第12話

陽の落ちかけた森の中、ルシオスは一人歩く。


じきに完全に陽も落ちるが、この国の残照は少し強く長い。

そしてどういうわけか、完全に夜の帳が落ちても、星々や月の光が強い。

ルシオスは、途惑いも躊躇いも、恐れもなく森を行く。


ウィルディムには愛馬を任せて、安全なところまで離れてもらっている。

先ほどその執事が語って曰く、

「再度、当主代理が罠にかかってしまうことを懸念した猟師たちが、一定重量以上のものがかかったときに仕掛けが切れるよう細工を加えたと。そういえば連絡を受けておりました。」

と。

兎など小型の獲物であればそのまま吊し上げていれば良い。

運よく大型の、鹿などが掛かったときには落下したときに骨折するか頭を打つかして動けなくなるだろう。


一方、ルシオスであれば持ち前の運動神経の良さを生かして、重傷を負うような事態は容易く免れるだろうと考えての細工だという。

なんでそれを早く言ってくれないの!と叫ぶ余力はもはやなかった。

いや、あっても意味はなかっただろう。

それを知っていたところで、罠にかかった事実は変わらない。

いつも通りの、無表情なウィルディムの視線が痛かった。


それに、猟師たちの考えは正しかったと言ってよい。

予測された通りに同じ轍を踏んだルシオスだが、落下したときに頭にたんこぶを作ったくらいで大した怪我もせずに済んだ。

樹から落下したルシオスは、間一髪呼び出したフェールを下敷きにして派手に軟着陸した。

しかし、舌こそ噛みもせず、また頭から着地しても気絶も脳震盪も起こさなかったものの。

体中にビシバシとあたった木の枝でかすり傷だらけあざだらけ。

己の失態をミリアルにも爆笑されたため、全身に加えて心も痛かった。

ともすれば膝から地面に崩れ落ちそうなほどの落胆ぶり。

むしろこのまま地面に突っ伏して、なめくじのようになってしまいたいとも思わないでもない。

頭にもまだ小枝が刺さっている。

それほど気分は落ち込んでいたが、しかしそういうわけにもいかぬ。

―――今、自分は『囮』なのだ。


影獣たちをおびき寄せ、ミリアルが待ち伏せる場所まで惹きつける。

そのミリアルと立てた作戦の真っ最中だ。

まだ月は昇っていないが、一番星がうっすらと光り始めた。

夜の刻が始まる。


影獣騎士として、夜中の森を出歩くことには慣れている。

足元の影にはフェールやイルシュがいるから、こうして一人、風に揺れる木立の中を彷徨っていても心細く思ったりなどはしない。

・・・数年前までは、月明かりに照らされて大きくなった自分の影にすら怯えたりしていたけど。


森を揺らす風音に混じって夜鳴きの鳥の鳴き声が聞こえ始めた。

手にした棒切れを振りながら、適当に少し開けた獣道をたどっていたら、昼間に罠に手を加え終えた場所に戻ってきたのに気づく。

どうやら一回りして来てしまったらしい。

この先、真っ直ぐ獣道を駆け抜けると、開けた場所に出くわす。

樹に登って見つけた、その場所がミリアルの配置だ。


金髪碧眼の影獣騎士、ミリアル・ハリファクスの足元の影には計3体の影獣が潜んでいる。

長い首。

蜥蜴のような、昆虫のような鼻面の長い頭蓋。

胴体の側面には蝙蝠の如き翼と、その翼になりかけたかのような、氷柱のような長い棘がいくつも生えている。

否、正確に言えば1体なのだが ――― ルシオスはそう認識しているが ――― ミリアルの影獣ヴァオークは3体に分裂して出現する。

そのヴァオークの殺傷能力は高く、戦闘経験も多いミリアルはルシオス以上に上手く影獣を使役する。

しかしいかんせん図体がでかい。

影獣は、大きくなることこそあれど、縮小することはない。


元より巨大な躰を持つヴァオークは、狭い空間で多くの敵を相手にするのが苦手だ。

多対一、あるいは多対多の際、そして戦闘領域が限られてしまう場合、窮屈になって動きが鈍り、存分にその力を解放してやることができない。

今回のように相手が素早しっこい影獣の場合では、何頭も同時に相手をするのはさすがのミリアルたちにも不利の様だ。

だが、土地が開けていれば話は違う。


『だからルシオス、悪いがここまで奴らを誘導してくれ。全頭だ。一か所に奴らを集めて、それでヴァオークで一気に片づける。その際お前はフェールとイルシュで、一頭も逃がさないよう囲っていてくれ』

と言うのがミリアルの提案で。


いつの間にか、すでに消えた落陽を追いかけるように月が昇っていて、ぼんやりとしていたそれがだんだん強く輝き始める。

エンセィドの夜は、月と星の光が強い。


・・・昨日の今日の話だ。

群れはこのあたりをまだ離れてはいないだろう。

この森にいるはずだ。

ここはまだ彼らの縄張りだ。


無防備を装って月夜の森を迷子のように徘徊する。

――さぁ来い。嗅ぎつけろ。僕を襲いに来い。

月明かりが強いとは言え、闇に覆われ暗くなった森は昼に比べると視界が利きにくくなる

しかしそのためか、別の感覚が鋭くなる。

そぞろ歩きを続けていたルシオスは前方頭上に何かの気配を感じ、はたと歩みを止めた。


夜鳴きの鳥、風に揺れる樹々。

夜の森の音に混じる ――― 微かな、湿った呼気。

不自然にがさついて揺らめく樹の枝葉。

それが手前と奥の樹2本。


息を殺して片膝をつき、目を凝らして見てみる。

吊られた黒い体躯が暴れている。

野犬か、或いは狼か、四つ脚の獣の影がそれぞれの樹にぶら下がっていた。

「罠、かかったんだ!」

風景に目が慣れてきて、辺りの地形に見覚えがあるのを思い出した。

2頭の野犬の影を捕えているのは、自分が赤毛を巻きつけた罠のようだ。

もしかして、と期待しながら中腰のまま移動する。

こっちはミリアルの金髪を巻きつけた罠がある。

そうっと近づき、仕掛けを発動させないように草叢をかき分けてみると、周りの草がなぎ倒され、装置が折れた仕掛けが現れた。

つまり、

「一度引っかかったんだ。でも喰い千切って逃げたか・・・それか上手く罠が捕まえきれなかった、のかな。あるいは・・・」


樹を見上げて仕掛けの動作の痕跡を探る。

しかし、見回してみてもかかっているのは ――― がさがさと音を立て、必死の様子で身体を捩じらせるその2頭だけのようだ。

少し興奮を覚えながら、ルシオスは罠にかかった影獣に歩み寄って、

「13頭のうち2頭もだなんて。上出来だよね」

小さく独り言を漏らす。

これで、あのウィルディムにも胸を張って報告してやれる。

きっとミリアルだって褒めてくれるに違いない。

頬が綻ぶのを止められないまま、自らの影より使役のイルシュを呼び出した。

現れたるは翼を持ち、角と蜥蜴の頭を持つ鰐口の黒い蛇。

鴉ほどの翼を二煽ぎして飛翔し、枝に止まる。

唸る獲物に居並ぶ牙を剥いて威嚇し返しながら、使役の影獣は品定めするかの様子で近づいていく。

それを見上げていたその時だった。

「・・・ん?」

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