第3話

幾つかの隣国と、前人未到の広大な森に囲まれた国、エンセィド大公国。

この国には時折奇怪な出来事が起こる。


それが何処より現れるかは明らかになっておらず、あるときはエンセィド大公国の背後に迫る森から、またあるときは国境付近の林から、城壁を越えて城下町へとやってくる。

そして不幸にも行き遭った者を襲い、さらに運が悪いものは命を落とす。

―――『影』が人を襲うのである。


それは『獣のような影』――『影獣』―― と呼ばれ、森に住まう熊や狼などの野獣以上に恐れられており、猟をして生計を立てる者であれば専ら曇りの日か、もしくはめったに降らない雨の日を選んで森へ行く程の不便を強いられている。


一方で、この国には影獣騎士と呼ばれる者たちがいる。

影獣騎士たちは自らに忠実な影獣を己の影に住まわせて、それらを使役することで人に危害を加える野生の影獣を狩り退ける。

影獣に対抗せしめるエンセィド大公国民の盾であり剣にして、唯一の手段。

それが影獣騎士。


そして、影獣騎士を代々統括し、その影獣全てを使役することができるのが、アッシーネという特殊な血筋を引く男子であるとされており、現在その役目を負っているのがルシオス・アッシーネ――赤毛を持つこの若い少年である。


