第五話 昇竜

 ︎︎明るさに慣れてきて目を開けてみると、そこには乙姫から聞いていた通り、人類の文明をはるかに超える世界が広がっていた。


ここが、綿津見国ワタツミノクニか。


「まずは鯱族のサカマタに会うわよ。」


鮫族に占拠された竜宮城から玉手箱を盗み出すためには協力者が必要だ。

俺たちは王都不知火シラヌイの西側に位置する、サカマタの領地を目指した。



 ︎︎サカマタの屋敷だという大きな建物の入口に到着すると、俺たちを見て門番が急いで報告に走っていった。


しばらくして大柄の男と亀の甲羅を背負った老人が現れた。


「姫様!よくぞご無事で…。しかし、その方は…。」

この老人が乙姫の言っていた翠亀すいきだろうか。


「一郎様!?しかしあの時既に亡くなっておられたはずでは…」

そして俺を見て慌てているこの大男がサカマタなのだろう。


二人とも俺のことを一郎だと勘違いしているようだったのですぐに訂正した。


「俺は一郎じゃない。」


「…?どういうことでしょうか?」


サカマタと翠亀は不思議そうな顔をしている。


「彼は、一郎の双子の弟。太郎です。」


乙姫のその言葉で、サカマタは合点がいったようだ。


「なるほど。詳しくお聞きしましょう。中へお入りください。」


そうして建物の中へ入ると、乙姫の母である游亀妃ゆうきひが出迎えてくれた。


「よく戻りましたね。」


乙姫はサカマタと翠亀すいき游亀妃ゆうきひに、何故俺を連れてきたのかを話した。そして玉手箱の伝承についてもだ。


「そんな伝承があったとは…。」

「私も長く生きておりますが、存じ上げておりませんでした。」


サカマタと翠亀は驚いていた。


「宝物殿の隠し部屋の開け方は私がお教えしましょう。以前竜王様と一緒に入らせて頂いた事があります。」


游亀妃ゆうきひはそう言って、隠し部屋の開け方を教えてくれた。


「ありがとう、お母様。」


乙姫は続けてサカマタの方を見て話し始めた。


「サカマタさん、あなたとあなたの家臣には宝物殿までの護衛をお願いしたいのです。」


「承りました。」


乙姫から聞いた鮫族達の数を考えればどれだけの血が流れることだろうか。

しかし、サカマタは二つ返事で快く承諾してくれた。


「ありがとうございます。…決行は今夜です。それまでに準備をお願いします。」


乙姫は力強くそう言った。


サカマタは早急に準備に取り掛かったようで、すぐに屋敷の中は慌ただしくなった。



 俺は游亀妃と翠亀に改めて挨拶を交わし、乙姫と共に他の亀族達がいる部屋に通された。

彼らにとって俺は、いわば親戚のようなものなのだろうか。新鮮な海の幸を振る舞って歓迎してくれた。出された海産物はどれも頬が落ちるほど美味かった。


俺は食事をしながら、一郎と過ごした地上での話をした。亀族の皆は自分達が知らない世界の話に興味津々だった。いつの間にか鯱族も一緒になり、部屋は話を聞く者たちで溢れかえった。


食事を終えると、サカマタを交えて今晩の計画について話を進めた。


乙姫曰く、宝物殿は竜宮城中央の海月殿かいげつでんの北側に隣接して建造されているらしい。そこには綿津見国のさらに北方の深海に沈むという古代遺跡から出土した遺品が数多く貯蔵されているそうだ。

