エピローグ
「その仮面……貴様、ボイドだな?(謎の組織『
ゾーヴァが警戒を強める中、ニアは
(あの仮面、私の『熱探知』にまったく引っ掛からなかった。まるで瞬間移動でもしたかのよう……。これって、もしかして……っ)
脳裏を
(いや、あり得ない。
その圧倒的な力は、この身を以って嫌というほどに味わった。
しかも今のゾーヴァは、子どもたちから莫大な魔力供給を受けており、その力はもはや単騎で『国家戦力』に数えられるほどのものだ。
しかし……何故だろう。
あの仮面の負ける姿が、まるで想像できなかった。
「ボイドよ、いったい何用かは知らぬが……。せっかくの良き夜に水を差さんでほしいな」
ゾーヴァが人差し指を軽く振れば、大木のような
外部から魔力の供給を受けることで、魔法の威力・規模・構築速度、全てがデタラメに向上している。
分厚い鉄板を
「……むっ?」
眉根を
「――<
極大の氷槍を
対するボイドは、防御も回避もしない。
ただそこに立っているだけ。
それだけで、氷の槍は消滅した。
「なっ、なんだと……!?」
ゾーヴァが大きな動揺を見せる中、
「……」
ボイドは沈黙を守ったまま、ゆっくりと歩き始める。
カッ。
カッ。
カッ。
革靴が氷の大地を叩く音だけが、規則的に鳴り響く。
静かだった。
「食らえぃ――<
戦いと呼ぶには、あまりにも静か過ぎた。
「ぐっ、これなら――<
激しい
「な、何故だ……<
大魔法の衝突も。
「はぁはぁ、<
知を競う謀略も。
「こ、の……<
ここには何もない。
哀れな道化が、独り芝居を演じるのみ。
「な、なんだ……何が起きている……!?」
ボイドは優雅に歩くだけ。
ただそれだけで、ゾーヴァの放つ大魔法は消えていく。
(奴の固有はいったい……!?)
三百年の
……いや、そんなことをせずとも、本当はもうわかっている。
否定したかった。
認めたくなかった。
しかし、こんな芸当が可能な固有は、もはや
「まさか……<虚空>?」
自らの描いた理想にして、三百年と渇望した夢、それが『最強の固有魔法』<虚空>だ。
<原初の炎>と<原初の氷>、臨界まで高めた二つの因子を融合し、現代に<虚空>を蘇らせる――これがゾーヴァの掲げる悲願だった。
彼は虚空の因子を手にするため、ただそれだけのために生きてきた。
そして今日、ようやく全てのピースが揃った。
それなのに……自身の夢を体現する者が、突如として目の前に現れた。
その事実は、とても許容できるものではなく……。
「ふ、ふ……ふざけるなぁああああああああ!
しかし、届かない。
<原初の氷>が通じない――のではない。
雪の刃も、氷の槍も、巨大な氷塊も、全て虚空に呑まれて消えていく。
ボイドの前には、あらゆる攻撃が平等に『無』となる。
まさに『超越者』、目の前の仮面は
「ぅ、ぐ……ぉ、ぉ、ぉ……っ」
狂おしいほどの苛立ちを抱えたゾーヴァは、その白髪をぐしゃぐしゃに
(『厄災』ゼノの<虚空>は、万物を滅ぼす破滅の力……。信じられぬことだが、決して許されぬことだが、ボイドはそれを完璧に掌握している……ッ)
彼我の実力差は歴然。
ボイドとの戦闘は、自殺に等しい行為だ。
実際にゾーヴァの生存本能が告げている。
今すぐ逃げろ、と。
(しかし、ここまで来て……っ。やっと全てが揃ったというのに……ッ)
そうして頭を抱えている間にも、ボイドの歩みは止まることなく、両者の距離はもはや5メートルに迫っていた。
「くっ……<
苦渋の決断を下したゾーヴァは、濃密な雪の煙幕を張り――無様に逃げ出した。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ(くそ、くそくそくそ……! なんなのだ、あの仮面は!? あんな化物が、今までどこに潜んでいたというのだッ!?)
