第27話:ホロウ・フォン・ハイゼンベルクの行動規範

 ボクが直接この手を下さずとも、最も厄介な主人公とヒロインのコンビが、今夜その命を散らす。


(あぁ……素晴らしい。最高にいい気分だ……っ)


 ボクの計画は大幅に短縮――いや、もはや壮大な計画を練る必要さえなくなった。


 これでようやく人間らしい、穏やかな日常を過ごせる。


(そうだ、久しぶりにオルヴィンさんと剣を交えよう)


 最近は忙し過ぎて、まともに剣術の修業ができていなかったからね。

 きっと自由で解放された、とても楽しい時間になるだろう。


 ハイゼンベルクの屋敷に帰ったボクは、自室の机に鞄などの手荷物を置き、


(えーっと、修業用の剣は確か……)


 クローゼットを開けると同時、シンプルな短刀がカランカランと落ちてきた。


「あっ、そう言えばこれ……アレンに返し忘れていたな」


 少し前に『魔力付与の特別授業』で借りた後、うっかり家に持って帰ってしまい、それっきり返すタイミングをいっしていた。


「明日にでも返して……って、それは無理か」


 アレンは今夜死ぬ、ゾーヴァに殺される。

 だから、彼に会うことはもう二度とない。


「……これ・・は一応、『アレンの形見』ってことになるのかな?」


 ボクはそんなことを呟きつつ、彼の短刀をクローゼットの奥に仕舞った。


 それからすぐに庭園へ移動し、久しぶりにオルヴィンさんと一戦交える。


 しかし、


「あっ」


 手元から剣が舞い、首筋に切っ先が添えられる。


「私の勝ち、でございますな」


「ふぅ……さすがだな、オルヴィン。あれからまた腕を上げたか?」


「もったいなきお言葉です。――しかし、私の剣はさほど変わっておりません」


「どういう意味だ?」


「坊ちゃまの剣筋けんすじに迷いが見られました。学校で何かございましたか?」


「……いや、いつも通りだ」


 オルヴィンさんとの剣術修業を早々に切り上げたボクは、自室に戻って夕食を取る。


 だけど、


「……マズい」


 なんの味もしなかった。

 最高級ステーキのはずなのに、まるで柔らかいゴムを食べているみたいだ。


「も、申し訳ございません……っ。ホロウ様の御口に合うよう、すぐに作り直しますので、少々お待ちください!」


 メイドのシスティさんが勢いよく頭を下げ、大慌てで料理を回収せんとする。


「待て。システィ、ちょっとこれを食べてみろ」


「と、とんでもございません。私のような使用人が、ホロウ様と同じものを口にするわけには……」


「案ずるな。こっちにはまだ手を付けていない」


 ステーキの端の部分に目を向け、未使用のフォークとナイフを差し出す。


「そ、そういう意味ではないのですが……はい、承知しました」


 システィさんは上品な手つきで肉を切り分け、「いただきます」と言ってステーキを口へ運ぶ。


「どうだ?」


「……恐れながら、とても美味しい、かと」


「そうか、俺の口が悪いか」


「まさか、そのようなことは決してございません! すぐに新しいモノをご用意いたします!」


「よい。せっかく作ったのだ、いただくとしよう」


 食材を無駄にするのはもったいない。

 ボクは味のしない肉を淡々と口へ運び続ける。


(そう言えば……あの・・玉子焼きは本当においしかったな)


 もう二度と食べることのない味が、なんだか妙に恋しく思えた。


 今日はどうにも気分が優れないようなので、自室に籠って魔法書を読むことにする。

 やっぱりこういうときは読書に限るよね。

 知の世界に没入すれば、このスッキリしない気持ちも、きっとすぐに晴れることだろう。


 っと、思っていたのだが……。


「……」


 本の内容が、まるで頭に入ってこない。

 こういうのを『文字が滑る』というのだろうか。

 読み込んだ情報が脳を素通りし、そのまま彼方かなたへ抜けていく。


 手元の本をパタリと閉じ、がっくりと肩を落とした。


「はぁ……ボクはいったいどうしてしまったんだ?」


 現在、全ての計画が思い通りに進んでいる。


 完璧だ。

 最高の展開だ。

 それなのに……なんだかスッキリしない。


(なんなんだ、この気持ちは……?)