中に入るには、竜宮城中央の海月殿かいげつでんから繋がる廊下を通る必要があった。


乙姫が提案した策は、鯱族精鋭の陽動部隊と、俺、乙姫、サカマタ三人の潜入部隊に分かれるというものだった。

陽動部隊が南側の正門付近で騒ぎを起こし、その隙に俺たち三人が北側の宝物殿に潜入するのだ。

そして警戒すべきは海月殿の王座の間にいるであろうホオジロの存在だ。

サカマタが俺たちと一緒に来るのはそのためである。


俺は改めて、今までの乙姫の行動力と聡明さに感心した。





そうしていよいよ決行の時を迎えた。

月ほどの明かりになった頭上の光球が、薄ぼんやりと辺りを照らしている。

俺たちは城の東側の海花殿かいかでんの裏手から隠し通路を通り、乙姫の自室へと来ていた。


城の中が何やら慌ただしい。

作戦通り鯱族の精鋭部隊が南側の正門の方で騒ぎを起こしたようだ。


俺たちは、周囲に誰もいないことを確認し部屋を出て先を急いだ。

乙姫の誘導とサカマタの能力で海月殿までは難なくたどり着くことができた。

サカマタは超音波のようなものを発してその反射音で索敵ができるのだそうだ。


宝物殿に続く廊下に差し掛かった時、サカマタが泳ぐのを止めた。


「…奴が来ます。」


おそらくホオジロのことを言っているのだろう。

王座の間に近いこともあってか、気づかれてしまったようだ。


「こんなところでコソコソと何をしている!」


声のした方向を見ると、そこには大柄の鮫の魚人が立っていた。


俺の顔を見て、ホオジロは驚いている。


「っ…何故貴様が生きてやがる!!」


どうやら俺を、瓜二つだった一郎と勘違いしているようだ。


「ここはお任せください!」


サカマタが前に出て槍を構えた。


「邪魔をするなサカマタァ!!そいつはここで殺す!」


ホオジロがそう言い終わる前に、乙姫は瞬時に俺の手を取って周囲に渦を発生させた。

乙姫の手の紋章が光っているのが見える。


「最速で行くわよ!!」


渦はとてつもない勢いで俺たちの背中を押し出し、長い廊下の先に見えていたはずの宝物殿の扉が、一瞬のうちに目の前に来ていた。


その扉には、水晶を抱える竜の装飾が施されていた。

乙姫は、游亀妃に聞いていた通りに水晶に手をかざし自身の持つ竜の力を流しこんだ。


すると水晶が青く光り輝き、扉が独りでに開いた。


本来、この扉は専用の鍵を使えば普通に開けることができるらしいが、この手順を踏むことで隠し部屋である空間へと繋がるのだそうだ。確かにこれなら竜族の血を継いだものしか隠し部屋に入ることが出来ないわけだ。


扉から中に入ると、小さな台座の上に置かれた黒い箱があった。

赤い紐でしっかりと封をされたその箱の天面には手の甲の紋章と同じものが記されている。


これが玉手箱だろう。


俺は急いで玉手箱を抱え、乙姫と二人で扉の外に出た。

廊下ではサカマタが何とかホオジロを抑えているのが見えた。

ホオジロも宝物殿から出てきた俺たちのことを見ているようだ。


次の瞬間、ホオジロの渾身の一撃で、サカマタが後方に押し飛ばされた。


その一瞬の隙を見てホオジロは鮫の姿へと変化し、矢のような速さで俺の方へと向かってきた。その巨体からは考えられないほどの速さだ。


「何を企んでいるのかは知らんが、貴様だけは生きては返さねェ!!」


不意を突かれて遅れをとったサカマタが焦った声で叫ぶ。

「二人とも避けろ!」


乙姫が咄嗟に俺の前へでて両手を広げる。

「弟は殺させない!!」


乙姫は身を呈して俺を庇うつもりだ。

二度も姉弟を失ってたまるか。



────俺が、姉上を守る。



その時、俺の手の紋章は眩い光を放った。

同時に周囲の海水が激流となって渦巻き、乙姫と俺を包み込む。

高速で回転するその球状の渦は、俺たちを守る堅牢な盾となった。


これが「渦潮」か。


兄は力を示すために矛を振るったと聞いた。

ならば、俺は大切な人を守る盾となろう。


ホオジロは疾風の如き速さで水の盾に激突し、水の中とは思えないほどの轟音が鳴り響いた。

しかし、水の盾はびくともしていなかった。

それどころかホオジロは、その衝撃全てを鼻先一点に受け、気絶していた。


俺は、自分の力に驚いた。

この力が無ければ、俺たちの方がやられていただろう。

自身の中に流れる竜族の血に感謝するほかなかった。


俺が渦潮を解くと、サカマタも遅れて駆け付けた。

何とか危機は脱したが、まだ油断はできないようだ。

サカマタ曰く、騒ぎを聞きつけた鮫族の連中がこちらへ向かって来ているらしい。


背後は行き止まりの宝物殿、まさに袋の鼠だ。…いや、この海底では袋の海鼠なまこといったところか。

なにか脱出する手段を考えなければ…。


すると乙姫が何かを思いついたような顔で口を開いた。


「策があります!」


乙姫はそう言って策を聞かせてくれたが、その大胆さに俺は度肝を抜かれた。



俺は乙姫の策を信じて、渦潮の盾をもう一度展開させた。今度のは、俺一人の身体を包み込む小さな球状の盾だ。


「太郎、あっちの私と一郎にもよろしくね。」


乙姫は少しさみしそうに微笑んだ。


「ああ!任せとけ姉上!」


少しして、乙姫の表情が本気のそれへと変わった。集中しているようだ。


「それじゃ、全身全霊でいくわよ!!」


乙姫が水の盾に向けて両手をかざすと、その手の紋章が強烈な光を放った。


刹那、盾の下方から強力な渦が発生した。

続けて乙姫が勢いよく両手を掲げると、それに呼応するように海水が巻きあがる。


渦は俺の入った水の盾を押し出し、廊下の天井を容易く突き破った。


そういえば乙姫は、幼いころから海中での移動に渦潮の力を使っていると言っていた。

言い換えれば、日常的に「渦潮」を鍛錬していたということになる。


俺はその桁違いの出力に驚いたが、同時に納得もした。力を使えるようになって間もない俺とは練度が違うのだ。



サカマタは目の前の出来事に驚きを隠せていないようだった。


「これはまるで…!」


─────昇竜のぼりりゅう


猛烈な勢いで海水を巻き上げるその渦は、海上まで水柱を立てる竜巻となった。


「頼んだわよ!太郎!」

「御武運を!」


二人の姿がみるみる小さくなっていく。

サカマタがいれば、廊下の天井に開いた穴から安全に脱出できるだろう。



俺は昇りゆく水の盾の中で胸を撫で下ろした。



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