敵に背を向け、必死に足を動かし、緊急用の隠し通路へ逃げ込もうとしたそのとき、
「な゛っ!?」
突如ガクンとバランスを崩し、みっともなく氷の地面を転がった。
見れば、ゾーヴァの右脚の膝から下が綺麗に無くなっている。虚空の彼方に消し飛ばされてしまったのだ。
欠損した部位から鮮血が溢れ出し、一拍遅れて凄まじい激痛が脳を焼く。
「ぁ、ぐ……がぁああああああああ……!?」
赤い
「足が、儂の……足、儂、の……っ」
小さくなった大翁を見下ろす形で、ボイドが立つ。
「――失望したぞ、ゾーヴァ」
背筋の凍る冷たい声が響いた。
(正直、もっと強いと思っていた。ボクはこんな雑魚っぱのことで、今日一日ずっと思い悩んでいたのか? まったく……笑い話にもならないな)
無言のままに右手を伸ばし、とどめを刺そうとしたそのとき、
(いや、待てよ……。確かこのとき原作ロンゾルキアでは、
エインズワース家の地下は、蟻の巣のように入り組んだ構造をしており、そこかしこにゾーヴァの実験室がある。
(ふむ……)
ボイドの脳裏をよぎるのは、美麗なCGで描かれた『とあるイベントシーン』。
【ニアを悲しませる部屋なんて、この世界には必要ない……! こんなくだらない施設、ボクが全部壊してやるッ!】
『勇者の力』に目覚めた主人公は、ゾーヴァの実験施設を破壊しまくっていた。
大翁が作中随一の『胸糞キャラ』ということもあり、この場面はロンゾルキアでも屈指の名シーンと言われている。
(メインルートとのブレは、出来る限り少ない方がいい……。別にゾーヴァの施設を残す意味もないし、ストレス発散がてら派手に壊させてもらおう)
ボイドは邪悪な笑みを浮かべ、漆黒の大魔力を解き放った。
それは『融合の間』を飛び出し、エインズワースの領地を超え、王都全体を包み込む。
(こ、こんな魔力……個人が保有していいものじゃない……っ)
ニアは小さく頭を横へ振り、
(……怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……ッ)
アレンは生物的本能に身を縮め、
(あ、あり得ん……。これではもはや、『厄災』ゼノそのものではないか……っ)
ゾーヴァは驚愕に目を見開く。
次の瞬間、100を超える『漆黒の球体』が出現し、
「――<虚空
『虚空の引力』を帯びた巨大な球体は、超高速で縦横無尽に動き回り、文字通り
耳をつんざく轟音が、腹の底に響く破砕音が響き渡り、地下に広がるゾーヴァの実験室や研究室や資料室が――あっという間に虚空へ消えた。
それはまさに天災、キャンバスに黒を落とすが如く、森羅万象を『無』で塗り潰して行く。
「や、やめろぉおおおおおおおお……やめてくれぇええええええええ……ッ!!!」
大翁の痛々しい
それも無理のない話だろう。
三百年と懸けて築き上げた自分の城が、突如現れた
しかしこれは、文字通りの『因果応報』。
ゾーヴァはニアの力を悪用し、病に
今まで
「わ、儂の夢が……三百年の結晶が……っ」
ボロボロと大粒の涙を零すゾーヴァ。
それを目にしたボイドは――
「ふ、ははっ……ふはははははははは……ッ!」
嘲笑を止めることができなかった。
腹の奥底から、『黒い快感』が
極悪貴族ホロウ・フォン・ハイゼンベルク、彼の抱える悪性が、これでもかというほどに噴き上がった。
「あぁ、何故……どうして、こんなことに………っ」
ゾーヴァが無念に打ちひしがれる中、ニアはかつてないほどの開放感を噛み締める。
「……っ」
長年にわたり、ずっと自分を縛り続けてきた
それが粉々に破壊されていく様は、どうしようもなく『爽快』だった。
「ふぅ……」
モノの十秒と経たずに破壊の限りを尽くしたボイドは、どこかスッキリとした様子で息をつく。
一方――夢の最期を無理矢理に見届けさせられたゾーヴァは、憎悪の炎を
「……なんなのだ、貴様は……っ。いったい何が目的だ!? その力、どこで手に入れた!?」
ボイドは何も答えず、スッと右手を前に伸ばす。
仮面の
(な、なんという眼だ……っ)
それは自分を見ていない。