「それで、今回の影獣はなんだったんだい?」

「なんだかやたらと喧しいやつでしたね、一見鳥っぽいのですが・・・随分と翼の先端が固くて鋭利な。そんな感じの影獣でした。」

「鳥か。そういうのもいるんだな。では、いつも通りアシュインへの記録も頼んだよ。あとは、今のところは大丈夫だ、他に影獣の目撃情報ない。」

またしばらく『はぐれ』が現れないと良いね、と結んで。

ルシオスと対峙する若い男が柔和な笑顔を見せた。


アッシーネ配下の騎士達が使役する影獣たちに対して、人に害為す影獣のことを人々は『はぐれ』だとか『野生の』と形容する。

もしくは単に『影獣』と呼んでいる。

『はぐれ』の影獣による街村への出現頻度はそう高くはない。

しかし「光在るところに影は在る」もので、影獣の出現とて野生の獣のそれと同じく神出鬼没。

昼はもちろん夜であろうと、星明りの強いこの土地では影獣の出現は昼夜を問わない。

朝陽を浴びて森や街へと、陰を伝って忍び寄り、南中の陽の下で人を襲い、群雲より月明かりが差し込めば月夜にそぞろ歩く。

生態はよくわかっていない。

何故、人が襲われるのかも不明。

だから、夜歩きをする者はこのエンセィドではルシオスたちや当直の兵士等を除いてほとんどいない。

はぐれの影獣全てが人に害為すわけではないが・・・。


「今回は大した被害もなく、軍部の人間が数人軽傷を負っただけで済んだ。いつも通り迅速な対応をしてくれて助かったよ。」

ひとたび目撃証言や「出会え!」と声がかかれば早朝だろうが深夜だろうが、それは影獣騎士の「狩の刻」となる。

生身の人間ではいかな屈強な兵士であろうと、いかに手練れの剣士であろうと手におえる類のものではないからだ。

――― それを追い、狩り、屠る。

それがルシオスを筆頭とする影獣騎士たちに与えられた任務である。


「殿下のご厚意と手配のお陰です。マード軍師からすぐご連絡いただけましたからね。それでこちらもすぐ動けました」

「そうだな・・・余計な経路を経由しないで伝達が行くと、やはり早い、か」

ところで。

『影獣騎士』と物々しい呼名とは裏腹に、身体構造上は普通の人間と相違無い。

故に眠れぬ夜が続けばノイローゼになるし、無理がたたれば衰弱死・過労死することもある。

古い過去には、責任感が強すぎて徹夜で影獣の出現を見張っていたがために睡眠不足で体調を崩し、泣く泣くその任を解かれた騎士もいると言う。


昨晩、深夜過ぎまで神経を張りつめて影獣を追い立てて、興奮状態に陥ってしまったルシオス。

その後、件のように執事に帰邸を促された後、渋々床にはついたものの、興奮は引かず昼夜逆転しかかった。

それを朝になったらまたしても無理やりベッドより引っぺがされて、やはりいつもどおり容赦の無く執拗な稽古に付き合わされて・・・今必死にあくびを噛み殺していた。


エンセィドを統べる大公の白亜の住まい。

それを囲うようにして建てられている城郭は、大公が執務で使用するための部屋や、儀礼用の広間、晩餐室などを揃えている。

その内にいくつか誂えられた謁見用の部屋の一つにて、ルシオスは背後に執事を従えて、昨晩の任務完了の旨を報告中であった。

その真っ最中に欠伸などと、そのような無礼は許されない。

・・・許されない、いや、断じて・・・。


「っぅく・・・・」

「眠そうだね、ルシオス。我慢しなくていいよ?」

・・・横を向いて噛み殺すのを見られてしまった。

今までのどこか形式めいた口調と相好を崩して、ルシオスが殿下と呼んだ男、エンセィド大公の第一子であるガーラントが欠伸を許可する。

「我慢している君を見ているとなんだかこっちまで・・・」

ねぇ?と、隣に立つ長髪の老騎士と苦笑し合う。

だが仮にも大公の次代第一後継者である公子さまの御前で「じゃあ遠慮なく」などと言えるはずもない。

いや、ガーラントがそう言うのなら欠伸くらいしても構わないのだ、とルシオスは知っている。

この7つ年上の公子は影獣騎士の仕事を十分理解してくれている。

しかし、ルシオスの背後から執事のウィルディムが送ってくる無言の圧力がそれを許さない。


「いえ、大丈夫です。お気遣いいただいてしまい恐縮です」

目尻に小さな涙粒一つ。

言いながらもまた一つ大きく口を割って声が漏れそうになり、我慢したため棒読みになった。

後ろに控える従者から睨まれているのが分かる。

昨晩、仕事を終えた後に遊びに行こうとしていたのが悪いのだ、と、「言わんこっちゃない」と言う声まで聞こえてきそうな威圧感。

それに対抗し、奥歯を噛んで欠伸を噛み殺す。


「そうかい?でもまぁおかげで今夜はゆっくり寝れるだろう。父上と軍部には私とヨンヌから報告しておくから、今日はもう退出して構わないよ」

そう、本来であれば目の間にいるのは大公本人であったはずだった。

もしそうであればこのように優しい言葉はかけてもらえなかっただろう。

しかし大公は貴族の来賓で予定が詰まっているらしく、代わりに、いずれ大公の位を継ぐであろうガーラントがルシオスの応対をしていた。

別段、珍しいことではない。前回もこうだった。


「あ、ありがとうございます。それでは大公陛下によろしくお伝えください。ヨンヌさん、マード軍師にも何かあればまたすぐにご連絡いただけるよう言伝お願いしますね」

「確かに承りました。軍師も彼らには手に負えぬ影獣に部下が襲われることを憂いておりました故。我々と軍部がより協力して連携が取れるよう、私から話を通しておきましょう」

退出を許可されホッとしたように頬を緩め、羽根つき帽子を手にしたルシオスが声をかけたのは、ガーラントの傍らに控える老齢の影獣騎士。

先々代のアッシーネ当主にも仕えていた最古参の影獣騎士である。

彼は主に、大公邸内に居て『はぐれ』の影獣の出現・侵入を監視しながら、若いルシオスの代わりに影獣騎士の代表として大公や政武の長とやりとりをしてくれている。

昔は一つ渾名を持つほど名の通った騎士だったようだが、最近の口癖は「疲れた」だとか「早う引退させてくれ」だとか云々で。

ルシオスの顔を見るたびに、その少し馬面気味の長い鼻筋一杯にため込んだため息を吐いて見せるので、アッシーネ当主代理であるルシオスのちょっとした頭痛の種になっている。

が、しかし流石にこのような場では癖の無い白髪の、長髪同様に背筋をぴんと伸ばしている。

そのすでに亡き祖父ほどにも歳の差のある老騎士にも礼を告げ、それでは、とウィルディムを従えて退出しようとした矢先であった。


「あら、ルシオス、もう帰っちゃうの?」

ぎくり、と呼ばれた当のルシオスの背中が強張る。


いつの間に室内にいたのか。

声はガーラントが座る椅子の後ろの、緞帳から。

奥の部屋への通路を隠す、深紅地に金の刺繍の厚いカーテンに、その場にいる者すべての眼が注がれて・・・そこには金髪の女子がいた。


視線の焦点になっていることを意に介する様子も無く、手にした象牙の扇子を口元に当てて、

「兄様、お話が済んだらルシオスに声をかけてくださるようお願いしていたのに。お忘れになるなんてひどいわ」

「オリヴィエ、お前、いつからそこにいたんだい?」

「話をお逸らしにならないで」

「いや、決して忘れていたわけではないのだが・・・」

歯切れ悪く、その柔和な目元にすまなさそうな表情を浮かべるガーラント。

どちらかというと、憐みの視線。

それは、拗ねた口調とは裏腹に機嫌良さげな妹よりも、突然そわそわと逃げ道を探して目を泳がせ始めたルシオスに向けられた。


オリヴィエと呼ばれた娘は満面の笑みでルシオスへと歩みよって。

「ごきげんよう、ルシオス」

「ご機嫌麗しゅう、オリヴィエ公女」

引き攣る頬を隠すように、ルシオスはそそくさと腰を落とし、差し出された手を取り格上の女性への礼をした。


その玉のように輝く公女と、まだあどけなさの残るうら若い赤毛の騎士。

はたから見れば何とも微笑ましい光景。

唯一、若騎士の視線が助けの一声を求めて微かに彷徨っているのが不釣り合いだ。

「まだ夕刻までには時間があるわ、よかったらお茶でもいかが?」

というかお茶付き合え。

公女は圧力を隠そうともせずに言う。

・・・嗚呼、捕まった、と思ったのは、きっとルシオスだけではない。

だが悲しいことに、結果誰一人として助け舟を出そうとする者はいなかった。


「・・・喜んでお供させていただきます」

頬の端を小さく痙攣させたまま、器用に乾いた笑みを張り付けて告げると、ルシオスは執事のウィルディムに付き人用の控えの間で待機しているよう指示を出した。

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