第17話

『それ』は、地を這って草を薙いで駆け、ルシオスにまたがる影狼のどてっ腹に突っ込み吹っ飛ばした。


「―――え!?」

剣越しに拮抗していた力が消え、ルシオスは目を丸くさせて影獣が吹っ飛んだ方向へ視線を飛ばす。

すると今度は月光を照り返す飛翔物 ――― 手放してしまったはずの中剣が放物線を描いて飛来した。

足元に落下したそれをみとめ、反射的に慌てて拾い上げる。

「何、今の・・・」

今の一瞬に何が起きたのか、把握できず瞬きをする。

が、はっとした。

今はそれどころではない。好機(チャンス)だ。

首を振るって体勢を立て直す影狼からは距離がある。

今こそあの「聞かん坊」を呼び出すべき刹那だ。


「フェール、戻れ!」

影狼に組み敷かれて牙と爪同士の獣の攻防をしていたフェールが、問答無用で敵の体躯からするりと這い出して、滑り込むようにルシオスの足下の影に戻った。

それを見、獲物を定めた四つの目が、躊躇なくルシオスへと駆け出す。

だが、

「もう遅いっ」

ルシオスは鼻を鳴らして声を張り上げた。

「キュキウ!!」

発した声が、森に響くかと思いきや地面へと吸い込まれた。

そして森の木立を緩やかに揺らしていた柔風を、黒い地面が強引に引き捩って、一瞬全ての空気が止まる。

直後、その反動か、豪風がうねりを上げて吹き荒れた。

すかさず、ルシオスは、飛び掛かってくる狼たちを見もせずに自らの頭を両手で庇って地面に飛び込む。

ざん、とは空を斬り、一瞬で多くの雑草をなぎ倒した。

ふたたび、ざんっ、と風を切り裂いて、行ったが翻り、一太刀に獲物へと襲い掛かったかと思うと、影狼の胴が真っ二つに割れた。


大きな斬撃に混じって、小さく巻き起こった旋風(つむじ)がちりちりと、硬質で細かい音を立てて辺りを舞い、ルシオスの頭上を走り去る。

「ッつぅーーーっっ!」

身を包み隠していた背の高い茂みが刈り取られ、頭を庇う手の甲に鋭い痛みを覚えてルシオスは慌ててさらに身を縮こませた。

暴れ狂って舞う風の刃が残る影狼に向かう。

最後の、ルシオスを追い立てた巨きな影狼が、逃げる間もなく。

旋風の刃が影獣の脚に絡みついて切り刻み、抵抗力を失ったところで鋭利な衝撃が横一文字に一閃。

影獣の首から前脚までにかけてを斬り裂いた。

血飛沫は無い。

断末魔すら上がらなかった。

ただ千切られた雑草の破片が舞い散って。

跳ね飛ばされた黒い獣の首がどさりと地面に落ち、そのまま地面に同化するように吸い込まれていく。


荒れ狂っていた風の刃が、嵐のような斬撃など無かったかのように静まっていき、やがて完全に止んだのを待ってルシオスは恐る恐る草叢から顔を上げた。

上目使いに、短くなった雑草の隙間からそれを怖々と見つめながら。

目の前をふわふわと、ひょろ長い小動物の黒い影が二体浮いている。

ゆらゆらふわふわと揺れ動き、立ち上がったルシオスから付かず離れずの距離を取ろうとする影の眼前、皮膚が切れて血が流れる手の甲を翳して見せた。

「キュキウ、ほら、誰が主人かわかるだろう?戻るべきところに戻って」

頭を小さく振るった仕草はそのアッシーネの血の匂いをかぎ取ったものか。

じゃれあうように二匹が巴になってくるくると回ると、そのままルシオスの周りもくるくると回って風を熾し、足元の影の中へと滑り込んだ。


「あーもー・・・」

聞かん坊の影獣二匹が乱した髪の毛を押さえつけ、辺りを見回してすべてが終わったのを確認し、そして改めて自分の左手の甲を見る。

そう深くは無いものの、そこはざっくりと一直線に切れて血がだらだらと流れていた。

幸い皮が裂けただけで済んだようではある

