第5話:影の正体

 馬を走らせながら、俺は心の中でため息をつく。追いかけている影に全神経を集中しながらも、頭の片隅にはいつも同じことが引っかかっていた。


「また面倒なことに首を突っ込んじまった……」


 俺は昇進なんてこれっぽっちも望んでいない。むしろ、無能を装って適当にこなしていれば、平凡な兵士として静かに暮らせると思っていた。

 それなのに、どうしてこうも毎回、危険な任務やら、評価されるようなことに巻き込まれるんだ?


「本当に、嫌になるな…」


 だが、どうにもならない。ここで見逃したら何か重大なことが起こる予感がするし、団長に後で報告する時も、こうした動きに気づかない無能な兵士なんて演じられるはずがない。

 頭では無能を演じようと思っていても、身体が勝手に動いてしまうのだから、始末に負えない。


「これじゃあ、ただの優秀な兵士じゃないか……」


 俺はそうつぶやきながら、馬をさらに速く駆り立てた。

 影が逃げる先は、国境の帝国側に近づいている。妙に足が速いが、こちらも簡単には負けない。

 もし、追いついて無力化できれば、帝国の不穏な動きを突き止めるための重要な情報が得られるかもしれない。


「いや、違うだろ……俺はただ、団長の命令で調査に来ただけで、こんなことをする必要はないんだ……」


 自分に言い聞かせるように思うが、影がちらつくたびに、本能的に目が離せなくなる。どうにも、自分が望んでいないのに、誰かが俺を優秀な兵士に仕立て上げようとしているような気がしてならない。ふざけんなよ! と叫びたい。


 影が不意に止まった。俺も馬を引き、距離を保ちつつ静かに剣を抜いた。


「これ以上、追いかけるのは危険だな……ここで終わりにしよう」


 そう心の中で決意し、剣を構えた。俺は無能でいたい、ただの一般兵士でいたいのに、結局こうなってしまうのが自分でも厄介だ。

 追いつけば、団長に褒められて昇進を勧められるだろう。


「いや、もう本当に勘弁してくれ…」


 しかし、ここで逃げ出すわけにもいかない。この状況を放置して帰れば、それこそ団の信用を失ってしまう。それだけは避けたい。

 誰も期待しない一般兵士いたいだけなのに、気づけば手遅れになっているのだから、世の中は皮肉だ。


 影がこちらを向いた。暗いフードに隠された顔は見えないが、敵意を感じた。

 俺は馬から降りて静かに構え、次の動きを待った。


「何もなかったことにして、帰ろうかな?」


 淡い期待を胸に、剣を振りかざす準備を整えた。

 影がじっとこちらを見つめている。瞬間的に空気が変わり、緊張感が一気に高まった。相手の動きに一瞬の隙を与えないよう、俺は心を落ち着かせる。

 これで何もなく帰れればどれだけいいことか……


 そう思っていると、影がいきなり動いた。鋭い動きでこちらに向かってくる。

 一撃を防ぐと、影は後退するのと同時に暗器を俺へと投げつける。しかし、片方の手で飛んでくる暗器を掴み、投げ返す。

 投げ返されると思っていなかったのか、影から驚いた声が聞こえた。

 実力に関しては大したことなさそうなので、このまま仕留めるか捕まえるかの二択で迷っていた。


「何者だ?」

「喋ると思っているのか?」


 返ってきたのは女性の声だった。そのことに驚きながらも、俺の中で密偵か暗部の者という二択になった。


「なら、力ずくで行かせてもらう」


 俺は身体に魔力を行き渡らせ――地を蹴った。一瞬で影の前に躍り出る。


「――なっ⁉」


 驚く声と同時、俺は攻撃を仕掛けるが、その姿は霧のように霧散した。

 幻影の魔法だろうと結論付ける。


「貴様に私は捉えられない」

「果たしてそうかな?」


 俺は剣を鞘に納め、拳を構えた。拳に魔力を集中させ、殺さない程度の威力で振り抜いた。

 瞬間、衝撃となって影を襲った。


「なっ、ぐぅ……⁉」


 少し離れた位置で、影が倒されていた。すべてを吹き飛ばせば、隠れていても攻撃は喰らうよねって話し。

 俺は近づいて拘束し、フードを脱ぎ捨て顔を見る。

 彼女の姿は、まるで影のようだった。長い黒髪を後ろで束ねているその姿は、戦士としてのたくましさを感じさせる。


 鋭い紫色の瞳が俺を見つめる。その目は、まるで暗い闇を切り裂く刃のようで、何かを探るような鋭さがあった。

 彼女が自分の周囲を観察している時、俺の心の内側に冷たい汗が流れる。彼女の目には、俺が気づかないような小さな変化を捉える力が宿っているのだろう。


 肌は色白で、隙のない美しさを持っている。控えめなメイクが、彼女の自然な美しさを引き立てている。

 だが、その背後には彼女が抱える秘密や強さが潜んでいる気がする。

 彼女の雰囲気は、冷静沈着で自信に満ちている。それでいて、任務のためには感情を抑えることもできるようだ。 


「やっぱり女か。で、何も者だ? 帝国の密偵ならこのまま王国に連れ帰る」

「貴様、王国の者か……私は王国軍第五諜報班の者だ。証拠なら持っている」


 彼女の言った『アルカディア王国軍第五諜報班』とは、主に情報収集、諜報活動、作戦支援といったものだ。

 不穏な動きがあったならば、ここで活動していることも不思議ではない。

 あらゆる武装を解除させ、剣を突きつけながら、証拠を出すのを待っていると、懐から俺に投げ渡す。

 受け取ると、確かに王国所属の諜報員であることは理解したが、信じるには早い。


「私はエリナ。王国軍第五諜報班所属だ。貴様は?」

「俺はリク。第三騎士団所属の一般兵士さ」

「お前のような一般兵士がいてたまるか! ――って待て。リクだと?」

「そうだが?」

「第三騎士団……そうか。先の戦争で活躍したという……」

「待て待て! 誰から聞いた⁉」

「上層部ではちょっとした有名人だ。陛下の命で勇者候補の教育係になったのだろう?」


 ああ、多分だけど、この情報を知っているということは味方だわ……

 俺は彼女を信じ、目的を話すのだった。



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