第18話

その後。

ハリファクスの屋敷までミリアルを送ってから、ウィルディムの青毛の馬 ――― メアと自分の愛馬の首を並べての帰り道。

ルシオスは唐突に執事に問うた。

「そういえばウィルディムさん。僕があの狼の影獣に踏みつけられてた時、すでにあそこに居ましたよね?」


月明かりに照らされ、微動だに変化しないその横顔を見上げるが、応えはない。

まるで聞こえていないかのようで、彫像が馬に乗っているかの如く。

しかし相手の耳にちゃんと自分の言葉が届いていることを知っているルシオスは続ける。

「あの時あの影獣をメアが突き飛ばして、僕の剣を弾き飛ばしてくれた。そう指示したんでしょう?」

馬上で揺れる肩以外に、やはり動きは無い。

その、しっかり握られた手綱の先、ウィルディムが騎乗した青毛の馬をルシオスは見遣るが、馬上の主と同じく、青毛の馬は真っ直ぐ前を見たまま歩みを進めるだけで、尻尾一つ振ろうともしない。


思わずむっとしてルシオスは言う。

「使役主と同じで無愛想だね、メア。・・・別に隠すほどのことじゃないですか。ああ、でも。僕はエリューたちを連れて離れててくれってお願いしましたよね?まだ危なかったのに。なんで戻って来られたんです?」

後半は軽い挑発だ。

なんで僕の指示を無視したんですか、とさも主人面して詰問してみせる。

が、

「・・・・・・・・」

一体何を考えているのやら。

相も変わらずウィルディムは彫像然と口を噤んだまま。

ルシオスの問いに答えようとする気配はない。

「・・・いくら僕でもあの時助けてくれたのがメアだってことぐらい気づきますよ。なんでそう始終仏頂面なんですか」

口を尖らせて、それに、と付け加える。

「せっかく助けていただいたのに・・・これじゃあお礼の言い様が」

あの時、あと数十秒も遅ければ狼の歯牙がルシオスに届いていたかもしれない。

そうでなくてもあの状況で、キュキウを呼び出し一網打尽にする策を行使するか否かを迷っていたのだ。

あの時、その葛藤を終わらせ、結果最善手を打てたのは ――― 誰のお陰かは明白だ。

彼の機転と存在無くして手の甲の傷一つで済むどころではなかったのだ。

それに対して礼は言うべきだし、素直にそれを伝えたいとルシオスは思っていた。

だがその当の本人が何故か肯定しようとしない。

言葉運びの順番を間違えたか、確認などせず礼を言えばよかったか、と逡巡し始めたその時、

「あんな危ない戦い方をするよう教えた記憶はありません」

だんまりを決め込んでいた執事が出し抜けに口を開いた。


ようやくルシオスの問いを言外に肯定し、しかしそれと同時にルシオスの行動を強めの口調で非難する。

それは、ミリアルが指摘しようとして、結局敢えて責めずにおいたルシオスの判断ミス。

たったの一言だったが、ルシオスはその言葉に内包されたウィルディムの言わんとすること全てを理解した。

・・・怒ってる。

今まで押さえつけていたかのようにかけらも見せなかった氷柱のような圧力を、容赦なくルシオスに向けて放出してきた。

愛馬のエリューも何かを察してか、耳の向きを変えた。


流石にいきなり責められるとは思っていなかったルシオスは、しどろもどろになって弁明しようと努めるが、

「いや、その・・・」

先ほどまでの威勢の良さはどこへやら。

「み、ミリアルさんはミリアルさんで手一杯でしたし、僕が何とかするよりほかなかったわけで・・・あれだけすばしっこい影獣だとフェールだけじゃ追い切れないし、キュキウなら、って・・・ああ、もうっ、結果として成功だったんだからいいじゃないですかっ」

