第5話

当代では7人からなる影獣騎士。


その中央に立ち、6人の騎士を統括し、それに従う影獣全てを統べることができるのはアッシーネという特殊な血筋を引く男子であるとされている。

より言葉尻を正確に記するのであれば、『男子でなければならない』とされている。


その明確な理由は判然としていない。

今まで女子が影獣騎士の長になったことがなかったためだ。

ただ、アッシーネでは、影獣が騎士となった女子を襲うか、もしくは忌み嫌うと代々言い伝えられている。

それは影獣騎士の長であるアッシーネに限らず、影獣を使役する騎士達の血筋にも当てはまる。

唯一例外として「カルマトニエ家」だけが女子の影獣騎士を輩出し、その使命を継ぐことが可能だが、基本的には騎士は代々男子のみに継承されてきた。

先代のアッシーネ当主、アヴェリア・アッシーネも当然跡継ぎには男児を、と考えて疑わなかった。


しかし天の意思の気まぐれはいつだって人を翻弄する。

残念ながら先代アッシーネ夫妻は女児しか授からなかった。

アヴェリアの妻はルシェラを出産した後、産後の回復過程で病を患って他界。

その後、後妻を娶る選択をする暇もなく、アヴェリアもとある悲劇を原因にして齢四十にして夭折することになる。


相続の問題のために、男女を問わずわが子の出生や性別を一定年齢まで隠す貴族は少なくない。

加えて、多くの貴族は幼いころ、本名に加えて幼名を授けられる。

ルシェラの場合、幼名はメルキース ――― 幼名は、男児とも女児ともとれる名を付けられるのが一般的だ。


例外に洩れず、万が一に備えて出生を公にされていなかったルシェラ=メルキースだったが、アッシーネ家が回避しきれなかった不運の代償として、男児として名を変え、ルシオス=メルキース・アッシーネとして育てられることになり、そしてアッシーネの影獣たちを継承した。

前例のないことであり、何か良からぬことが起こる懸念はあったものの、継承そのものは問題なく行うことができた。


しかし、ルシオスの性別を知るアッシーネと、エンセィド大公国の重鎮は念には念をいれる手段を取った。

――― 男として育てられることになった日から、ルシェラには強力な暗示がかけられた。


断腸の思いで愛娘を男児として育てる決断をした先代アッシーネ当主。

彼と大公、そして宰相ら一部のこの秘密を知る者たちは、人智の限り、思いつく全ての術(すべ)を動員して、この若い、偽りの性を与えられた影獣騎士を影獣から守ろうとしたと言う。


「何か違和感があるわね、このドレス。次、スミレ色のそれ」

「・・・・・・」


苦手な食べ物を前にしたような表情で新たなドレスを見やるルシオス。

まるで視線でそれを焼き焦がせたら、とでも思っていそうな面持ちだ。

見なかったふりしてオリヴィエは背中の留め金を外してやる。


中性的ではある。確かに「男の子」としても通用する。

だが、ドレスを着せれば十分「女の子」に見える。

父である大公たちが、ルシオスに何をしたのかは知らない。

しかし、おかしな噂は聞いたことがある。


――― もし市井に知られれば、アッシーネは淫祠邪教に傾倒したか、と陰口をたたかれかねない形振(なりふ)り構わぬ手段の数々。


そう言ったものすべてを秘密裏に、幼いルシェラの背中に背負わせたのだ、と。

その結果、今のところ『ルシオス』として、影獣騎士の長として、影獣たちを使役する使命を果たしている。

しかしやはり森羅万象・自然の摂理に反することを施しているためであろう、婚姻適齢期の入り口にも入ろうとする実年齢にそぐわぬ容姿。

アッシーネの代々の血筋と比べると、先祖がえりや隔世遺伝も言い訳にできないほど身体の成長が異様に遅い。

毎日の稽古の割に筋肉のつかない腕や胸板、伸びない身長、膨らまない胸、すとんとしたままの腰つき。

月の障りも未だに無いらしい。

青年になることどころか、女性にもなることを拒まれたような、どちら付かずの体つき。

身長はかろうじてオリヴィエの頭頂を越える程度 ――― アッシーネは代々男女ともに長身だ。

にもかかわらず。


また、ルシェラ本人も人に知られてはいけないという認識がきちんとあるようで。

しかし一方で、自分が男であると思って疑わず、女であると指摘されることを嫌がる節がある。

――― 身体的構造の違いに疑いを持たずに、だ。


オリヴィエからすればルシオスの発言は矛盾に満ちており、どうして女であることを否定し続けられるのか理解に苦しむ場面もあるのだが、ガーラントを含めこの機密を知っている者たちは「そういうものである」「それで影獣を扱えるならそれでよし」とそうっとしておくことにするのを暗黙の了解としていた。


