第15話

「やっぱ、あんな風に動けるようになりたいなぁ」

思わずため息とともに零した。

羨望の視線に気づいたか、ミリアルが笑って長剣片手に手を振ってくれる。

「あっ、ミリアルさん後ろ!」

ルシオスが叫び終えるより早く、ミリアルは素早くしゃがんで飛び掛かってきた影狼を避けて、さらに一歩下がった。

着地した影狼はというと、横っ面から突っ込んできたヴァオークの顎に攫われる。

いつの間にか、残り4頭。


退路を失した影獣たちはフェールとイルシュの隙を伺いながら、必死にミリアルの影獣の攻撃から逃げ惑っている。

「あっという間に終わったなぁ」

もう少し手こずるかも、と少しだけ思っていたが、見る限りミリアルにもヴァオーク達にも疲労の色は見られない。

今日はさっさと床に就けそうだ。

でも、そうだ。

まだ夜も早いから、終わったら森の散策に一緒に着いてきてもらえないかミリアルさんに頼んでみよう。

あのスパルタ執事と違って彼なら喜んで付き添ってくれるだろう、と決めたその時。

背後で何かが動いたような気がして、ふとルシオスは振り向いた。


ガチンっ


直前まで自分の頭の影が映っていたところに、今は呻り声と闇色を凝縮した巨大な鋭い牙が並んでいた。

「・・・ぅ、っあ・・・・」

目が合った。

振り返ったすぐそこにいたのは、ミリアル達が叩き潰している影獣よりも二回りほど大きな体躯を持った狼の影獣。

閉じた頑強なその顎を、そのまま軋らせてルシオスを睨めつけていた。

刹那、昼間にミリアルと交わした会話が脳裡に稲妻の様に駆け抜ける。

――― 単独の『はぐれ』だという話だったよな。違う、あれは群れだ。

――― もっと大きいやつ、熊とか虎とかじゃないかって聞いてたんですけど。

――― 目が慣れていないやつらには概して大きく見えるからな、影獣は。

・・・違う、こっちが本物だ!


済んでのところで悲鳴を飲み込み、こけつまろびつルシオスは距離を取るが、取った不覚、思わぬ展開、加えて無意識が相手の危険度を察知したか、ずるりと戦慄が背筋を這いあがって、頭が真っ白になった。

背後のその気配に気づかずにいたら、きっと今頃頭蓋骨から噛み砕かれて即死していただろう。

その意識が、固まったルシオスの肌と言う肌に鈍い痺れをもたらして、毛と言う毛が逆立った。

地鳴りのような呻り声を響かせながら、影狼が前に踏み出す。

だが同時に、ついとその視線がルシオスの背後に流れた。

ルシオスも同時にピリピリとした、何か別の感覚を背後に覚えて、咄嗟に横手にあった木に背を預ける。

もう2頭、別の影狼がいるのが目に入った。

こちらはミリアル達が相手している影獣たちと同じ大きさだ。

ふと気づく。

――― まさか、罠にかかっていた2頭?

それをこの化け物のような狼の影獣が助け出し、解放した?

拙い。

それを確かめる術は罠のあるところまで戻るほかにない。

しかしその推測が正しかろうが正しくなかろうが ―――

この一瞬で自分が窮地に立たされたこと、そしてこれを切り抜けなければ命を落とすことは自明の理。

真っ白になった思考が逆に白熱する感覚を覚えた。

生命の危機を覚えた無意識が、生き延びるために冷静になれと叫ぶ。

だが、これも独力でなんとかなる相手ではない。

それでも、なんとか凌がなければ。


剣を一振り引き抜いて逆手に翳す。

二正面に迫る影狼の挙動に最大限の注意を払いながら、一瞬だけミリアルの方を見やれば、逃げ惑う残り4頭を追い立てていた。

残りたったの4頭、ミリアル達だけで十分だ。

だからルシオスは叫んだ。

「フェール、戻れッ」


「ルシオス?」

突然、戦闘の場を離れて主の元へと飛び馳せるフェール。

それを眼で追うと、ルシオスが3頭の影獣に囲まれているのを見とめ、ミリアルは舌打った。

その隙をついて生き残った4頭の影獣たちが一斉にミリアルへと襲い掛かる。

「くそッ」

動きの流れで最悪でも2頭は殴り返し、そして残りはなんとか避けて交わす!

そう構えた中段の長剣の直前で、影獣たちは軌道を変えて跳び退り、ヴァオークの横をすり抜けた。

しまった、と息を飲むのと同時に、ルシオスが叫ぶのが聞こえた。

「イルシュ、ミリアルさんを手伝って!ミリアルさんはそっちを片付けてください!!」

そして、森を、茂みを、枝葉を揺らす風に紛れてこの場を駆け離れていく音がする。

フェールを駆って自分を囲っていた影獣たちを引きつけながらこの場を離れるつもりか。

「待てルシオス!離れるな、そっちへ行くんじゃない!!」

焦りに苛立ちを交えて叫ぶが、すでにルシオスと影獣たちの姿は見えない。

馬鹿な、逃げるならこちらへ引き寄せるべきだ。

イルシュをミリアルに着けたまま、フェールだけで3頭も相手をするなど、今のルシオスには無理だ。

フェールとヴァオーク3頭、力を単純に比べればその差は歴然。

フェール一頭いれば、ヴァオーク達など全頭丸のみしてしまう事さえ可能だろう。

アッシーネの主には、影獣の中でも最も力のある影獣が着いている。

しかし実戦では、影獣の実力だけでなく、使役する者の経験や実力が加味される。

まだ若く戦闘経験も浅いルシオスと、先代アッシーネ当主が存命のうちから影獣騎士であったミリアルでは経験値が異なる。

自らの使役への指示や、連携力・判断力・騎士本人の武技量を考慮すれば当然ミリアルに軍配があがる。

仮にミリアルがフェールの主であれば、勝ち目は多大にあるだろう。

しかしルシオスでは・・・。


ルシオスは逃走方向を誤った。

経験不足からくる判断力の甘さが出たのだ。

「そいつらを逃がすな!喰らい裂け!!」

足の速いイルシュを先行させて、逃げる影狼を足止めし、駆け寄ってヴァオーク達をけしかけた。

早急に片づけてルシオスの元へ駆けつけねばならない。

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