第三話 真名

 翌朝、私は床下の物音で目を覚ました。厳密に言うとここは天井裏の部屋なので乙姫の部屋からの物音だ。どうやら翠亀が乙姫の部屋に来ているようだった。私が天井の扉から顔を出すと、ちょうどよかったと言わんばかりに翠亀が話し出した。


「面会の場を取り付けて参りました。期日は本日の夜でございます。」

昨日の今日で手配を終えるとは、翠亀はかなり有能なようだ。


「一手でこの状況を覆します。」

乙姫はそう力強く言うのだった。


私たちは夜に向けて準備を進めた。

衣服を王族のものへと着替え、付け焼き刃にはなるが、王族らしい立ち居振る舞いを乙姫に教えてもらった。


私は改めて竜王を継ぐ覚悟を決めるのだった。




︎‌ ︎︎そして、いよいよ時が来た。辺りが暗くなり、頭上の光球が月ほどの明かりへと変わるころに、私たちは王座の間へと向かった。


同席するのは、ホオジロとサカマタ、両者の家臣数名、両陣営それぞれに付く官僚達。

そして私たち三人と、立会人には游亀妃ゆうきひを呼んだ。


乙姫の母である游亀妃は竜王が亡くなってから数日の間、官僚達の話し合いを長引かせ時間を稼いでいてくれたのだった。


王座の間に、錚々たる面々が集まっている。

私はできる限り堂々と振る舞い、王座に着いてみせた。


集まった皆がどよめいてる。


そんな中、大男が目を血走らせながら声を上げた。

「おい!何のつもりだ貴様ァ!!」


その口からは無数の鋭い歯が見えている。

身体は私の数倍は大きく、背中にはヒレがついている。

全身はザラザラとした灰色の鮫肌に覆われ、手元には大きな斧が見える。

この男がホオジロか。


鮫の中でもホオジロザメと言えば人間界でも名が知れる凶暴な鮫だ。

私は恐ろしさのあまり動くことさえ出来なかった。


しかし、今だけは動けないことすら好都合だ。私はとにかく堂々としていればいいのだ。


「ホオジロさん、どうか落ち着いて下さい。」

乙姫が冷静にホオジロをなだめる。


「…まずは話を聞こうか。」


冷徹な声でそう言ったのは、腕を組んで私を見るもう一人の大男だ。

その男もホオジロと負けず劣らずの体格をしており、背中には黒いヒレがついている。全身は黒と白の模様で覆われ、脇には大槍を携えていた。

彼がサカマタなのだろう。


シャチという生き物を見たことはないが、こんなに恐ろしい生き物だったとは…。

私に向けられたその鋭い眼差しで、全てを見透かされているような気がした。


一呼吸置いて、游亀妃が口を開いた。

「乙姫、説明をお願いします。」


「はい。皆様にお集まり頂いたのは、他でもありません、このお方にお会いして頂くためで御座います。」

乙姫が目で合図を送る。

その合図で私は王座から立ち上がった。


ハッタリでもなんでも良い。王としての風格をこの一瞬だけでも纏うのだ。


「私の名は、…

「うるせぇ!そこから離れろ小僧!!!」


ホオジロが私の声を遮って前へ出てきた。

王座の間は騒然とした空気になっている。

しかし、ここで私が引き下がる訳には行かない。


「鎮まれ!!私は先代竜王と人間の間に生まれた竜の血の継承者である!!」


その一言で場内にはどよめきの声が上がった、そしてホオジロの顔からは怒りが頂点に達しているのが見て取れた。


「ふざけるな!!陸地の民ごときにこの国の王が務まるものか!」


ホオジロがさらに声を荒らげた。


「大体、貴様が竜王の系譜だという証拠はあるのか!」


乙姫が即座に答える。


「ええ!ございます!」


乙姫は私の隣へと歩を進め、彼女自身の右手の紋章を掲げた。

私も彼女の意図を理解し、自分の右手の紋章が皆に見えるように掲げた。


「こ、これは!」