ルシオスの暗示に影響を及ぼしかねない、本来の性別を認識させかねない危険な戯れであるかのようなオリヴィエによる『女装ごっこ』。

本当はしないほうが良いのだろう。

だが、ルシオスを見ている限り、本当に『女装させられている』としか思っていない様子だ。

・・・だから、オリヴィエは、こうして嫌がるルシオスを捕まえてはドレスを引っ被らせている。

ささやかな、年齢相応の憤りゆえに。


「別に、嫌なわけじゃないよ。前に仕事で着なきゃいけないこともあったし、そういう時は四の五の言ってる場合じゃないし。」

「だったらそんな嫌そうな顔をせずにもっと着てみせて?」


何に対する憤りかは、オリヴィエ自身もよく分からない。

ただ、自分だけは、ルシオスの本当の姿を、本当の在り様を、と想う。

誰も彼もがルシオスを男として扱おうとも、ルシオス本人ですら女であることを忘れ去ろうとも。


「何で、僕が。好き好んで着てるわけじゃないんだって。それに邪魔だよ、こんなふりふりでふわふわな服。これじゃ樹にも上れない・・・」

ぐるぐると、装飾をつまんでその場で回って見せる。

不満な表情だがオリヴィエから見ると「可愛い」。

ボリュームのある装飾が重いと感じるらしい。

スカートの長さを睨みながらぶちぶちと文句を言っている。

「式典で着る正装の上衣より重いんだけど!」

「そう?」


それを適当にあしらいながら、オリヴィエは脳裏でルシオスの発言を反芻する。

嫌いなわけじゃないのに、好んで着るわけでもない。

・・・否定するわけでも肯定するわけでもない、なんとも腑に落ちない応えだが、このあたりを詳しく追究しようとしても、いつだって要の得ない会話にしかならないことをオリヴィエは知っている。

だからこれ以上は追究しない。


諦めたのか、だんだんルシェラも文句を言うのは顔だけになり、おとなしく言われるがままに着せられては脱がされてを繰り返す。

・・・そういうところを見ると、やはり女の子として、実は楽しんでいるんじゃないのか、などと思わないわけでもないけれど。


「やっぱり赤毛は意匠と色を選ぶわね」

指でつまんだルシオスの人参色の癖毛をくりくりと玩びながら、癖のない見事なブロンドを持つ公女は呟いた。


上手く飾り立てればどんな貴族の女子にも負けないほど可愛くなるはず、とオリヴィエは見立てている。

着せ替えの甲斐がある。まだまだ。

「ただでさえ赤毛のアクセントが強いのに癖もあるからフリルがありすぎると毛羽くなっちゃう。・・・じゃあ、次はこれを着てくれる?」

と、薄桃色のドレスを突きつける。

「あの、オリヴィエ。僕もうそろそろ限界で・・・執事も待たせてるし」

「あ、そうだ。ねぇ、口紅だけでも塗ってみない?」


眩暈を覚えたルシオスは、なんとかその場に踏みとどまる。

駄目だ、ここで意識を飛ばしたらたちどころに襲われる。

化粧なんてされたら、されたところを見られたら、あの堅物執事に締め上げられる・・・。


この公女を含め貴族の女子たちは普段、人前に出るとき一体どれだけの試着をしているのだろう・・・そんなことをぼんやりと、遠くなりかけた思考をしながら、ルシオスは6着目のドレスを押し付けられて。

そしてさらに2着のドレスを頭から被されたところで、公子のガーラントがやって来てこの災難から救ってくれた。

「オリヴィエ・・・、そろそろ帰してあげなさい」

こうしてルシオスが公女から解放されたときにはすでに2時間以上が経過していた。




「・・・次こそ絶対完成させてみせるんだから」

髪の毛を乱雑に結んでへろへろと退出していったルシオスを見送った後、オリヴィエが呟く。

「お前ね、あんまり可愛がりすぎるのはおよしと言っているだろう」

呆れた表情で妹と散らばっているドレスを見やるガーラントだが、うまくルシオスをオリヴィエから逃がしてやれなかった責任が自分にもあることに気付いてこめかみを揉んだ。


「そんなこと言っても・・・大体、いったいいつになったらルシェラはこの状態から解放されるのです?あの子は女の子なのよ?」

「気持ちはわかるけどね。でも、今『彼』を失うわけにはいかない。だろう?影獣騎士の代わりに成れる者は誰ひとりとしていないのだから。それに、ルシオス本人だってさほど気にしてはいなかろう?」

今のところは、と付け加える。

むしろ女扱いされるのを嫌がっていたとも思える挙動を思い出し、当面の間は問題がないだろうと判断する。

ガーラント達としては、そう判断せざるをえない。

・・・・今のところは。


しかしオリヴィエからしてみれば、それこそが問題なのだ。

唇を引き結び、フイと顔をそむける。

ルシオスの後ろ腰についている双振りの長めの短剣を思い出す。

自分があのアッシーネの若に思い入れ入れすぎているのは分かっている。

エンセィド大公国に限らず、軍属すると言わずとも女性が帯剣して同性の貴人の警護に当たることも良くある話だ。

だが、真実を知っている者も、知らぬ者も、彼女(ルシェラ)を男扱いする。

さらに悪いことに、ルシェラ本人ですらそう思って疑わない状態だ。

だからオリヴィエは、せめて自分だけでも彼女の真の姿を、と強く想う。

「そんなこと言って。このままではアッシーネの血が途絶えかねないのも事実でしょうに」

感情的な意見を何とか押しとどめ、理性に鞭打ち公女らしい指摘を兄にぶつけた。


父に代わって政務の補佐の場に出ることが徐々に増えてきた兄はオリヴィエの内心を読み取ったらしく苦笑する。

「だからそのために探させているんだろう?アッシーネの子女を影獣から解放する術を」

己の胸より少し下、眉根を寄せてそっぽを向いた妹の頭を軽く叩く。

そして脳裏で、遥か遠くを旅する者に思いを馳せる。

――― ルシェ、早く帰って来い

微かな声は口蓋から漏れず、オリヴィエの耳には届かない。

無意識のうちに右袖の中に隠された小刀に左手が触れていた。

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