第10話

うげぇ―――、と。

胸のあたりを押さえて、馬上で頭を垂れて。

ルシオスは今にも愛馬の首に抱き着きそうな、前のめりの姿勢でゆらゆらと揺れていた。


どうやらミリアルのお茶には大量の砂糖が投入されていたらしい。

だから手を付けようとしなかったのかミリアルさん。

と言うかウィルディムさん、陰険過ぎ。

今だってミリアルさんが一緒なんだからついてこなくたっていいのに。

そんなルシオスの煩悶を知らず、しれっと執事兼お目付け役の男は無表情で着いてくる。


その黒服を目の端でちらりと見、ルシオスは気づかれない程度に小さく溜息をつく。

どうせまた、二人で意見が食い違ったら即口論し始めるんだろうに・・・。

毎回狼狽えさせられる僕の身にもなって欲しい。

そんなことを脳裏で悶々と思いながら、うぅ、と唸っては馬の歩にルシオスは揺れる。

その横で、ミリアルが苦笑しながら言う。

「過保護だよなぁ、あいつ。よっぽどお前にくっついていたいんだな」

白地に黒のブチ模様の馬に乗るルシオスと、栗毛を操るミリアル。

その後ろ、少し離れたところを、青毛に騎乗したウィルディムが静かについてくる。

「過保護。」

「ああ。まぁ、わからんでもないけどな」


ルシオスは肩を落とす。

黒ブチ模様の愛馬、エリューが鼻を鳴らしたのでルシオスは手を伸ばして首を擦ってやる。

・・・なるほど、確かに心当たりは自分にもある。

間抜けなことに獣用の罠にはひっかかるし、稽古を嫌がる。

剣技も上達もしない。

頼りなく見える容姿もさることながら、未熟で至らぬ点ばかり。

そういうのがウィルディムの不安を掻きたてて、結果このように従者どころか保護者のような真似までさせてしまっているのだろう。


しかし、だ。

自分の使命に関しては精いっぱいやってるつもりなのに、とルシオスは視線も落とす。

アッシーネ家当主代理として、誇りを持って日々尽力している。

・・・落とした視線の先。

地面に映った自分の細い影と、ミリアルの体格、その均整の良さを象った影が並んでいるのが目に入った。

影だけ見ても自分の貧弱さがありありとわかる。

その頼りない身体がウェストコートと膝まで折り上げたトラウザーを身に着けている姿は、まるで屋敷の取次丁稚、もしくは馬子のよう。

それに比べると、目に入る横の男 ――― 悠然と馬首を操るミリアルなどはまさに騎士そのもの。


昼下がりの木漏れ日、その揺らめく光の破片を浴びた金の刺繍、剣の鞘の装飾、そして金髪が煌めいている。

絵にかいたような、「美丈夫」。

その堂々と自信に満ちた帯剣姿にはルシオスも憧憬の念を抱かずにはいられないし、何より兄のように思っている。

当然、見た目だけではない。

エンセィド大公国屈指の剣技の持ち主でもあり、ここ数年、台覧試合の常勝者となっている。

道行く途中、通りすがりの村民たちが声をかけてきたが、まず「あ、ミリアル様!」。

次いで気付かれたように「・・・と、アッシーネの若!」と手を振られた。

かように、どう見てもルシオスは「おまけ」扱いである。

ルシオスとしては兄のように慕う憧れの騎士だ。

その隣に居られるだけでも満足を感じるほどに。

だが ――― 後方をついて来るウィルディムをちらりと見遣り ――― その辺のルシオスの態度も含め、執事としては殊更不満に思うところがあるのかもしれない。

更に溜息をつきそうになり、思いとどまってフンと鼻から抜いた。


そんなルシオスの煩悶をよそに、ミリアルは馬の脚を止める。

「昨晩はこのあたりで追いかけまわしていたんだが・・・」

その声を聴き、ルシオスは顔を上げる。

頭を切り替えねば。

考えに耽っている場合ではない。

気が付けば激甘紅茶の気持ち悪さも去っていた。


ミリアルが馬から降りたのにならい、ルシオスもエリューから降りて、そして手綱をウィルディムに預ける。

影獣は、通常の野獣と違いその存在の痕跡を残さない。

そのため行動の追跡をすることができない。

目の前にあるのは・・・ミリアルの奮闘ぶりを物語るかのような、例えば折れた太い木の枝だとか、巻き込まれてしまったらしいリスや野鳥の亡骸だとか、そういうものばかりだ。

