第六話 再会
︎︎俺は乙姫の竜巻によって海上へと放り出されていた。ふと上を見あげると、星空の縁がほんの僅かに白んでいるのが見えた。
もうすぐ夜が明けるのだ。
薄明の光に照らされて、遠くに陸地が見えた。慣れ親しんだ
俺は玉手箱を開けるために陸地を目指して泳いだ。
︎︎日の出と同時に陸地へとたどり着いた俺は、手元の玉手箱に目を落とし、砂浜に一歩足を踏み入れた。
そのとき、視界がぐにゃりと歪んだ。
定かではないが、玉手箱に描かれた竜の紋章が淡く光っているようにも見えた。
しばらくして視界がはっきりしてきた時、俺は周囲の景色に違和感を感じた。
辺りを見回すと、先ほどまでは居なかったはずの漁師らしき若者の姿が遠くに見えた。
しかし、地形やその景色に違和感を感じはするものの、ここが
俺は一抹の不安を振り払って玉手箱を開ける覚悟を決めた。
玉手箱の赤い紐を引いて蓋を開けると、中から白い煙が大量に吹き出し、俺の身体を包み込んだ。
”乙姫と一郎が出会ったというその時へ、俺を連れて行ってくれ!”
そう願った時、再び視界がぐにゃりと歪んだ。あまり慣れない感覚に俺は目を閉じた。
︎︎しばらくして目を開けると、視界の先には乙姫に手を引かれ海へと向かう一郎の姿があった。
どうやら無事、時空を超えることができたようだ。
俺は急いで駆け寄って二人を呼び止めた。
「おい!ちょっと待て!!」
その声を聞いて二人は揃って目を丸くしている。俺から見てもその表情や仕草はそっくりだった。やはり俺たち三人は姉弟なのだ。
「太郎?!今日は山に行くと言っていたはずじゃ…?」
「あ…あなた方は、双子なのですか!?」
そうだ。この日、俺は山に行っている。
だからこの世界線の自分自身と出会うこともない。
「話は後だ!とにかく海底へ急ぐぞ!」
確か未来の乙姫に聞いた話では、明日の夜に開かれる会合で、一郎は殺される。
背後から蛸族の女に襲われ、毒によって死ぬのだ。
しかし、逆に言えばその未来を知る俺なら防ぐことも可能だ。
そのためにはできる限り前の世界線と同じ手順でことを進める必要があった。
もし万が一にも一郎の死因が変わってしまうことがあれば、防ぐことが難しくなるからだ。
俺は、二人の腕を引っ張り急いで海へと向かった。
何事もなく海中で呼吸しはじめる俺を見て一郎は驚いていたが、自分にもそれができると分かると安心した様子だった。
海底へと向かう道中、俺が未来から来たことや、竜王が毒殺されていたこと、この先一郎も毒によって殺される運命にあること、そして玉手箱の存在含め、この身で経験したことを詳しく二人に話した。
「そう…だったのね。でも、それなら話が早いわ。」
「信じがたい話だが、この状況ではそうも言ってはいられないようだな。」
「ああ、俺たち三人で綿津見国を守るんだ。」
そうして俺達は、綿津見国へと向かうのだった。
︎︎綿津見国に入ると、その景色の美しさに一郎は驚いていた。確かに、何度見てもこの絶景には言葉を失ってしまう。
俺たちはその壮麗な景色の中を泳いで、竜宮城へと向かった。
海花殿の抜け道を使って乙姫の部屋にたどり着くと、前の世界線の乙姫に聞いていた通り、
俺たちは翠亀にも事情を説明して、明日の夜に会合を取り付けて欲しいと伝えた。
「左様でございましたか。承りました。」
翠亀は畏まった様子で頭を下げ、急いで手配を進めるべく部屋を出ていった。
三人になったところで、俺は改めて前の世界線での出来事をこと細かに話した。
俺が話を終えると、一郎が口を開いた。
「苦労をかけたな太郎…。しかしながら、話を聞く限り姉上の実力であれば竜王を継げたのではないだろうか?」
「確かに、俺から見ても行動力も聡明さも頭一つ抜けていたように見えたな。」
「…いいえ、それは無理よ。渦潮の力があるとはいえ、サカマタやホオジロに比べればやはり武力では劣ってしまうもの。」
「…そうなのか。」
「ええ、それに実力を隠しておけばいざというとき役に立つものよ。能ある亀は手足を隠すってね!」
乙姫はそう言っておどけて見せた。
その言い回しに、やはり俺たちは姉弟なのだなと口元が綻んだ。
「しかし、俺が見た姉上の渦潮はかなりのものだったぞ。どうやったらそんなに使いこなせるようになるんだ?」
俺はあの凄まじい竜巻のことを思い出して乙姫に聞いてみた。
すると、乙姫の口から信じられない言葉が飛び出した。
「あら、未来の私は言ってなかったかしら?私、これでもあなたたちより五十は年上なのよ。」
俺と一郎は顔を見合わせて驚いた。
「どうりで…。」
乙姫は、半世紀以上もの間「渦潮」を日常的に鍛錬してきたということになる。初めは驚きはしたものの、俺は妙に納得してしまった。
人間界にも「鶴は千年、亀は万年」という言葉があるように、亀族もまた長命な種族なのだろう。
「一朝一夕で強くなれるようなものではないんだな…。」
「そうね、鍛練あるのみよ!」