そこには一切の感情が籠っていない。
まるで地を這う虫を見下ろしているかのよう。
本能で理解した、「この男に命乞いは通じない」と。
ゾーヴァはせわしなく周囲に目をやり、なんとか生き残る可能性を探す。
そして――ほんの僅かな光を見つけた。
「に、ニア……! 私が悪かった、これまでのことは謝る、この通りだ! だから頼む、助けてくれぇ……っ」
なんの
これこそがゾーヴァの生き方だ。
自身が劣勢に置かれれば、どんなものでも利用する。
恥も外聞もなく、ただただ生きることに憑りつかれた、救いようのない邪悪な亡霊。
ニアの目は――哀れなモノを見るように
そしてボイドは右手をかざし、
「――さようなら、ゾーヴァ・レ・エインズワース」
「や、やめろ! 儂はまだ、死にたくな――」
虚空が全てを呑み込んだ。
三百年と生き永らえた亡霊、その最期は酷くあっけないものだった。
「……次元が、違う……っ」
アレンの口から零れたのは絶望。
自分と仮面の間には、あまりにも……あまりにも大きな
敵か味方か。
異様な緊張感に包まれる中、謎の仮面は虚空の彼方に消えていった。
■
その日の深夜遅く、エインズワース家の屋敷にて。
お風呂で疲れを洗い流したニアが、薄いネグリジェとレースの
そこから姿を現したのは、先ほど圧倒的な力を見せ付けた謎の仮面だ。
「乙女の寝室になんの用かしら……
謎の男がフードを脱ぎ、仮面を取り去るとそこには、
「口止めに来た」
「まぁ、そうでしょうね」
この展開を予想していたのか、ニアは落ち着き払った様子だ。
「わかっていると思うが、俺の正体と<虚空>については他言無用だ。もしも言い触らすようならば――」
「――煮るなり焼くなり好きにしてちょうだい。でも、私はそんな恩知らずじゃないわ」
「そうか、ならいい」
「……随分あっさり信用してくれるのね。<
「人を見る目には自信がある。お前は嘘をつくような女じゃない」
「ふ、ふーん……そんな風に思っててくれたんだ……っ」
ニアは視線を逸らし、その細い指でクルクルと金髪を
この行動は、彼女が照れ隠しの際によく見られるものだ。
(原作ニアは、絶対に約束を守るキャラだった。彼女の言葉は信用できる)
とあるルートで敵に捕まり、捕虜となって厳しい尋問を受けた時も、ニアは決して主人公サイドの情報を吐かなかった。
彼女の口の硬さは作中でもトップクラス、ここから情報が洩れることはあり得ない。
(まぁそれに、<契約>は強力な縛りだけど、解く方法がないわけじゃないしね)
下手に魔法で縛るよりも、信頼という鎖に
ホロウは合理的に、そう判断したのだ。
「ねぇホロウ、どうして――」
ニアが『とある疑問』を口にしようとしたそのとき、
「――動くな」
摸擬戦のときと、全く同じ命令が下る。
あのときは、恐怖のあまり動けなかった。
しかし、今は違う。
自然と受け入れられた。
あのときの恐怖は、もうどこにもなかった。
ホロウの大きな手が両肩に回され、真紅の瞳がゆっくりと近付いてくる。
(……綺麗)
夕焼けのような、炎のような、吸い込まれるような瞳。
ニアは静かに目を閉じ、ホロウに
一方のホロウは、ニアの瞳の奥をジッと見据える。
(確かこの辺りに……っと、
彼女の瞳の奥に、
因子改造手術によって埋め込まれたこれが、<原初の炎>の力を
(周囲の神経組織を傷付けないよう、超々極小の虚空を展開して……これでよしっと)
大翁の魔法因子を消し飛ばし、『アフターフォロー』を終えたホロウは、
「もういいぞ」
停止命令を解き、あっさりとニアを解放する。
「えっ……
どこか物寂しそうな彼女に対し、
「何をだ?」
ホロウは不思議そうに小首を傾げた。
「も、もぅ……なんでもないわよ……っ(こ、これじゃなんか、私が期待してたみたいじゃない……っ)」
顔を真っ赤にしたニアは、プイとそっぽを向く。
「何を
「え? う、うそ……っ」
ニアはすぐさま自分の胸に手を当て、<原初の炎>に集中する。
すると確かに、これまでゾーヴァに奪われていた力が、自分の元へ帰って来ているのがわかった。