斬られた時に飛沫となって飛んだのか、薄汚れてしまった白いシャツの両袖にも血が染みついており、頭を庇っていた右腕の袖はぼろぼろに切り裂かれている。

ぺろり、と。

心配してか血の匂いに誘われてか、影からするりと現れたフェールが血の滴る手の甲を舐めた。

「なんであの子たち、いつまでも僕の言う事聞いてくれないんだろうね?フェール、君から言って聞かせることはできないの?」

伝わらぬとは知りつつもぼやきながら、ざらりとした舌が舐め上げるのをそのままに、空いた左手でその首を掻いてやる。

フェールをわしわしと掻きながら、念のため影狼の首が落ちたところを見るが、二体ともすでに地面の影に沈んで溶け込むところだった。


もう、大丈夫だ。

なんだか疲れた。

その場に座り込んで、寄り添う影獣の隣に身を投げて大の字に寝転んだ。

だがその時、馬の嘶きが聞こえた。

頭を持ち上げてみると、真鍮色にくすんだ金髪に月光を受けた黒いフロックコートの執事が、白地に黒ブチ模様の馬 ――― ルシオスの愛馬エリューと、ミリアルの栗毛の馬を携えて立っていた。

「ウィルディムさん」

上体を跳ね起こすと、さらに大きな塊が男の隣にいるのが目に入る。

帯剣したウィルディムの傍らに控えたるは、被膜の両翼を折り畳み、幅広の嘴を持った大きな影獣。

その黒い異獣の姿が陽炎のように揺れた。

かと思うと青毛の馬の形に変わり、ウィルディムに手綱を引かれた2頭とともに歩み寄ってきた。

メア ――― ウィルディムの影獣、アッシーネの支配下に無い、謎に満ちた影獣。

普段はウィルディムに命じられて馬の容貌(かたち)をしているが・・・珍しい、本来の姿を見せるなんて。

ルシオスは、その姿を久しぶりに目にした。

――― あぁ、そうか・・・

ルシオスの思考を断ち切るように、ウィルディムが声をかけた。


「無事、終わったようですね」

「はい、なんとか。・・・って、ああ!ミリアルさん!忘れてた!!」

手をついて立ち上がろうとした時、傷を負った手が痛んで思わず顔を顰めた。

「どうしました?」

「あ、いや、別になんとも」

歪んだ顔を微苦笑に無理やり変えて立ち上がるが、見咎めたウィルディムにその手をむんずと掴まれた。

傷と、流れる血を見、ウィルディムは詰問するような視線をルシオスに刺す。

「大した傷じゃないですよ!だんだん血も収まってきましたし、深くないですし。それより早くミリアルさん探しに行かないと!」

掴んだまま放そうとしないウィルディムの手を、仕方なく逆に掴み返して引っ張って歩き出そうとするが、その時、林の奥から蛇神の影が飛び出してきた。

それを追って鮮やかな金髪と声一つ。

「ルシオス!無事か!?」

「ミリアルさん!無事でしたか!?あの影獣たちは!?」


ミリアルは駆け寄りつつ。

自分が先に問うたというのに、それに応えもせずに質問し返すルシオスに苦笑を向けて、

「ああ、こっちは片付いた。イルシュのおかげで助かった。お前の方も・・・どうやらうまくやったようだな」

ちらりと、取り出したチーフをルシオスの手に巻きつけるウィルディムと、そのチーフの巻かれたルシオスの手の甲に視線を投げる。

どうにも血の色が滲んているように見えたがしかし、指摘するほどでも無かろうと見当つけた。

他人の無事を心配する余裕があるのだ。軽傷だろう、と。

「そっちが本命だったようだな。ルシオス、あんな影獣相手に独りでよく闘ったな」

判断ミスはあった。

それを注意し反省を促すことも出来たが、ミリアルはそうせずにただ褒めて。

褒められたルシオスは頬を染めて顔を緩めた。


傍らに膝を付く執事には、相変わらず氷の相貌が張り付いていた。

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