第2話

 軽音部と書かれたこの教室に、静寂は似合わない。

 もちろん、裏返った汚ったない高音もお呼びではない。


『もう〜別れを言わないとね〜

 君の髪にもね〜

 君のためにぃいいい〜〜〜!!ああ!ダメだ高音でねえ!!』


 マイクを通した俺の断末魔が、部室に反響する。

 壊れたバイオリンのような軋み音だ。


「はは、相変わらずハルは高音苦手だな。すぐ裏返る」


 歌の締めの部分を今日も失敗する俺を、我らがバンドグループ『TonsSight Boysタンサイボーイズ』のリーダーであり、リードギターの不破フワ浮人ウイトが茶化してくる。


 不破フワ浮人ウイト。俺と同じく彼女募集中のメガネだ。根が真面目な良い奴だ。なりきれていないイヤーカフを左耳に光らせている割には、制服のシャツのボタンは上まで閉じている。


 そのメガネの下のニヤケ面がなかなかに不愉快だ。

 バカにしやがって・・・

 そうなのだ。いつもいつも最後の高音部分で失敗してしまうのだ。


 ああ、良い声帯欲しい〜!!


 そう心の中で叫びつつ、表面上は強がる。

 メインボーカルとしてのせめてものプライドだ。

 自分の声を愛してこそのボーカルだ。


「ふんっ!別に良いよ。低い方が男らしくてモテる」

「そうかね〜?」

「モテる」

「なのに彼女はナシっと」

「うっ!!・・・・それはお前も同じだろ」

「うっ!!」


 理由もなく俺達は言葉のナイフを刺し合う。二人とも彼女ナシという事実に絶望を抱いていると、部室の扉が開く。


「お待たせしたよ〜」

「遅えよ」


 我らがドラマー。土井ドイ頼秀ライシュウがやっと部室に顔を出す。

 どこで寄り道をしていたのかを問いただそうとするも、そのポケットにパンパンに詰められたコンビニパンに全てを察する。


「お前は相変わらずよく食うな。太るぞ」

「大丈夫。僕ね、いくら食っても脳みその筋肉になるから。それにちょっとぽっちゃりの方が良いって言わない?」

「そうか?今のトレンドは細マッチョらしいぜ」

「あ〜・・・なんかお姉ちゃんもそんな事言ってたな・・・」


 土井は天性のリズム感で足をタップしながら、部室に常備している給湯ポットの電源を入れる。どうやらカップ麺にも手を出すようだ。


 しかしこのど土井という男。俺達の中で一番の食いしん坊だと言うのに、一番小柄で細い。それでいてたまに女子と見間違える程のあどけない顔なのだから混乱してしまう。


 本当になんでこいつ太らないんだろう?運動をしてる素振りはないのに。


「というか・・・そうだよな。お前姉ちゃんいるんだよな?何歳?」

「三つ上だから19だね。大学生一年生。最近夜遅くてお母さんに怒られてる」

「顔、可愛い?」

「なに・・・?友達の姉ちゃんにも手出そうとしてんの?やめてよね?飢えすぎじゃない?」

「いやいや、なわけないだろ!!流石に大学生は歳上すぎる」


 土井は俺のキモ発言にむすっと頬を膨らませる。こういう動きが土井がクラスの女子共に可愛がられている理由だろうか?


 しかしまあ・・・友達の姉か・・・それは気まずすぎるな。ないない。


 やっぱり同い年くらいがベストだな。

 ああ〜早く彼女欲しい〜

 もう高校が始まってから半年は経ったぞ。学校始まってから速攻で軽音部に入ってバンド活動も毎日やってるというのに、未だファンクラブはなし。同級生の馬鹿野郎達は俺達のライブよりも日常話を優先しちまう。


 一体なにがいけないんだ・・・?

『バンドをしたらモテる』なんて迷信なのか?

 いやいや、俺はそのために中学の全てを注いだんだぞ・・・きっと大丈夫さ。大丈夫。


 それこそ今日は部活をサボっているウチのリードギター、新月シイツキアラタは彼女持ちだ。憎たら羨ましい奴だが、あいつのお陰で『バンドマンモテる』がQ.E.D.証明された。

