「縄墨」の章
保険
今日も南洲本家に石川がいると言う。
篠村を介して、石川と斎藤が繋がっているのではないかという祓川の考えを鈴木に伝えたところ、「宮川君、それは石川が犯人であると仮定して、初めて成り立つ説だよ。祓川さんは石川が犯人だと決めつけているようだけど、現時点では遠藤の容疑が晴れただけで、石川が犯人だという証拠は上がってきていない。せいぜい、浅田から逃げていた遠藤の逃亡を助けというだけで、それも被害届が出ていないから、逃亡幇助罪には当たらないよ」とやんわりたしなめられた。
祓川に影響されて、石川が犯人だと思い込んでいたようだ。
Nシステムの件については、「それは凄い!流石は祓川さんだ」と鈴木は手放しで誉め称えた。「写真に写っていた人物が誰なのか確認する為に、南洲家に向かっている」という話をすると、「誰だか分かったら、こちらにも教えてくれ。今の話、それに篠村のことも、管理官に伝えておく。まあ、石川が犯人かどうかはさておき、斎藤と繋がりがないか、こちらで篠村に当たっておくよ」と言って電話を切った。
「ハンドルを握りながら携帯電話はダメだ」と言うので、車を停め、宮川が鈴木に電話する間、祓川は助手席で大人しく座っていた。
車をスタートさせながら、宮川が言った。「あいつ、南洲家に居座るつもりですかね」
宮川の言葉には答えずに、助手席で祓川は携帯電話を弄っていた。口角が僅かに上がっている。笑っているのだ。奥さんか娘さんにメッセージでも送っているのかもしれない。
「でも、Nシステムの写真を見る限り、南洲社長を殺害したのは、写真に写っている人物だと考えるのが妥当なような気がします」
祓川がまだ、石川が犯人と思っているのかどうか気になった。遠藤の件は、祓川の見込み通り無実だった。恐らく、犯人として仕立て上げる為に仕組まれたのだろう。遠藤はその罠にはまった。
そして、今、新たな容疑者が浮上して来ている。祓川がそれをどう考えているのか知りたかった。
「うん?」と祓川は携帯電話から顔を上げると、「それを確かめに南洲家に行くのだ」と答えた。答えになっていない。宮川は勇気を振り絞って尋ねた。「石川が犯人なのでしょうか?」
「遠藤を自分のアパートに匿ったのは誰だ? 守弘が呼んでいると会社に誘き出したのは誰だ? やつを罠にはめた人物が誰なのか考えれば、自ずと犯人が誰なのか分かるはずだ」
祓川は石川犯人説を捨てていないようだ。
車が南洲家の庭に滑り込む。相変わらず、不気味な屋敷だ。この一角だけ、音がしないのだ。鳥や虫の鳴き声すら聞こえてこない。まるで、防音壁が周囲に巡らされているかのようだ。南洲家は静寂の中に沈んでいた。
相変わらずスポーツ・カーが一台、停まっている。石川の車だ。
「やあ、刑事さん。またお会いしましたね。今日はどんなご用件でしょうか? もういい加減、十分なくらい、捜査には協力したと思うんですがね」南洲家では、石川が何時もの、にやついた笑顔を顔に張り付けながら二人を出迎えた。
「殺人事件の捜査です。よろしくご協力下さい。今日は、あなたに見て頂きたいものがあって、お邪魔しました」
「僕に見せたいもの? はて、何でしょう? まあ、いい。こちらへどうぞ」
何時もの応接間のいつもの場所に腰を降ろすなり、祓川が言った。「石川さん。玄宗さんと言った方が良いのでしょうかな。守弘さんの会社の防犯システムに外部からハッキングされた形跡が見つかりました。土曜日の夜、南洲氏の死亡推定時刻の防犯カメラの映像が書き換えられていたようです」
「えっ!」と石川は大仰に驚いて見せてから、「防犯カメラの映像が偽物だったということですか? へえ~そうなると、どうなるのですか?」と尋ねた。
見え見えだ。防犯システムへのハッキングがバレたことを知っていた。
石川と篠村が繋がっているのなら、防犯システムの細工がバレたことは、既に連絡がいっているはずだ。やはり、二人は繋がっていると、石川の様子から、確信できた。
「我々は、南洲守弘氏は別の場所で殺害され、遺体が会社に持ち込まれたのではないかと考えています」
「別の場所で殺されたのですか? それは一体、何処ですか?」
石川の質問を無視して、祓川はNシステムが撮影した写真をテーブルの上に広げると、「玄宗さん。これを見て下さい。ここに映っている人物、この車を運転している人物が、誰だか分かりますか?」と言った。
石川相手に手の内は見せられない。
