第13話
お昼休みになった。
十文字は綾瀬の席へ行こうかどうか迷っていた。一緒に昼食をとろうと企んでいたが、彼女の周りに他の女子生徒がきたためにタイミングを逸してしまった。仕方なく、教室の後ろでいつものメンバーとパンを食べることにした。ただし、視線は幾度も綾瀬の背中を追っていた。
友香子が気づいて、前の方に面白いものでもあるのかとたずねると、あわてて黒板のシミが霊の顔に見えるといって誤魔化した。すると田原も同調し、俺も前からそう思っていたと言った。教室の後ろが、なにやら盛りあがっていた。
その時、二年A組の教室へ唐突に部外者が入ってきた。
一瞬にして静寂が訪れた。やってきたのは朝比南高校の誰もが知っているアイドル、ナオミ・K・ブルベイカーだった。
A組の皆が見つめる中、彼女は堂々と教室を横切り、十文字たちの場所へとやってきた。そしてなんら悪びれることもなく十文字の前にいる田原をどかせて、その席に座った。
「明日の休みは隼人とデートしたくなっちゃった」
えーっ、うそー、マジかよ、と悲鳴のような歓声があがった。
朝比南高校史上、もっとも異次元レベルの美貌の持ち主、ナオミ・K・ブルベイカーが、見るからにむさ苦しい十文字隼人をデートに誘っているのだ。金髪のハリウッド女優が、多摩川河川敷のホームレスにモーションをかけていると同義だ。あり得ないだろう光景に、慄然とする二年A組であった。
だが、このクラスでもっとも心中穏やかではないのは、綾瀬穏香だった。
少しずつとはいいつつも、いちおう十文字は彼氏になったのである。それを横取りしようとするライバルが出現し、しかもよりによってナオミ・K・ブルベイカーなのだ。あの保健室での出来事はなんだったのか。また頭の中が混乱し始めていた。
「もちろんOKよね、隼人」
ナオミが十文字の目を見つめていた。好意の目線ではなく、十文字の心の底にあるものを試すような、少しばかり鋭い感じだった。
「ブル姉さん、悪いけど他の人を誘ってください。俺は興味ないっすから」
十文字はきっぱりと断った。迷っている要素が一ミクロンもない、すがすがしいまでのお断りだった。
えーっ、うそー、マジかよ、とA組内は再びどよめいた。あのナオミ・K・ブルベイカーに興味がないと断言した男は、十文字が初めてだった。
「オオー、ファ〇ク、ざんね~ん。せっかく隼人と映画に行こうと思ってチケット持ってきたのになあ」
ナオミは、上着のポケットから映画のチケットを二枚出した。それをクラスの皆に見せびらかすようにビラビラと振っていた。
「じゃあ、これいらないからユーにあげるね」
そう言って、十文字の胸ポケットにチケットをねじ込んだ。彼女の顔が近づくと、ニヤッと笑った。鈍感男にはめずらしく、ナオミの意図を読み取ることができた。
「ありがとう、ブル姉さん。ほんとうにありがとう」
ナオミが立ち上がった。後ろでありがとうを連発する後輩に軽く手をあげて、A組を出ていこうとする。教室の入り口には千早が待っていた。ナオミがウインクすると、親友は小さく頷いた。
ナオミがいなくなると、友香子や修二が十文字にまとわりついた。いったいどういうことなのかと問い詰めるが、ブル姉さんの悪ふざけだと十文字が言うと、あっさり納得した。なんだ冗談だったのかと、クラス中が安堵した。
綾瀬は後ろを振り返ろうとはしなかった。聞き耳は立てていたが、振り返ることはしなかった。
十文字は、帰りのホームルームが終わるとすぐに教壇へと向かった。
「先生、化学室の掃除をしてきますので」
「いや、今日は十文字の当番じゃないぞ。それに使ってないからいいんだよ」
愛子担任は、掃除の必要がない事をはっきりと伝えた。
「それじゃあ、化学室の掃除をしてきますので」
「十文字、先生の話を聞いてないだろう」
あらためて指示を徹底しようとするが、彼はすでに仕事場へと急行していた。
「なんなんだ、あいつ」
ブツブツと言う女教師の前を、A組のフェローが素知らぬ顔で通り過ぎた。
化学室では十文字が掃除に励んでいた。ただし、モップの動かし方はデタラメであり、教室をきれいにしようなどとは、これっぽっちも思っていなかった。
化学室の前の廊下を、二年A組のフェローが通り過ぎた。十文字は、彼女の姿をチラリと見て確認すると、化学準備室へと移動した。