 自分のことが自分でもよくわからない。


「……駄目だな」


 自問自答を繰り返しても、ろくな答えは出て来ない。

 こういうときは、『客観視』が必要だ。


 ボクは<虚空渡り>を使い、禁書庫へ飛ぶ。


「――エンティア、ちょっといいか?」


「あら、どうしたの」


 彼女はいつもの椅子に腰掛け、本に目を落としたまま、こちらを見ることもなく応じる。


「キミは、ボクという人間の価値観を知っているよね?」


「もちろん、私は知欲の魔女よ? あなたの性格・趣味指向・友人関係、好きな食べ物から好みのタイプに至るまで、ありとあらゆる情報を網羅しているわ」


「……気持ち悪いな」


「も、もぅ、そんなに褒めないでよ……っ」


 エンティアは頬を赤く染めながら、パタパタと右手を振った。

 いや、別に誉めたわけじゃないんだけど……。

 知欲の魔女様は変わり者だ。


「それで、私になんの用かしら?」


「んー……なんというか、自分のことがちょっとよくわからなくてさ」


「あー……そっか、そういうお年頃だもんね」


 ハッと何かに気付いた彼女は、生温かい目をこちらへ向けた。


「違う。思春期特有の痛々しいアレじゃない。そうじゃなくて、もっとこう哲学的なものなんだ」


「ふーん」


 エンティアは興味なさそうに生返事をする。


「とにかく、自分のことがよくわからなくて困っている。こういうときは客観視が必要だ。今からエンティアにいくつか質問をするから、ボクに成り切って答えてくれないか?」


「えー……やだ、面倒くさい」


「……そうか、残念だ。せっかくお礼に日本の知識を教えようと思っ――」


「――何をしているの? 早く質問をちょうだい、今、すぐに!」


 エンティアは迫真の表情で、バンバンバンと机を叩いた。

 ほんとこの魔女様は、チョロくて助かる。


 ボクはエンティアの対面にある椅子に腰掛け、コホンと咳払いをした。


「それじゃ最初の質問だ。ボクは今、自ら手を下すことなく、主人公を消すことができる。しかしそれをすると、この先の人生に『張り』が――『甲斐がい』や『生き甲斐』のようなものがなくなってしまう。そんな思いはあるだろうか?」


「NO。あなたは遣り甲斐や生き甲斐なんて、曖昧なものに価値を見い出さない。いつ如何いかなるときも、自分の命を最優先に行動する。これは絶対にして不変の価値観よ」


「……だな」


 二つ目の質問へ移ろう。


「今後あらゆるモノから逃げ、あらゆる死の可能性に怯え、あらゆる強敵から隠れ続けた場合――ボクは自分のことが嫌になってしまうのではないだろうか? 何かそう、自尊心のようなものが、壊れてしまうんじゃないだろうか?」


「NO。原作ホロウならばともかく、あなたはそんなにプライドの高い人間じゃない。みっともなく逃げ・怯え・隠れ続けた先に『命』があるのなら、きっとそれをよしとするでしょう」


 なんだか凄く小物だと言われたような気がするけど……まぁ間違ってはいない。


「では、こういうのはどうだ。ボクは自分が生き延びたいという手前勝手な理由から、『主人公の強化イベント』を潰して回った。その結果として今、アレンとニアは死の淵に立たされている。その償いとして、罪滅ぼしとして、友達を助けるというのは――ボクの行動規範にかなうだろうか?」


「NO。あなたがリスクを取るのは、それに見合うリターンがあるときだけ。その行動規範は単純にして明快、『自らの命に危機が迫るかどうか』、全てこの一点に集約される。自分の行いの結果によって友達が亡くなれば、きっと悲しみもするでしょう、きっと申し訳なくも思うでしょう。だけど、『償い』のためにリスクを取るような真似は絶対にしない」


「……その通りだ」


 ボクが放った三つのクエスチョンに対し、エンティアは完璧なアンサーを返した。


「はぁ……やっぱり駄目だな。何をどう考えても、どんな理屈をこねても、答えは『No』だ。ボクが動く意味はない。アレンとニアを助けることになんのメリットも見い出せない。今このときこの時点この瞬間における最善手は――何もしないこと、だ」


 所詮、ボクという人間は保身第一。

 でも、仕方がないだろう?

『歩く死亡フラグ』に転生してしまったんだ、これぐらいの危機意識は持たないと。


「悪い、邪魔をしたね」


 席を立ち、自室へ飛ぼうとしたそのとき、エンティアの口から大きなため息が零れる。


「はぁ……呆れた。あなたそんなに頭がいいのに、自分のことはまるでわかっていないのね」


「どういう意味?」


「まったく、仕方がないわね。遥か悠久の時を生きる知欲の魔女様が、悩める若人わこうどを導いてあげましょう」


 エンティアはそう言って、ボクの瞳を真っ直ぐ見つめる。


「<原初の炎>と<原初の氷>、強大な二つの因子を取り込んだ『大翁おおおきな』ゾーヴァは、魔法士としての完成形――一種の極致へ到達する。その圧倒的な力は、いつかどこかであなたの命を脅かすかもしれない。自分の生命に指が掛かる潜在的な仮想敵、将来の不確定要素を可及的かきゅうてき速やかに葬り去る。その過程として、ほんの僅かな副産物として、偶然にも友達を助けてしまうことは……ホロウ・フォン・ハイゼンベルクの行動規範にかなうかしら?」




「――――Yesだ」

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