「映っている人・・・う~ん。あっ!これ、この人は・・・多分、間違いないと思います。いや絶対にそうだ」
「知っている人物ですか?」
「はい。よく知っています。南洲隆也さんだと思います」と石川がテーブルの上の写真から顔を上げて言った。
「南洲隆也――⁉」
南洲隆也は七代目当主、隆正の弟で、八代目当主、則天の叔父だ。一族の長老と呼ぶべき人物だ。
「はい。隆也さんです。これ。間違いありません。でも、一体全体、何故、隆也さんが守弘さんの車を運転しているのでしょうか?」
「おや、私は車を運転している人物と言っただけで、南洲守弘氏の車だなんて、一言も言っていませんよ」
流石は祓川。証言の矛盾を聞き逃さない。
「嫌だな~刑事さん。これ、守弘さんの車でしょう。見たら分かります。何時も守弘さんが乗って来ているセダン車ですから。違うのですか?」
「南洲守弘氏の車です。あなたは他人の車のナンバーまで覚えているのですか?」
「だから、守弘さんが乗っていた車と同じだったので、そう思っただけですよ。私、車に詳しいもので、ちょっと見ただけで車種まで分かります」
「ところで玄宗さん。あなた、隆也さんとほぼ同時刻に、都内に車で向かっていますね?」そう言って、Nシステムが撮影したもう一枚の写真をテーブルの上に重ねた。
石川の表情が微かに動いた。
写真にはスポーツ・カーを運転する石川の顔がはっきりと映っていた。宮川も驚いた。写真がもう一枚、あるなんて知らなかった。そんなこと、祓川は一言も言っていなかった。
何時も南洲家の玄関前に停めてある車だ。あの車が石川のものだと見当をつけ、守弘の車と一緒にNシステムを当たってみたのだ。
宮川がいない時でも捜査を続けている。一体、何時、祓川は休んでいるのだろうか。
「ああ、ええ・・・そう、横浜にあるアパートに行きました。法事が終わったので、アパートに戻っただけですけど、それが何か?」
「横浜のアパートは遠藤康臣に隠れ家として貸し与えていましたよね? 日曜日だと、遠藤はあなたのアパートにいたはずです」
「別に、私のアパートですよ。何時戻ろうと、私の勝手です。康臣がいたからって、戻ってはいけないということはないでしょう」
その通りなのだが、違和感が残る。
「遠藤康臣に話でもあったのですか?」
「別に――」と石川は言葉少なめだ。
「横浜のアパートに行かなったのではありませんか? 吉祥寺に向かったのでは?」
吉祥寺には守弘の会社がある。
「いいえ」饒舌な石川がしゃべらなくなった。
言葉尻を捉えられたくないのだ。
「そうそう。遠藤がようやく自供を始めましたよ。南洲守弘氏を殺害したのは、自分ではないと言っています」
「馬鹿な。あいつですよ」
「会社を訪ねたのは土曜日ではなく、日曜日だと言っています。そうそう、日曜日の夜、九時に会社で待っていると遠藤に伝えたのは、あなただそうですね?」
「私――⁉ 刑事さん。善良な市民の僕より、あんな犯罪者の言うことを信じるのですか?」
石川が善良な市民かどうか、まだ分からない。
「遠藤がそう証言しているのです」
「知りませんよ。私はそんなこと、あいつに言ってなんかいない!」
白を切り通すつもりのようだ。祓川は話題を変えた。「先日、南洲隆也氏のお宅にお邪魔した時、お留守でしたが、今はご在宅ですかね?」
「さあ~行ってみないと分かりませんね。暫く、会っていませんからね。自宅の場所はご存じですよね? 刑事さん。隆也さんの家に行って、確かめてみたらどうです? どうせ鍵は掛かっていませんから、留守のようなら、中でお待ちになって構いませんよ」
何処か挑発的だ。
「分かりました。我々で、ご自宅を確認させてもらって構わないということですね」
「ええ、隆也さんも良い年だ。家でひっくり返っていると大変だ。しっかり見て来てください。刑事さんたちなら安心だ」
「今から行って、確かめてみます」祓川が挑発に乗った格好になった。
結局、二人は追い出されるようにして南洲家を後にした。
分家の南洲隆也家へ向かう。本家が所有する畑の一角が割譲され、隆也が所有する畑になっている。その畑の真ん中に隆也家がある。
玄関で呼び鈴を鳴らしたが、反応がなかった。
「鍵は掛かっていない」と言っていたが、確かに玄関に鍵は掛かっていなかった。
引き戸を開け、「南洲隆也さん。いますか~?」と奥に向かって叫んだが、返事はなかった。留守のようだ。
