第6話

「長かったですね」

大公の居住に隣接した執務棟を離れ、内城郭から帰宅する馬車の中。

向き合って座る執事のウィルディムが城門を出たのを横目で確認してから声をかけた。


公女オリヴィエから解放され、帽子に付けられた鳥の尾羽を引きずりながら。

這う這うの体で城門へ向かい、先んじて主の戻りを待ち受けていた馬車に、何もかも搾り取られたような有様でふらつきながら乗り込んだルシオス。

まさかドレス8着を着せ替えさせられていた、などと答えるわけにもいかず。


しかし眠くて頭のまわらないルシオスは、

「ダンスの練習の相手を所望されまして」

と適当に答え、きしきしと振動する窓枠に頭を持たれかけさせて目を閉じる。

このまま寝てしまいそうで、閉じた瞼を緩く揉む。


簡素なキャリッジの中、対面に座るこの黒服の男。

この、真鍮色の髪を後ろへ撫でつけている鉄仮面然の執事は、ルシオスが女であることを知らない。

古くからアッシーネ家に仕えている者であればこの秘密を知っている。

しかし、このウィルディム・ノルゼアは数年前に先代のアッシーネ当主であるルシオスの父、アヴェリアが他界した際に入れ替わるようにやってきたためその事実を明かされていない。


エンセィド大公国より北に位置する国を母国に持つという彼は、「私の出身国では使える主の身辺警護も執事の職務として定義されています」とのたまって、執事の身でありながら常に帯剣している。

出自について詳しく聞いたことはない。

本人が自ら話しているのも聴いたことがない。

しかし、育ちの良い家系の出身なのか、エンセィド大公国のしきたりや、慣例を含め教養にも造詣が深い。

そのため、早くして両親を亡くしたルシオスの教育係も兼任し、上手いことアッシーネの本来の執事である老エルギンとも協力して仕えてもらっている。


・・・と言うか見た目からして育ちが良いのは明らかだ。

まず、眼鏡を鼻に乗せ、くすんだ金髪は乱れることなく後ろに撫でつけられている。

眼鏡など、エンセィドで使う者はほとんどいない。舶来物だ。

使用している者がいるとすればほんの一部の貴族か金持ちの商家の家長だろうし、まず屋外で使うものではない。


そして、真っ黒の上下を身に着けて、濃灰のタイで襟の付け根を隠し、その柔らかい布地にアッシーネの紋章を彫ったピンを通している。

その黒衣だって明らかに上質な布を用いたもので、皺が寄っているのをルシオスはあまり見たことが無い。

確かに屋敷の老執事の方も似たような恰好をしているが、流石に紋章入りのピンまでは普段はしていない。

・・・別にそんなお仕着せはうちにはないのだけど。

日常であれば、衣服に皺が寄っていても咎める者なんていないのだ。


ルシオスが記憶している限り、ウィルディムはアッシーネ家にやってきて初めて会ったときからこの恰好だったから、きっと好きでこの恰好をしているのだろう。

家紋付のピンも、きっとどっかからか見つけてきたか、エルギン辺りが保管していたのを譲り受けたのだろう、とルシオスは勝手に検討を付けている。


「ダンスの練習とは・・・お相手を二時間もですか?」

「ん。あとお茶と雑談」

ルシオスは真正面からの胡乱げな視線を察し、少し居心地悪く感じ、片目だけ薄く開けてウィルディムの視線の意図を図ろうと観察する。

・・・疲れているんだ、という振りを忘れずに。

いや実際疲れているけど。


腿丈までの黒のフロックコート、その左側は腰からスリットが入っており、腰に下げた長剣が覗いている。

毎日ルシオスを扱(しご)くために用いているにも関わらず、その剣にはいつだって刃毀れはおろかくもりひとつ無い。


ルシオスが質問すれば打てば響くとばかりに答えを返すこの長身の男。

寡黙だとは言わないが、その表情が動くことはあまりなく、『鉄仮面』とは彼の為にある言葉なのだろうとルシオスは思っている。

しかし動かないなら動かないなりに微細な表情の変化はあるもので。


その灰色の目の動きや声色の寒暖で機嫌を判断することも、この約3年ほどの付き合いを経て、ルシオスには可能になってきた。・・・とも思っている。

感情の起伏や表情の変化をコントロールできるのは、上流の教育だとか、そう言ったことが要求される階級社会に慣れている証拠・・・かもしれない。

そんな気がするが、アッシーネが『上流の』貴族ではないため、ルシオスはそう推測するしかない。


とにかく、この男がにこりともしたこともルシオスは見たことが無い。

加えて。

年若い家長の背後に常にいて、その背丈、その見慣れぬ眼鏡を付けた存在感にも関わらずルシオスよりも目立つこと無く。

影のように気配を消していられる振る舞いは、ともすれば幼く、頼りなく見えてしまうルシオスが必要とするものを理解し、なお周囲から求められているものをも心得ているが故だろう。