 まああいつは顔が良いのもあるんだけどね。


 そうそう大丈夫大丈夫。きっと大丈夫さ。


 勝手に安心していると、不破が俺の恋愛事情について聞いてくる。


「そういえばさ、ハルにも仲良い女の子いるじゃん。ほらあのちっこい子。あ、ちっこいは失礼か・・・そうだ蜂谷ハチヤだ。」

「ちっこい・・・?ああ、カナデ?」

「そうそう。あの地味目で大人しい子。あ、地味は失礼か・・・」


 不破が聞いてきたのは蜂谷ハチヤカナデの事だ。

 蜂谷奏。俺の小学校からの幼馴染で、家が隣の小柄の女の子だ。小柄と言っても同じ学年だが。


「蜂谷さんとは、なんともないの?」

「う〜ん・・・カナデか・・・・あいつは昔色々あって男嫌いなんだよね」

「ふ〜ん・・・そうなんだ〜」


 不破はそれ以上聞いてこない。なにかデリケートな話に触れたと察したのだろう。この危機察知能力がリーダーである所以だ。こいつがいなければ、軽音部は風紀委員によって廃部にされていただろう。


 まあ、今回はただの杞憂だが・・・

 カナデとは普通に仲が良いし。毎日のように喋るし。

 でもまあ・・・カノジョじゃなくて妹って感じだからな。


 そのまま、その日の『カノジョ』についての話は終わった。

 ラーメンを啜る土井を横目に、俺はマイクを握る。

 今の邦ロックで最もアツい。


語彙鍵盤ゴイケンバン

『ティシューナッツ』

『LeVeL』


 の曲を歌う。スマホで流した音源と不破のギターと土井のカホンに合わせた弾き語りだ。そのまま数曲歌った後、部室を後にした。


 いつも大体こんなもんだ。贅沢を言うと変わり映えバリエーションが欲しい。


 部室を出ると、廊下には少女が立っていた。耳の少し下くらいまで伸ばした黒髪ボブの女の子。俺の幼馴染、カナデが。


「部活・・・終わった?」


 カナデは静かに近寄ってくる。少し覇気が薄いというか、物静かというか、常に誰かの後ろに隠れているような子だ。昔はもう少し活発な子だった。しかしその昔、少学生の時、下校中に痴漢に会い、心に傷を負ってしまった。そして同時に男に触れなくなってしまった。幼馴染である俺でさえ、彼女に触れられない。


 俺は男だから。


 ま、喋れはするし、普通に仲良いけどね。

 それこそこうやって、俺の部活が終わるまで待ってくれたりする。


「終わりましたよ〜帰ろうか・・・」

「うん」

「今日はうちハンバーグだけど。食べてくか?」

「うん・・・」


 夕日に照らされる廊下を二人で歩いていると、カナデは突如としてこんな事を聞いてくる。


「部活・・・楽しい?」

「軽音・・・?う〜ん・・・まあ、楽しいですよ。」

「音楽好きだもんね・・・」


 愚問だった。

 俺の幼馴染でありながらそんな事も分からないとは、カナデちゃんよ一体俺の何を見てきた?


「いやいや、別に音楽は好きじゃないよ。モテるためにやってんの」

「でも・・・中学からやってるじゃん。私と遊ぶ時間削ってまで」

「そりゃ、すんません。でも彼女できたらバンドやめる」

「彼女さんがバンド好きだったら?」

「続ける。音楽小なり彼女だから」

「あ、そう・・・じゃあ辞めることは無いんじゃない?だってバンドでゲットした彼女は確実に音楽好きでしょ」


 カナデの的確な指摘にハッとする。

 確かにそうだ。音楽で作った彼女が音楽嫌いなわけない。


「ああ・・・確かに・・・あ!でも!もしかしたらバンドを続けたら俺がファンと浮気すると思って、辞めてって言うかも」


 バンドを続けたらモテ続けてしまう。

 それなら彼女はバンドをやめて欲しいと言うだろう。

「私のためだけのギターでいて」なんて言われちゃったりして。

 そんでちょっと良い感じの雰囲気になったら「俺とお前で夜のセッションでもしようぜ」くらいは言っても良いよね?


 ああ、未来が楽しみですな。


 未来予想図を脳内で再生していると、カナデは目を細めてジーッと見つめてくる。

 昔からこうやって目で訴えかけてくる事が多い我が幼馴染だ。


「なんですか?」

「浮気・・・しちゃうんだ?」

「したくないけど・・・しちゃうかも」

「あそ・・・・頑張って・・・」


 カナデは、無機質な返事と共にプイッとそっぽを向いた。

 嘘でも「しない」と言い切った方が良かったかな?カナデは姉貴と仲が良いから、変な事を言うとすぐに伝わってしまうんだ。


 その日はそのまま帰って、ハンバーグ食って、ちょっとギター揺らして、寝た。

 なんでもないような、気付けないような幸せに囲まれた日だった。

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