「お邪魔させてもらおう」祓川は三和土で靴を脱ぐと、座敷に上がり込んだ。
石川から事前に承諾を得ているつもりなのだ。遠慮がない。
「ち、ちょっと祓川さん」宮川も仕方なく、靴を脱いで後を追った。
「南洲さん、南洲隆也さん、いませんか?」と言いながら、祓川はひとつひとつ部屋を見て回る。体のいい家宅捜索だ。前回、隆也家を訪ねた時は、石川がいたので、屋敷内を見て回ることが出来なかった。
今回は遠慮なしだ。
「大丈夫ですか?」と言いながら、宮川もついて回った。
段々、大胆になり、祓川は箪笥の引き出しを開けて、中を確かめ始めた。そんなところに、隆也がいるはずない。完全な家宅捜索だ。ちょっとやり過ぎなのではと宮川は加勢する気になれなかった。
書斎らしき部屋に入った。畳の部屋だが、立派な机が据えられている。部屋に入った祓川は早速、机の引き出しを開けて調べ始めた。やがて、「うん――⁉」と声を上げた。
「おい、君。鑑識を呼んでくれ」祓川が言う。
コンビを組まされて数日、経つ。祓川は宮川の名前を覚えていないかもしれない。
「何かありましたか?」
「これを見ろ」
祓川が開けた引き出しの中に、ロープがどぐろを巻いていた。
「ロープですね」
「南洲守弘殺害の凶器は見つかっていない」
南洲守弘は紐状の凶器で首を絞められたことにより死亡している。犯人が持ち去ったようで、遺体発見現場であるコジョーの社長室から凶器は見つかっていなかった。
「南洲社長殺害の凶器ですか――⁉」
何故、南洲守弘殺害の凶器がこんなところにあるのか? 宮川には理解できなかった。守弘殺害の犯人は遠藤ではなく、石川でもなく、南洲隆也だと言うのか――⁉ そう、頭の中を疑問符が飛び回っていた。
「凶器の可能性がある。だから触るな! 鑑識を呼んで調べてもらう必要がある」
「分かりました」と返事をしたものの、宮川は武蔵野署の人間だ。青梅署の鑑識の連絡先など知らなかった。祓川に聞いても、「そんなもの、知るか!」と相手にされなかった。
祓川は署内で浮いた存在なのだろう。
仕方なく鈴木と連絡を取った。先ず、鈴木が武蔵野署の鑑識に伝え、武蔵野署の鑑識から青梅署の鑑識に依頼するという面倒な手続きを踏んで、ようよう青梅署の鑑識に伝わった。
小半時、待たされた。そして、やって来た鑑識がロープを採取するのを見守った。
結局、このロープから皮膚片が見つかり、被害者のDNAと照合を行ったところ一致した。南洲守弘殺害の凶器であることが特定されたのだ。
事情を知っているはずの南洲隆也は行方不明だ。逃亡を図った可能性があった。重要参考人として南洲隆也が緊急手配された。
何時も通り、青梅署に応援に来ていた。
DNA鑑定の結果を受け、宮川は祓川に確かめてみた。
「祓川さん。犯人は南洲隆也で決まりだと思うのですが――」祓川がまだ、石川が犯人だと思っているのか気になったからだ。
南洲隆也が重要参考人となってからは、捜査の主戦場が青梅署に移った感じだった。武蔵野署内で、祓川のパートナーとして活躍する宮川の存在が重要なものになっていた。
祓川独自の捜査により、南洲隆也が容疑者として浮上して来た。守弘殺害の動機について、石川は「そりゃあ、隆也さんも守弘さんが則天さんを殺したと思っていたからでしょう。あの転落死はいかにも怪しい。隆也さんは一族の結束にこだわっていました。則天さんを殺されたとあっては、一族の長老として黙っていられなかったのだと思います」と証言した。
――南洲一族の縄墨。
南洲隆也は祖先の教えに従って、守弘を殺害したと言うのだ。
そして、姿を消した。
青梅署でも、宮川も含め、守弘を殺害したのは、南洲隆也で決まりという空気が流れていた。
「南洲隆也が疑わしいのは間違いない。だが、まだ確実な訳ではない。可能性のひとつに過ぎない。別の可能性があるなら、それを潰しておかなければならない」祓川はそう答えた。
石川犯人説を捨てていないということだ。
「南洲隆也は犯人ではないのでしょうか?」
「それは分からん」と祓川は素っ気ない。
「でも、祓川さんが探り当てた通り、南洲社長の車を運転していました」
「恐らく、車を吉祥寺のアパートの駐車場に戻す為に、運転して行ったのだろう」
「と言うことは、やはり隆也が南洲社長を殺したのでは?」
「南洲守弘氏が死んでいることを知っていたことは間違いないな。犯行に一枚、噛んでいたようだな」
