第4話

公邸の、長い廊下。

束ねられた厚いカーテンを暖めて、背の高い窓から差し込む日差しが燦々と。

葡萄酒色の絨毯の整えられた毛艶が、日差しを柔らかく照り返し、日の光を浴びた埃が静かに辺りを漂う。

そこを早足で突っ切って歩く娘と、連行さ・・・引きずられるように歩く若い貴族が一人。


公女に手をぐいぐいと引っ張られながら、ルシオスは普段大公一族と一部の重臣、そして身の回りの世話をする者たちしか使う事のできない廊下を歩いていた。

いや、歩かされていた。

そしてそのまま、有無を言う隙も無く、上機嫌な公女にある部屋の中に引きずり込まれる。


「ここしばらく来てくれないんだもの。試してみたいものがいっぱいたまっているんだから!」

拗ねたような口調だが、その麗しい高貴なかんばせには喜悦の笑みが浮かんでいる。

一見、似姿絵にでも起こせばさぞかし素晴らしい絵になるだろう程に可憐で上品な微笑だが、ルシオスにとってはたちの悪い悪魔の笑みにしか見えない。

その悪魔が扉を閉めて、引っ張っていたルシオスの手をぎゅっと握り直しめた。

そして唇どうしがくっつきそうなほど近づいて。

「さ、服脱いで」


ぞぁっ、と背筋を色々な何かが駆け上がり、ルシオスは凍れる彫像と化した。

それを後目に軽やかにクローゼットに駆け寄ると、その扉の中からいくつものドレスを持ち出してくる。

赤いのやら、白いのやら、菫色やら、水色やら。

色とりどりだ。

両手にそれらを抱えた公女は、まるで大きな花束でも抱えているかのよう。

それはまぁ、とても愛らしい光景なのだけど。


「・・・ねぇ、オリヴィエ。毎度のことだしなんて言われるか予想はつくけど・・・嫌って言っちゃだめ?」

絶対「ダメ」って言われる。

・・・なんだか、同じようなことをつい最近も思った気がするが。

きっと結果も同じようになる気もする。

そう思いながらもルシオスは半ば諦めた表情で公女の反応を伺う。

が、

「私が脱がしてあげてもよくてよ?」

「―――!!?」

ドレスを抱えたまま振り向いて答える少女の表情は何故か嬉しそうだ。

頬まで薔薇色に紅潮している。


――― ダメだ・・・。

これ以上粘っても、先ほど逆立った髪の毛がこのままではすべて抜け落ちてしまうだけだ。

予想を一つも二つも飛び越えた返事に真っ白になったルシオスは、今度こそ諦めて、というよりも慌ててウェスト・コートのボタンを外し始めた。


後ろ腰の短剣とベルトを取り、自身の眼の色を思わせる緑玉の嵌ったピンを外して。

襟からタイも引き抜き。

カフスボタンも外していく。


ルシオス・アッシーネは一般に、男子であると周囲からは認識されている。

『アッシーネの若』と、城下町や城内・大公邸を歩けばそう呼ばれる。

後ろで結わいた癖の強い外跳ねの赤毛。

胸板の薄いひょろりとした体つき。

実をいえば年齢的には少年というよりは青年へと移行する年頃で、去年早めの社交界入りも果たしている。

しかし年齢の割に平均よりも幾分低い身長のせいで ――― とりわけ常に横か後ろに張り付いている、背丈のある執事ウィルディム・ノルゼアや、他の影獣騎士たちと比べられてしまうせいで ――― 人々からは伸び悩みの成長期なのだと思われるか、もしくは未だに少年扱いされている。

変声期を迎えていない声ではあったが、高すぎもしない声色であるため、それ以上の可能性を考慮するものは誰一人としていない。


だが今、ルシオスの眼前でドレスを抱えて嬉々とした表情を浮かべる公女オリヴィエは知っている。

オリヴィエだけではない。

何人かの限られた者たちはルシオスの正体を知っている。

そして、それをエンセィドにおける最重要機密の一つとして扱っている。


ボタンを外し終えた厚めのシャツをソファに落とすと、ルシオスの上半身を覆うさらしが露わになった。

ほぼぺたんこ、ではあるが全く凹凸が無いわけではない。

しかしシャツは厚く、いつものお仕着せとして少なくともウェストコートを着ているため、仮にさらしの類が無くても気付かれることはないだろう。

溜息をつきながら、もう一度、最後に問う。

それは臣下として、また、『男』としては当然の問い。


「ねぇオリヴィエ。未婚の女性、しかも大公のお姫様が、臣下を私室に連れ込んで服を脱ぎ散らかしてるのはやっぱりちょっと良くないんじゃないかと思うのだけど」

「ルシオスだもの、問題無いわ。脱いでるのは私じゃなくてルシオスなんだし・・・」

しかし。

改めて部屋をぐるりと見回してみると ――― ソファに雑に置かれて裾が床に広がるドレス、慌てて脱いだウェストコートやシャツもが散らかっている。

今誰かが突然この部屋に入ってきたら「一体何事!」と目を丸くした後、とりあえず公女を庇いルシオスを引っ立てていくことだろう。

だが、

「いいんじゃない?」

「いくない!!」

「嫌?」

「~~~~~ッ!!」


絶句してのけ反るルシオスを無視して、何の断りもなく赤毛を束ねる髪留めを奪い取ると、その肩口より少し長い髪がばさりと広がった。

「バッスルは私一人では着させてあげられないから許してね。・・・さ、ルシェラ、何色のドレスから着てみたい?」


影獣騎士の長である若きアッシーネ家当主代理、ルシオス=メルキース・アッシーネこと、ルシェラ=メルキース・アッシーネ。

彼女は寝不足であることも思い出し、小さくため息をつくと、半ば自棄になって、じゃあ若草色のドレスから、と目を輝かせるオリヴィエに伝えた。

せめて化粧は勘弁してくれ、という切実な嘆願だけはなんとか受け入れてもらえた。

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