そして、そのまま突然大公邸へ連れ立っても申し分ない洗練された所作の一つ一つ・・・。


完璧だ。

少なくとも、ルシオスを含めエルギンらアッシーネの家臣たちはそう思っている。

そんな執事に「出かける。ルシオス、馬を持て」と言われれば思わず「はーい、ただいま」と反応してしまいそうだし、たまにはそういう冗談でも交わしてみたいものだが、生憎とこの堅物執事にそういう諧謔や思考回路は備わっていないらしい。


密かな観察を終えて、ルシオスは再び目を閉じる。

結局、目の前のお目付け役が何を考えているか検討もつかなかった。

頭も回らない。

だがしかし、視線の痛さが変わらない。

何かを疑われているような気がする。

ウソを見透かされているような気がする。


・・・分かっていることもある ――― 良く形容すれば『真面目』なのだ。

ただし、『くそ』がつくほどに。

実際、頼りになるのは確かだが、年若い遊び盛りのルシオスからすれば、無愛想、冷血漢、陰湿、いけず、けち、朴念仁云々。

小うるさい目の上のたんこぶであることがしばしばで。


「雑談」

「はい。あぁ、そうそう。新しくドレスを手に入れたから、似合っているか見てくれ、って」

はたと思いついた嘘。

我ながら良い線だとルシオスはにやけかけ・・・実際にそれらを着ていたのは自分だと思い出して渋い顔になった。

自分の浅知恵がバレてないのを確認しようと薄目で確認した対面の執事の表情は相変わらず。

執事の視線の意図も皆目見当つかない。


「お綺麗でしたよ」

再び目をつぶり、添えるようにそう答えたはいいものの。

小さくため息をつかれた。

ウィルディムの質問が続く。

「ちゃんとお相手のドレスの裾を踏まずにステップを踏めましたか」

嘘の処理と眠気のせいで頭が回らなくなってきたのを感じながら。

あんなのどうすれば踏まずに歩けるというのか、と着せられた白いのやら桃色のやらを思いだしながら生返事する。

「ん・・・まぁ」

「公女のリードはきちんとできましたか」

「まぁ、たぶん・・・」

いや全然。というかむしろリードされてされるがままにされていた気がする。

「・・・・・・・・」


会話が途切れた。

だが、ルシオスの居心地の悪さは変わらず。

なんだか、まだ、じっと見られている。

目線の先はルシオスのタイ。・・・の少し下。

薄目で見ると・・・ジャケットの合わせから覗くウェストコートのボタンが掛け違っている。

なんとなく、帽子を引き寄せて腹の上に置いて隠す。

これで止むかと思ったものの、まだウィルディムの灰色の眼の視線がルシオスに注がれている。


今度は何か、とそれとなく首を動かして見る。

・・・右のカフスの向きが内外間違っているのに気が付いた。

「・・・・・」

普段動かない執事の表情の、眉根がかすかに動いた気がする。

嫌な予感。


「ちょっと・・・何か変な想像してます?」

回らない頭をなんとかひねり出したけん制の言葉。

「変な、とは?」

茶を飲むのにも、オリヴィエがドレスを着替えるに付き合うのも、カフスボタンを外す必要はない。

ダンスだって、ウェストコートのボタンを掛け間違うようなことにはならない。

――― 服を脱いだのでなければ。


まずい、バレたらマズイ。

かなりマズイ。

バレたら締め上げられる。

女用のドレスを何着も着ていた、いや、着せられていたのだとしても、バレたら絶体絶命になる。

そして眠い。

それもマズい、これ以上は墓穴を掘りかねない。


「いえ。何でもないです、お気になさらず」

強制的に会話を終わらせて、もう寝てしまえと目を閉じた。

ごとごとと心地良く揺れる馬車の中、分が経つのを待たずしてルシオスは意識を手放した。

執事の漏らした溜息を知ることなく。

眠りについたルシオスは自邸に着くまで目を覚まさなかった。

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