「やっぱり・・・」宮川が呟くと、「だがな。ほとんど同じ時刻に、石川の運転する車が都内に向かっている。二人はグル、共犯だった可能性が考えられる」
「何故、二台に分かれて行ったのでしょうか?」
「簡単だ。恐らく、石川の車のトランクには南洲氏の遺体が積んであったのだ。遺体を会社に運んで行った。そして、南洲隆也は南洲社長の車をアパートまで運び、駐車場に停めた。これで、南洲社長が南洲家からアパートに戻ったことになる。後は遺体を会社に放置した石川が隆也をピックアップして、南洲家に戻ってくる」
「ああ、なるほど。遺体を運ぶのは南洲社長の車でも良かったのでは?」
「南洲社長の車は直ぐに調べられる。遺体を運んだ形跡が残っていれば、何処かで誰かに殺され、車で運ばれたと分かってしまうだろう。車のトランクに持ち主の遺体の痕跡を残しておく訳には行かない」
「ああ、そうか。そうですね。二人は共犯なのですね?」
「分からん」滔々と推理を述べたかと思うと、急に突き放す。
恐る恐る「ひょっとして、石川は逃走用に車を遠藤に貸し与えるつもりだったのではないでしょうか? 遠藤に罪を押し付けるために。だけど、遠藤が姿を消してしまったので、出来なかった」と言うと、祓川が「うむ」と頷いてくれた。
可能性はある。祓川が認めてくれた。宮川はそれが誇らしかった。
「南洲隆也宅で凶器となるロープが見つかったのは何故でしょうか?」
祓川はジロリと宮川を睨んで言った。「お前も見ただろう、あのロープ。机の引き出しの中に放り込んであった」
「はい。見ました」
「どう思った?」祓川に試されているようだ。
「そうですねえ・・・凶器にしては、ちょっと長い気がしました」
ロープは四メートル近くあった。
「うむ。それもある。確かに長い。他に、不自然なところはなかったか?」
「ああ、そうですね・・・」
宮川の返事を待ちきれなくて、祓川は自分で答えた。「書斎の机の引き出しに、ロープを仕舞っておくなんて変だろう? 引き出しを開けた時、妙な感じがしなかったか?」
「確かに・・・そうですね」書斎の引き出しの中で、ドグロを巻いていたロープは確かに場違いな印象を与えた。
「まさに見つけてくれと言わんばかりだった」
「えっ! 祓川さんは、あのロープ、見つけ易いように、わざと引き出しに入れてあったと言うのですか?」
「ふん。これ見よがしに引き出しに入れてあったのだ。あのロープ、我々に発見してもらいたかったに違いない。南洲隆也が犯人だとすると、殺人の凶器を後生大事に引き出しに仕舞っておく訳がない。そんなことしてみろ。一体、どういう神経をしているんだ? と疑われてしまう。とっとと処分してしまうべきだろう。
考えても見ろ、守弘氏が会社で殺害されたのだとしたら、わざわざ凶器を持って帰ったなんて変だ。あれはいざという時の保険だったのだ」
「保険ですか?」
「遠藤のアリバイが崩れ、疑いが自身に向いた時のため、やつは凶器のロープを保管してあったのだ」祓川の言う「やつ」とは石川のことに違いない。「やつは南洲隆也が留守であることを知っていた。知っていて、屋敷内を調べるように我々を誘導した。自分に疑いが向かないように、我々が来る前に仕込んでおいたのだ。あのロープを我々に見つけさせて、隆也に罪を押し付けるつもりだったのだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。祓川さん。石川健文があのロープを仕込んだと言うのですか⁉」
「ふん」と祓川は鼻を鳴らしただけだった。
「それに、石川は南洲隆也が留守であることを知っていたのですか? 南洲隆也の逃亡に手を貸したということでしょうか?」
宮川の問いかけに、祓川は「どうだろうな? 南洲隆也のために、そう祈っているがね」と恐ろしいことを言った。
「まさか・・・隆也氏は既に・・・」と宮川が言いかけると、それを遮って祓川が言った。「推測でものを言うな。あれこれ想像しても始まらん。それよりも捜査だ。証拠が必要だ。ひとつ、面白い情報を掴んだ。それを確かめに行くぞ!」
祓川が立ち上がった。
「行くぞって、祓川さん、何処に行くのですか?」
「招知大学の鷲尾ゼミだ!」
慌てて祓川の後を追う。詳しい事情は、おいおい移動の車中で祓川から聞くしかない。
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