「や、やった……戻ってる! これであの子たちもみんな、本当に解放される……っ」
ゾーヴァが消えた後も力は帰って来なかったので、どうしたものかと悩んでいたのだが……これで全て解決だ。
グッと拳を握り、心の底から喜ぶニア。
その様子を見届けたホロウは、クルリと背を向け、<虚空渡り>を発動する。
彼がそのままハイゼンベルクの屋敷に飛ぼうとすると、ニアが大慌てで制止の声をあげた。
「ま、待って……!」
「なんだ?」
ホロウは面倒くさそうに振り返る。
その口調と姿勢は本当にいつも通りで、とてもあの大翁を倒した後だとは思えないほど、極々自然体だった。
一方のニアは居住まいを正し、その
「ホロウ、本当に……本当にありがとう。あなたには感謝してもしきれないわ。この恩は一生を懸けてでも返していく」
「ふん……。『なんでも言うことを聞く』といったあの約束、まさか忘れてはいないだろうな?」
「えぇもちろん、あなたの言うことならなんだって聞くわ。……本当になんでも、ね」
ニアはほんのりと頬を赤く染めながら、伏し目がちに上目遣いで同じ言葉を繰り返した。
その瞬間、ホロウの心に『情欲の炎』が燃え
(おい馬鹿、やめろ……っ。この体はもう……『限界』なんだぞ……ッ)
彼はすぐさま鋼の意思を総動員し、なんとかこの気持ちを鎮めんとした。
しかし、
(あぁ可愛いな、今度こそちゃんとしたキスを……いや落ち着け。あの大きな胸を……駄目だ駄目だ駄目だッ。ちょうどそこにベッドもあるし、このまま朝まで……馬鹿待て早まるな!)
お風呂上がりのニアの
彼の肉体は世界最高のスペックを誇るが……その反面、この手の『欲』にはとことん弱い。
(はぁ、はぁ……駄目だ、これ以上はもう持たない……っ。くそっ、無敵の<虚空>でも、この欲求だけは消し飛ばせない……ッ)
ホロウ・フォン・ハイゼンベルクは今、ロンゾルキアに転生して以来、最も過酷で苦しい戦いに身を投じていた。
「……」
「……」
なんとも言えない沈黙が降りる中、ニアは先ほど口にしかけた問いを投げる。
「ねぇホロウ、一つ聞いてもいい……?」
「……なんだ」
「どうして私を助けてくれたの?」
「別に、お前を助けてなどいない。俺はただ、自分が助かりたかっただけだ」
「……えっ……?」
ニアはパチパチと目を
言葉としては理解できるが、文章として理解できなかった。
「いや……あなたみたいな化物が、いったい何から助かりたいというの?」
史上最悪の魔法士『災厄』ゼノと同じ<虚空>を持ち、人の領域を踏み超えた絶大な魔力を宿し、神に愛された超人的な膂力を誇る天才――ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。
そんな怪物が何を恐れるのか、まったく理解できなかった。
ニアの至極真っ当な質問を受け、ホロウは真剣な表情で答える。
「それはもちろん――『
彼はそう言い残し、虚空の彼方へ消えていった。
たとえどれだけ強くなろうとも、たとえどれだけ準備を重ねようとも、気を抜くことはできない。
何せ悪役貴族ホロウ・フォン・ハイゼンベルクは『歩く死亡フラグ』、世界に中指を立てられた存在だ。
過酷なホロウルートを乗り越え、幸せな生存Endへ辿り着くためにはやはり――『主人公モブ化計画』の完遂が必須。
(ロンゾルキアにおける『第一章
さぁ、次の――『第二章の死亡フラグ』をへし折りに行くとしよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第1章はこれにて完結!
ちょうどキリのいいここで、皆様に大切なお願いがあります。
ほんの少しでも、ホロウの物語を楽しんでくださった方は、
本作を『フォロー』して、応援いただけないでしょうか?(カクヨムはシステム的に『フォロー数の増加』→『作品の評価向上』となります)
今後も頑張って面白い物語を書いていくので、ご協力どうかよろしくお願いいたします……っ。
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