フェローの綾瀬が、再び化学室前の廊下を通り過ぎた。こんどはナマケモノみたいにゆっくりと歩いていた。
教室のほうへ彼女の身体が傾いて中に入るかと思われたとき、前から他の生徒がやっていた。彼女はとっさに化学室のドアを触って、さもそれが故障しているかのような仕草をしていた。通りすがりの女子生徒が、不思議そうな顔をした。
廊下に人の気配がなくなったことを確認した綾瀬は、くノ一忍者のように素早く動いた。化学室に入り、さらに連絡ドアから化学準備室に音もなく侵入する。ドアを閉じて、カチッとカギをかけることを忘れない。
「もう、さっきのブルベイカーさんはなんなのよ」
開口一番、綾瀬は昼休みの出来事の愚痴を十文字にぶつけた。準備室内は二人だけの占有空間なのだ。
「あれは、ナオミ先輩が気をつかってくれたんだよ」
「ナオミ先輩って、なによ」
綾瀬は不機嫌な顔のままだった。
「え」
「いつから名前で呼ぶようになったの」
「いや、そのう、ブル姉さんだったね」
きびしい目線を投げつけてくる綾瀬に、十文字はポケットの中から二枚の紙を取り出して見せた。
「ほら、これだよ」
「なんなの」
「映画のチケットだよ。ナオ、いや、ブル姉さんに、あの時もらったんだ」
十文字は、そのチケットで映画に行こうと綾瀬を誘った。
「イヤよ。ブルベイカーさんが十文字君と行きたかった映画でしょう。そんなおこぼれはいらない。二人で仲良くいけばいいのよ」
せっかくのデートにナオミ・K・ブルベイカーの影があるのは、女としてどうしても許容できないようだ。
「いやいや、違うんだって。ブル姉さんは、俺と綾瀬さんのためにワザとくれたんだよ」
正式に付き合うようになった二人のために、ナオミが映画のチケットをあげたのだ。なお、それらは数日前に、ナオミを口説こうとした三年生男子から巻き上げていた。
「じゃあ、なんであんなことしたのよ」
「ブル姉さんは、ああいう人だから。面白いっていえば、面白い人かな。いろんな意味で日本人離れしているからさ」
あの行動の裏には、十文字の本気具合を確かめる意味合いもあったのだが、本人は気づいていない。
「じゃあ、最初っから十文字君を誘っていたわけじゃないんだ」
「あのブル姉さんにかぎって、俺みたいなむさっ苦しい男を誘うわけないじゃん」
十文字は自嘲してみせた。だが、綾瀬はそれも気に入らなかった。
「そのむさっ苦しい男と、私は付き合うことにしたんだから、自分を悪くいうのはヤメて」
「ごめん、そうだった。俺たち付き合っているんだね」
綾瀬の口から付き合っていると言われて、十文字はあらためてその幸せを噛みしめていた。
「少しずつ」
訂正するわけではないが、綾瀬が微妙な表現を強調した。
「うん、少しずつね」
十文字は笑顔で頷いた。綾瀬は、なんとなくバツが悪そうにしていた。
「それで、そのう、映画はどうしようか。綾瀬さんが行かないのなら、このチケットも必要ないし。ブル姉さんには悪いけど、修二たちにあげようか」
綾瀬は、十文字の手からチケットを素早く奪いとった。
「人にあげるなんて、もったいないじゃないの。タダなんだから、行くに決まってるでしょう」
デートの約束が確約された瞬間だった。十文字の胸中が真っ赤なバラだらけになった。
「ところでなんていう映画なの」
映画のタイトルが気になり、二人は同時にチケットを見た。
「ええっと、このチケットは、【露出ゾンビのレゲエ対決・はらわた三昧】っていう、すごく微妙な映画だな。ははは、ブル姉さんらしいわ」
ホラー映画のようだ。この手のジャンルは男子が得意とするところだが、女子には拒否反応を示す者が多い。ぜったいに綾瀬の趣味ではないと十文字は思った。
「これみたかったのよ。すごい楽しみ」
予想外の反応に、十文字は苦笑いで応えた。綾瀬の本心としてはまったく興味がないのだが、そういうフリをしていた。
「よし、それじゃあ明日。一緒にいこう」
二人は待ち合わせの時間と場所を設定した。十文字はケイタイの類を持ってないので、綾瀬は何度もねんを押した。
「絶対に遅れないでよ」
「大丈夫だって。綾瀬さんからもらった目覚まし時計あるから」
二人は、それからしばらく準備室で話をしていた。
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