした。魔力も充実しておられるようですし、おそらくは軽く一蹴いっしゅうされたのでしょう」


「……魔人化した剣聖を、か……?」


「あの御方ならば、造作もないことかと」


 オルヴィンは、『ホロウこそが次代の王になる』と確信している。

 魔人を無傷で仕留めたことに驚きこそすれど、『あの・・ホロウ様ならば、何をしてもおかしくない』とすぐに納得した。


「……なる、ほど……」


 コトの顛末てんまつを聞いたダフネスは、椅子に深く座り直し――両の手のひらで顔を覆う。


(……なんということだ……)


『適切に』始末しろと命じたところ、『完璧に・・・』始末してきた。

 ヴァランのまとう『人の鎧』を全て剥ぎ取ったうえ、生きたまま始末ほばくするという『離れ業』。

 絶対に達成不可能な無理難題を出し、若いうちに挫折を味わってもらおうとした結果――満点解答どころか、『120点の答え』を返してきた。


 それも、僅か二週間という異次元の速度で。


(……ふふっ、凄いじゃないか。やはり私とレイラの子だな……)


 口角こうかくがニンマリと吊り上がり、心の中で『親馬鹿』が炸裂したそのとき、オルヴィンがコホンと咳払いをする。


「それからもう一つ、お耳に入れておきたいことが」


「なんだ。……もう何を聞かされても、これ以上は驚かんぞ?」


「おそらくなのですが……坊ちゃまは本件をこなす過程で、『別の目的』も果たしておられるかと」


 オルヴィンは多くを語らず、とある記事を示した。


「ほぅ……準備がいいな、ヴァラン討伐の号外記事か。――むっ、この女は誰だ?」


 ダフネスの顔が怪訝けげんに歪む。

 てっきり息子の顔写真でも載っているのかと思えば、見知らぬ女聖騎士が大きく取り上げられていたからだ。


「彼女はエリザ・ローレンス、『若手聖騎士のホープ』だそうです。実のところ、エリザ様はヴァラン辺境伯の討伐にほとんど関与しておりません」


「……なにぃ? せっかくホロウが功を立てたというのに、うちの記者どもは何をやっておるのだっ! すぐに書き直させろッ!」


 ダフネスは力強く机を叩き、露骨に不満をていした。

 自慢の息子が凄まじい功績を打ち立てたというのに、どこぞの馬の骨が手柄を横取りするとはなんたることか、と激しくいきどおったのだ。

 彼は不器用でひねくれているが、ホロウのことを誰よりも深く愛している。その愛情たるや、レイラに勝るとも劣らない。


 主人の怒りを受けたオルヴィンはしかし、冷静に答えを返す。


「こちらの記事は、ホロウ様の御指示のもとに書かれたものです」


「……はぁ……?」


 もうわけがわからなかった。


「旦那様がこの仕事をお与えになられてすぐ、坊ちゃまは『エリザ・ローレンスの顔写真を用意しろ』と私に命じられました」


「いや、なんのために……?」


「私も最初は同じ気持ちでした。しかし全てが終わった後、改めてこの記事を読んだとき、あの御方の『深き考え』を知ることができたのです」


「ホロウの……考え……」


 ダフネスは手元の記事に視線を落とし、そのまましばらく黙読を続け――やがて「ハッ」と息を呑む。


「あやつ、まさか……聖騎士協会を!?」


 疲労と睡魔で鈍っているとはいえ、ダフネスブレインは凄まじい性能を誇る。

 すぐさまホロウの『狙い』に気付いた。


「はい。おそらく坊ちゃまは、エリザ様を『偽りの英雄』に仕立てあげ、聖騎士協会を間接的に支配されるおつもりなのでしょう。その第一歩として、王都支部を落とすつもりかと」


「だがあそこには、厄介な三人の重役がいる。あやつらが居座る限り、この娘が上に立つことはない」


 聖騎士協会の腐敗は民衆にも取り沙汰されるほどであり、特に王都支部の上層部は「終わっている」と評判だ。


「私もその点を懸念したのですが……『万事問題ない』と笑っておられました。あの・・坊ちゃまのことです。既に何か手を打っているのでしょう」


「つまりなんだ、私の提示した無理難題を――ヴァランを仕留めるついでに、聖騎士協会を支配下に置いた、と?」


「果たしてどちらが・・・・ついで・・・だった・・・のか・・、私にはわかりかねますが……そのようなご理解で正しいかと」


 ヴァランを始末する過程で、そのついでに聖騎士協会を懐柔したのか。

 聖騎士協会を懐柔する計画があり、そのついでにヴァランを仕留めたのか。

 それはホロウのみが知るところだ。


 当然ながら、ヴァランの始末と聖騎士協会の懐柔、どちらも『ついで』にこなせるようなモノではない。

 年単位の時間を投じて、綿密な計画を立てて、慎重に慎重を期して――ようやく成せるかどうかという難事なんじ


 しかしホロウは、その二つをこともなげに成し遂げた。


 それも、たったの三日というふざけた期間で。


「……ふぅー……」


 ダフネスは椅子に背中を預け、長く深く大きな息を吐く。


(私に……こんな芸当ができるだろうか?)


 改めて問うまでもなく――答えは『No』だ。

 このようなことができるのは、ホロウをおいて他にない。


 ダフネスはぼんやりと天井を見つめながら、本音をポツリと零す。


「……どうやら私の代は、あまり長く続かんらしい」


 早期の当主交代を示唆しさする、自虐じぎゃくめいた呟きに対し、


「この老いぼれの口からはなんとも」


 オルヴィンは苦笑しながら、肩を揺らすのだった。

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