眉根も動かさず、されど目を細めて。

眼鏡に月光を反射させて執事が言う。

「言い訳にするにしてもお粗末ですね。実際危ないところだった。私が居合わせず、間に合いもしなかったらどうするつもりだったのです」

「その時はその時で、僕自身で何とか完結させようとしてましたからっ。実際あの時、メアが助けてくれなくてもキュキウを呼んで・・・っい゛っ」

何の予告も無しに伸ばされたウィルディムの手が、手綱を握るルシオスの手を強引に掴んで握りしめた。

出血を止めるために掌に巻かれたチーフごと、乾いて赤黒くなっている上から遠慮のかけらも見せずに。

大人の握力だ。傷口がまた開いたかもしれない。

収まりかけていた痛みが突然、再び無理やり引き起こされてルシオスは身体を強張らせた。

「御身を傷つける覚悟をして、ですか?そんな愚かな真似は今後決してなさらないでください。・・・先代も影獣をそのように使役したりなど、しませんでしたよ」

「・・・・・・・」

言われてぐうの音も出ず。

押し黙って視線を逸らしたルシオスを見降ろして、ウィルディムは掴んだ手を離した。

騎乗主たちの機微を読み取り、歩みを止めていた馬二頭が再び歩き出し始める。

月明かりの差し込む森の中を、静かに歩む愛馬の上でルシオスは思いを馳せる。


先代当主 ――― 父アヴェリア・アッシーネ。

齢15を数えて少しして、突然その父を失ったルシオスにとって、記憶に残るその存在は、その背中は大きいまま。

父を失うと同時に影獣騎士の長となったルシオスは、その穏やかな笑みと強さを覚えている。

人に仇為す影獣を屠る、凶暴な影達達の主たるアッシーネが長。

だが、その下で育ったルシオスが思い出す父の面影は、柔らかな木漏れ日を投げかける大きな樹のような存在で。

―――そう。

エンセィドにアッシーネの現主無き今、アッシーネの血を継ぐ影獣騎士が一として、亡き父のようになることは急務課題。

いつまでも、今のままではいられない。

ウィルディムが正しい。

たとえほんの少しだとしても、影獣相手に己を犠牲にするような戦いなど、ルシオスの立場の人間がしてはならない。

だが、怪我の無い無難な戦いをするのとも違う。

もちろん、この国の民を護ることが最重要任務だ。

一方で、自分の身を護っての、絶対の生存も同時に最高使命なのだ。

どちらが欠けても己の存在意義は無くなる。

そのためにはアッシーネの影獣たちを如何なく操って、彼らの力を余すことなく発揮させる必要がある。

現状のように、支配下に置ききれていない影獣キュキウを実戦で用いねばならぬような状況を許すようであってはならないのだ。

・・・イルシュだって、ときどき制御が甘くなるというのに。

一方、夭折したとはいえ、父は武芸にも秀でていたし、十年以上の影獣騎士としての経験があり、そして才能もあった。

追いつけるか。否、追いつかねばならない。


「・・・このままじゃ、いけないですよね」

「反省されましたか」

「・・・はい」

愛馬に揺られながら、肩を落とし、表情に月光の陰影を作る若い主人に執事はにべもない。

鼻を一つ鳴らして

「理解いただければ幸いです。・・・そうですね、次また今回のようなことが起きた場合に備えておきましょう。明日より一週間、起床を1時間早めて朝稽古の時間を作ります。朝食前に庭に出ていてください。身体の動きを一つ一つ確認しながら、敵の動きを想定しての対処方法と実戦における策のパターンを伝」

・・・そう来るか、とさらに肩を落としかけたルシオスだったが、そのとき。

目の端に何かが映った。

「待って!・・・あれ」

唐突に一点をじっと見つめたルシオスの反応に、喋るのを止めたウィルディムも張りつめた緊張を纏う。

が、ルシオスの目に飛び込んだのは、暗がりの草叢に一瞬きらりと光った何か。

「こんなとこに!イェルランディオの石!!!」


叫ぶと同時に馬から飛び降りルシオスは駆けて行ってしまった。

遮られて、しかも、たかが輝石に主の意識を完全に奪われたウィルディムはただ唖然と。

そのまま、跳んで行ってしまった主人の背中を見つめるが、空いた口がふさがらぬとはこのことか。

一方、丈の短い草叢の中に、月光を反射させるその小さな石を見つけたルシオス。

駆け寄ってその輝きを掴もうと、足を一歩踏み出したその時。

きゅっ、と何かが足首を締め付けた。かと思うと、

「っッぎゃぁぁぁぁあああああ!!!」

ルシオスは三度(みたび)猟師の罠に引っかかった。

ばさばさとけたたましく葉音を立てながら、脚から木の枝の中へと吸い込まれて。

そして後の顛末も昼と同じだ。

しばらくして、ルシオス対策にと改良された罠の糸が切れて、ぶちっという音と共にルシオスがまた落下したのも言わずもがな。

白茶けた目と溜息で主人の落下を迎えた後、執事が延々と説教垂れたのもまた、想像の通りである。

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