第13話

見られている。

一頭じゃない。

囲まれている。


「―――!!」


暗闇の中、音も気配も何もしなかった。

聞こえるのは森の中の、囁きのような風音(かざね)のみ。

しかしルシオスは肌で「それ」を感じ取り、愕然と、張りつめた視線で辺りを見回す。


来た。

月光を照り返し、獣の闇色の瞳が爛々と。

一対、二対と揺れ現れ、瞬いて三対目、四対、と増えていくのを数える。


右手に、唸り声で二頭いる、と分かった。

・・・茂みの奥に四頭、さらに瞬く闇色の反射を見つけ、一頭 ――― 罠にかかっている二頭と合わせて一三頭。

ミリアルが言っていた『群れ』だ。

それがいつの間にかルシオスの前方に布陣している。


「何、もしかして罠には罠をって、僕を引っかけたつもり?ずいぶんと賢しい影獣だね」

冷や汗半分。

微笑が半分浮かんだままなのは、自分の策が功を制して興奮したまま、急な展開についていけていないためか。

あるいは。

ミリアルとの作戦が、分かりやすいタイミングで始まって脳内物質が溢れたからか。

もしくは ――― 苦し紛れの虚勢ゆえか。


しかし思考と知覚はちゃんと稼働している。

イルシュに己の影に戻るよう指示を出した。

自分を取り囲む狼の影獣たちの場所を把握しようと全神経を傾注させる。

弦を張った低音の楽器。

それが出す最も低い音を思わせる呻り声が四方から聞こえたかと思うと、呼応するように罠にかかっている二頭がけたたましく遠吠え始めた。

自分の影に住まわせているフェールも狼の様態だが、それとはまた異なる ――― フェールよりも短毛で細身の狼の姿をした影獣達。

ルシオスには影獣の言葉など理解できないが、繰り返される短い遠吠えの意図は明白。

――そいつをころせ、くいころせ!


目だけを忙しなく動かして、逃げ路を定める。

まっすぐ走って、ミリアルのところまで誘導して逃げ切るその路を―――。


そうしてルシオスが目を切った瞬間、出し抜けに一頭、続いてもう一頭が躍り出た。

それと同時。

退路を定めたルシオスも脱兎のごとく駆け出した。

影獣が作る包囲の円、その隙間へと突っ走る。


地面を蹴り飛び、さらに樹の幹を蹴った跳躍で腰の高さの茂みを飛び越え、獣の囲いを抜けた。

遅れをとった狼の影獣たちが即座に反応し、猛然とそれを追い駆ける。

一瞬で囲いを抜け出した。

しかしこのままでは一〇秒ともたずに追いつかれる!

「フェール、かかれ!」

意を決したルシオスは振り向きざまにフェールを影獣にけしかけた。

だがここで、フェールに影獣たちの相手をさせるつもりはない。

ここでフェールに本気で戦わせたら、一匹や二匹は倒せても、敵の影狼かげろうたちはルシオス達を『危険』とみなして撤退してしまうだろう。

そうすれば一網打尽にするミリアルとの作戦は頓挫してしまう。

もし逆上されてこの数に一斉に飛びかかられても自分が危ない ――― 正直、この数を一度に裁ききるだけの技量と自信は無い。

だから、一瞬だけ威嚇にフェールを跳びかからせて、自分たちを弱者であり、追うべきものであると思わせる。


三跳びの豪速で影狼に跳びかかったフェールは、敵の前脚の付け根にがぱりと開けた顎で噛みついて、そのまま強靭な首を振るって草叢へと狼を投げ飛ばす。

一瞬、周りの影獣たちが怯んだような素振りを見せるが、

「フェール、行こう!」

ルシオスは踵を返して走り出す。

主人の声に反応してフェールもそれを追う。

そして、追いついたと同時にルシオスを背中に乗せ、巨狼の影は黒炎のような毛をなびかせて夜の森を駆けだした。


鼻面の長い漆黒の巨狼は、小柄な主人を背中に乗せて月光に照らしだされた木々深い箇所を選びながら風のように走る。

月はすでに天高く、樹葉枝の隙間の度に姿を現す。

影の森を影が駆け抜け、それをまた狼の群れの影が飢えた呻りと息遣いで追いかける。

なびく影色の毛にしがみ付きながら、ルシオスは荒い獣の息が後ろまで切迫するのを聞きつつ。

ちらりと後方に目をやろうとしたが、目の前に突如現れた枝に慌てて首をすくめた。


距離は、あと少し。

改めて後方を確認すると、少し群れの気配が遠ざかったのに気が付き、ルシオスはフェールを反転させた。

そして、あえて影狼たちの眼前を掠めるようにフェールを走らせる。


「ほら!ちゃんと追い駆けないと獲物が逃げるよ!!」

上下するフェールの背中に揺られながら挑発する。

そんなことを幾度か繰り返し、多少フェールにも速度を緩めたり回り道をするよう指示しながら。

ほどなくして森を抜けると、開けた地形が目の前に広がった。

さほど広くはないが、樹の無い、膝丈までの雑草が群生する地形。

煌々とした月の光がくっきりと、ルシオスの影を、地面と風に揺れる草の上に浮かび上がらせる。


フェールを完全に影に戻し、興奮と焦燥に乱れた息を整えながらその草っ原の中央あたりで振り返る。

だが出し抜けに二頭の狼の影獣が森を突き抜けてルシオスに踊りかかってきた。

慌ててフェールを再度呼び出し、自分は後ろ腰の剣を双振り引き抜く。

使役の巨狼が、跳びかかってきた敵一頭の首に噛みついて掻っ攫っていく。

その横で、目前に迫ったもう一頭の前に両手を、剣を突き出した。

影獣を使役するルシオス達は影獣に干渉できる。

しかし刃物を使ってもその刃が影獣に致命傷を与えることはできない。

それをするには・・・


「くっ、うぅッ!!」

交差した剣にがっきと狼が噛みついたのを、力任せに地面に叩きつけようと体を思いっきり捻る。

しかし狼は咥えた剣を解放した。

そして機敏に体躯を翻してルシオスから一瞬だけ距離を取ると、体勢を崩したルシオスへと再び襲い掛かる。

「ッ!!」

もう一頭の、翼を持った鰐顎の影獣を呼び出すが早いか、狼の牙爪がルシオスにかかるが早いか否か。

その刹那。


豪と風が草を薙ぐ音、鈍い衝突の音、そして影獣の甲高い悲鳴が聞こえ、ぐいっと背中から引っ張られ。

突然すぎて、ルシオスはさらに体勢を崩して地面に倒れこんだ。

「よくやったルシオス!あとは任せろ」

「ミリアルさん!」

「ハリファクスの影獣騎士が野犬の類の影獣なんぞに手間取った汚名、返上させてもらわないとな!」

月光に照らされ煌めく金髪、抜刀されて光を照り返す長剣。

赤い上衣を纏う影獣騎士がルシオスを後ろに庇って立っていた。

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