第4話:不穏な影

 朝の冷たい空気が、頬に軽く触れるたびに、少しずつ目が覚めていく。

 空はまだ薄暗く、遠くの空がわずかに明るんできたのを見て、もうすぐ朝が来るんだなと感じた。鳥のさえずりが、静かに始まっている。少しずつ、世界が動き出す音がする。


 息を吸い込むと、朝露に湿った草の匂いが鼻をくすぐる。周りは誰もいない。早朝のこの時間だけは、まだ誰のものでもない静けさが支配している。柔らかな光が差し込むまで、ほんの少しの時間、この瞬間だけが自分のものだ。


 心の奥底で何かが静かに整えられていく感覚がある。何も急ぐことはない。ただ、ここに立って、ゆっくりと朝を迎えればいい。それだけで十分だ。

 そう、任務のことさえ考えなければの話しだ。


「憂鬱だ……」


 俺は車に乗り、帝国との国境へと向かっていた。

 まあ、国境までは数日かかる。それまでは優雅な一人旅だと思えば悪くはない。

 数日が経過した。

 荒れた山道を馬で進むたび、周囲の風景が次第に険しくなっていく。冷たい風が吹き付ける中、俺は遠くに広がる帝国との国境を見据えていた。空は曇りがちで、灰色の雲が低く垂れこめ、まるで不穏な空気が漂っているかのようだ。


「どうにも落ち着かないな…」


 俺は心の中でそうつぶやき、馬のたてがみを軽く撫でる。任務は、帝国側で最近頻発している妙な動きを調査すること。

 目に見えない緊張感が辺りに広がり、普段よりも感覚が研ぎ澄まされているのを感じる。国境地帯は以前から摩擦の絶えない場所だったが、最近はさらに不穏な報告が相次いでいるという。


 視界の先に広がる荒涼とした地形は、帝国との境界をはっきりと示すかのようにそびえ立っている。


「ここからは慎重に行かないと…」


 俺は周囲を見渡し、少しだけ口元を引き締めた。無能さを演じるからといって、気を抜くことはできない。俺に課された役割はあくまで調査。だが、帝国との境に近づくたび、何か見えない脅威が迫ってくるような不気味な感覚が体中を覆う。


 風の音に混じって、ふと遠くから何かが動く気配がした。俺は馬を止め、息をひそめた。草木の間で影が揺れている。帝国の兵か、それとも……。この地では何が起こっても不思議ではない。


「油断するな……」


 自分にそう言い聞かせながら、俺はさらに馬を進めた。気配を消し、物音を立てぬように。

 ここでわざと失敗してもいい。しかし、それはこの国の兵士としてできない。

 俺は気配を感じた方向に注意を集中させながら、馬をゆっくりと進めた。国境近くの風景は、ますます荒涼としてきており、木々の葉は少なく、低木や岩がゴツゴツと広がっている。

 この場所では隠れる場所も少なく、何かが動けばすぐに目に入るだろう。だが、それでも緊張は解けなかった。

 監視されている。そんな感じがした。


「影が…消えたか?」


 先ほど見た揺れる影が、今はもうどこにも見当たらない。風に揺れる木々が静かになり、再び辺りに不気味な静寂が訪れた。だが、この静けさはただの自然の音ではなく、何かが潜んでいるような気配を感じさせた。


 俺は手元の剣の柄に軽く指を触れ、すぐに抜刀できるように準備する。騎士団での長年の訓練が、俺の心を冷静に保たせている。この任務が単なる「調査」だけでは終わらないことを、直感で感じていた。


 遠くにぼんやりと見えていた国境の哨所が、次第に近づいてくる。帝国との境界線が引かれた場所には、緊張した空気が張り詰めている。哨所には何人かの国境守備隊が配置されているはずだが、その姿が見えない。

 妙だな……あまりにも静かすぎる。


「何かあったのか…?」


 俺は、さらに警戒心を強めて馬を止めた。哨所の建物は簡素で、風化した木材が無残に残っている。しかし、人の気配がまるでない。

 普段なら見張りが外に立っているはずだが、誰もいないのは不自然だった。


 馬から降り、ゆっくりと足を進めながら、俺は周囲を見回した。まるで時間が止まったかのような異様な空気。俺の足音だけが微かに響く。

 建物の入り口に近づくと、扉は半開きになっており、中にはほとんど何も残っていなかった。


「ここで何が…?」


 扉の向こう側を慎重に覗き込んだ。室内は荒らされた形跡があり、紙片や道具が散乱している。

 戦闘があったのか? それとも……。


 その瞬間、俺の背後でかすかな音が聞こえた。

 風に乗って運ばれてきた音ではなく、確かに何かが動いた音。即座に体を反転させ、剣を抜き放つ。

 その視線の先、薄暗い木立の中に、黒い影がわずかに揺れた。


「やはり、誰かいる……!」


 影は俺に気づいたのか、ふっと動きを止めた。

 そして次の瞬間、足音もなく俺から距離を取るように動き出した。追いかけるべきか、慎重に対応するべきか――瞬時に判断を下さねばならない。


 俺はわずかな躊躇の後、馬に駆け寄り、素早く鞍に飛び乗った。

 不穏な動きが確実にある。それが何者なのか、そして何を狙っているのかを突き止めるために、俺は馬の手綱を強く引き、黒い影を追うことにした。



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