ミリアルの影にいるヴォアークの攻撃性を差っ引いて考えても、相手も大人しい影獣ではなさそうだ、ということは分かった。

野犬だか狼だと言っていたし、相当小回りの利く相手なのだろう、とルシオスは把握する。

ならば、ミリアルが使役する影獣よりも自分の影にいるフェールやイルシュの方が相手をするに向いているか、とも。


「普通の獣用の罠がいくつか仕掛けられてるな、茂みに気をつけろ」

「はい」

素直に返事をしてしまったが、何かを思い出して渋面を作る。

いや、それは思い出さなくていい忘れよう。

思い出せばまた暗くなる。


倒木を跨ぎ越え、枯草の茂みを踏みしめて、エニシダの黄色い花咲く細い枝の群集を押しのけかき分けて・・・。

そうだ、今探している影獣たちは、ミリアルさえ手こずったような難敵だ。

とっとと見つけてとっとと倒して褒めてもらおう見直してもらおう。

「当主代理、そちらにも罠がありますよ」

「・・・・はい」


「ここも。草の丈があるところは大抵仕掛けられているな」

先ほどウィルディムがちらりと見せた地図。

そこに記された罠の位置を示す印の数よりも、実際仕掛けられている罠の方が多いような。

そんな気がしながら、歩を進める。

地より突き出た樹の根に足を捉われぬよう跳ね飛んで。

あたりは・・・それほど茂っているわけではなくそこそこ見通しは効くものの。

生えている樹々の幹がそれぞれ太い。

これは、一度上から俯瞰して見てみる方が良いだろう。

登るのに手ごろな樹を探して、木漏れ日の下を歩く。

それにしても、とても良い天気だ。

しかし、そういう日こそ影獣に遭遇する可能性がある。

裏を返せば、影獣騎士の立場で言えば、狩りの絶好の機会でもある。

・・・・狩りの時はいつだって、「今日晴れているのであれば、明日曇ってしまうその前に」と考えている。

もちろん、公国民に被害が及ぶことをなるべく防ぎ、最低限にするためだ。

それがルシオス達、影獣騎士の役割。

それに、影獣騎士の人員数も限られている。

一度に国内のあちこちで多発でもされたら、面倒なことになる。

それも、「可能なのであれば、今日中に」と考える理由の一つ。

天気が良いからと悠長にしていて良い役割ではない。


どうも、ルシオスの父である先代の影獣騎士の長アヴェリア・アッシーネは、曇りの日であっても影獣の足取りを辿ることができていたようだが、ルシオスにその方法や技術を伝える前に他界してしまった。

父の代から影獣騎士の役を担っていた者たちに聞いても、その方法は知らないという。

・・・死の間際、父は「必要なことを全て教えることはできなかった」と言っていたか。

その内の一つになるのだろう。

ならば、その技術は自分で模索し、編み出さなければならない。

・・・今の所、その手がかりはつかめていないし、検討もつかない状態だ。

とにかく、今は、地味なやり方で影獣を可及的速やかに発見し、退治するに勤しむしかない。


上を見上げて、折れ難そうな樹の幹を見つけ、横から茂る細い灌木の枝を見ずに払い、

「聞いていますか、足元の罠、踏みますよ」

「ぅあっ?」

やにわに肩をぐっと掴まれて、ウィルディムの声にハッと意識を戻された。

足元を見ると革でできた丸い輪と、それに繋がる弾力性のありそうな棒が灌木の元に隠されて地面に埋め込まれているのが見えた。

この輪っかに足を踏み入れると、仕掛けが弾かれ作動する仕組み。

自分の靴先はその一歩手前で止まっていた。

思考が過ぎて、ウィルディムの声が聞こえていなかったのに気が付いた。


「あ、ありがとうございます。・・・それにしても、ずいぶんとたくさん仕掛けられているんですね」

ウィルディムの手の中の地図を覗き込む。

「この所、晴れ間が続いていますから。猟師も罠を増やしたのでしょう」

曇りの日であれば影獣は出現しない、とされている。

事実、影の出ない曇りの日などは、ルシオス達の影に潜む影獣たちもその中から出て来ることはない。

猟師たちは晴れ間を縫って森へ猟に行く。

獲物を得る確率を上げたいのだろう。


「せっかくなら、影獣もひっかかってくれればいいのに」

猟師としてはそんなことにでもなれば堪ったものではないだろうが。

地面に仕掛けられている罠を避けて、「よっ」と力を入れて樹に登る。

選んだ樹は、周りのものに比べれば少し背が低めだろうか。

しかし、何も一番上まで登るわけでも登れるわけでもなし、ある程度見渡せる高さまで伸びている太い枝があればいい。

身軽かつ体重も軽く、ルシオスは枝に脚をかけ、手をかけた幹を少し揺らして強度を確認しながら登っていく。

辺りが開けて見える位置まで来たところで、よいしょ、と自分の胴体よりも太い枝に馬乗りになった。

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