乙姫は誇らしげにそう言った。
「そういえば一郎はまだ使えないんだったか?」
「ああ、私はまだこちらに来たばかりだからな。確か、未来の私は水の矛を使ったと言っていたな。…ちょっと試してみてもも良いだろうか?」
「それなら天井裏に移動しましょうか。誰かに気づかれでもしたら明日の計画が台無しだものね!」
乙姫はそう言って俺たちを天井裏の部屋へと誘導した。
部屋に入ると、乙姫の指導のもとで一郎の修行が始まった。
「さあ、手の甲の紋章に集中して。」
一郎が目を閉じる。
「水は形を持たないけれど、それは万物に形を変える可能性を秘めているということ。あなたが欲する力を強く想像してみて。」
すると、一郎の右手の甲にある紋章が光り出した。
その手元にはわずかながら海水が渦を巻いている。
しかし、その渦はなかなか形が定まらぬまま、すぐに消えてしまった。
一郎が目を開けて俺に問いかけてきた。
「…難しいな。太郎、お前はどうやって水の盾の術を会得したんだ?」
「そうだな、俺は目の前にいた乙姫を守ろうとして、咄嗟に出たって感じだった。」
「ちなみに私は幼少期、怒った爺やから逃げるときに初めて使えたわ。」
乙姫は自慢げな顔でそう言ったが、何をやらかしたのかは聞かないでおこう。
「そうか、何か目的が必要なのかもしれないな…。」
そう言って一郎は少し考えたあと、何かを思いついたような表情で俺の方を見た。
「…太郎、一つだけ確認しておくが、私が竜王を継ぐということで問題ないのだな?」
「おう、俺は王様なんて柄じゃないからな。」
「そうか、ならば私も覚悟を決めねばなるまいな。」
一郎はそう言って再び目を閉じた。
少しして、先ほどよりも強烈な光が一郎の右手の紋章から放たれた。
手元では勢い良く海水が渦を巻き、瞬時に大きな水の矛が出来上がった。
「上手くいったみたいね!」
乙姫も喜んでいる。
一郎の中で竜王を継ぐ覚悟が決まったのだろう。つまりこれは、この国の民に力を示すための水の矛だ。
俺は、一度死んでしまったはずの兄が今度は隣で戦ってくれることを嬉しく思った。
「やったな一郎!」
「ああ、お前のおかげだ。」
俺たちは互いに拳を突き合わせた。
「ちょっと、私も混ぜなさいよ!」
乙姫はそう言って、横から拳を突き出した。
三つ巴になった拳を見て、俺はなんだか喜ばしい気持ちになった。
「さて、一郎も渦潮が使えるようになった事だし、そろそろ夕飯にしましょうか。少し待ってて!」
乙姫はそう言うと、部屋を出ていった。
二人になった俺たちは、一郎の矛と俺の盾、どっちが強いのかという話になった。
流石にこんなところで試すわけにはいかないが、男としては結果が気になるところだ。
そんなこんなで俺たちが互いに妄想を語り合っていると、乙姫が戻ってきた。
綿津見国の近海でとれたという海産物を持ってきてくれたようだ。
中央の海月殿にある厨房から少しばかり拝借してきたらしい。
「内緒よ!」
そう言って無邪気に笑う乙姫の顔を見ると、五十も年上だということを忘れてしまいそうになる。
「…太郎。なんか今失礼なこと考えてたでしょ。」
「いやいや、姉上が美人だからさ…ちょっと見惚れてただけだ。」
「そう。ならいいんだけど…。」
見透かされて少しどきっとしたが、なんとか誤魔化せたか?
「それじゃあ、いただきます。」
俺は話をそらすついでに、目の前の海産物に手を合わせてそう言った。
すると、乙姫は少し不思議そうな表情をしてこちらを見ている。
「なにそれ?」
「それ…ってなんだ?」
「手を合わせて、“いただきます“ってやつ。」
「そうか、こっちでは言わないんだな。」
どうやらこの「いただきます」というのは人間界特有の文化らしい。
「これは、なんて言うか…感謝の言葉だ。地上では食べ物を食べる前に言うんだ。食べ終わったら“ごちそうさま“とも言う。」
「へぇ、それってなんだか素敵ね!」
乙姫はそう言って、俺の真似をして手を合わせた。
「いただきます!」
一方、隣に居る一郎は生で食べることに少し戸惑っているようだったが、俺が美味そうに食べているのを見て、決心したように海産物を口へと運んだ。
一口食べれば分かるだろう。
身体が海底の環境に適応していることもあってか、生で食う魚介類が段違いに美味しく感じるのだ。
案の定、躊躇していたはずの一郎も目を輝かせながら食べている。
こうして姉弟揃って食事ができるのは、前の世界線で希望を繋いでくれた乙姫やサカマタ達のおかげだ。
俺は改めて、目の前の二人を守ると心に誓うのだった。
そうして俺たちが夕飯を食べ終わると、乙姫は海藻で編まれた布団を持ってきてくれた。
「悪いけど今日はこれで寝て頂戴ね。」
そういえばもう丸二日は寝ていない。
さすがに限界が来ていたのか、俺はすぐに眠りについた。
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