「乙姫様のものと同じ…。」

「本当に竜王様の御子息なのか!」

「王家の紋章!」

「正当な王位継承者…。」


官僚達は皆動揺していたが、ようやく見えた光明に喜んでいるようにも見えた。


「やはりそういうことでしたか。」

サカマタが片膝をついて私に頭を下げた。

続いてサカマタの家臣達も跪く。

どういう風の吹き回しだろうか。


「次期竜王となられるあなたに、我が一族は忠誠を誓いましょう。」


彼のその一言で、この場にいるほとんどが同様に跪いた。


私はその光景を見て胸を撫で下ろした。

しかし、それも束の間。


「貴様ァ!俺様の計画を邪魔しやがってェ!今ここで海の藻屑にしてやる!!」


そう叫んだのはホオジロだった。

鮫族の家臣達も既に臨戦態勢だ。

ホオジロが斧を振りかざして私に襲いかかる。


「本性を現したなホオジロ!貴様のことは前から怪しいと思っておったのだ!」


すかさず鯱族のサカマタが私の前に出て斧を受け止めた。


斧と槍とがぶつかり合い、重く低い金属音が王座の間に響き渡る。


「お前ら!全員で取り囲んで殺せ!!」


その一声で、ホオジロの家臣達が斧を振りかざして、一斉に私の方へと襲いかかってきた。



早く逃げなければ、このまま殺されてしまうだろう。



……だが、逃げてはならない。

実力主義のこの国で皆の信頼を得るためには、力を示す必要がある。


覚悟ならもうしてきた!

────私が、竜王を継ぐのだ!



刹那。

私の右手の甲にある紋章が眩い光を放つ。

手元では海水が渦を巻き、一瞬にして巨大な矛が形成された。

高速で回転し続けるその水の矛は、受け止めた敵の斧をことごとく弾き飛ばした。


渦潮うずしお


乙姫が移動に使っていたのを思い出す。

どうやら私にも似たような力が使えるらしい。



「怯むな!!鮫族の武器は斧だけじゃねぇだろッ!!」


その声で、呆気に取られていたホオジロの家臣達が再び戦闘態勢を取る。

確かに斧が無くともその頑丈な顎と鋭い歯があれば私を殺すのは容易いことだろう。


再びホオジロの斧とサカマタの槍がぶつかり合い、轟音が響く。


「お前達!二人をお守りしろ!」

そう指示を受けたサカマタの家臣たちが私と乙姫を守るようにして、前方に陣形を組んだ。


それを見てホオジロがニヤリと笑った。

「かかったな!今だ殺れェ!!!」


その瞬間、背後から唐突に殺気を感じた。


透明になれるとでも言うのだろうか、殺気を感じるまでその存在に全く気が付かなかった。私は咄嗟に反応し、渦潮の矛でなんとか刺客が持っていた小刀を弾き飛ばした。しかし、どうやら少しかすってしまったらしい。頬からすこし血が滲んでいる。


私は小刀を弾くのと同時に、刺客の姿を目にした。

そこには茶褐色の肌をした妖艶な女が立っていた。全身にかけて鮮やかな青い斑紋が多数浮かび上がっており、ぬらぬらとした触手のような髪の毛をくるくると指先で遊ばせている。


次の瞬間、私の身体に異変が起きた。

胸が痛い。息が苦しい。

私はその場に倒れ込み悶絶した。



───豹紋蛸ヒョウモンダコ

その蛸が持つ毒は、呼吸困難や心停止を引き起こし、最悪の場合は死に至る。

また、周囲の景色に擬態するために体色を変化させることができる。



「掠っちゃったみたいねぇ坊や。その毒は竜王すらも殺したアタシの特性品さ。」


先代竜王の死すらも計画のうちだったのか…。


薄れゆく意識の中、辛うじて見える乙姫の表情からは、怒りと悲しみが伝わってくる。


まだだ、まだ死ねない。

一つだけ、乙姫に伝えなければならないことがあるのだ。


「乙…姫…耳を、借して…」

か細い声で私は乙姫を呼んだ。


「一郎!しっかりして!!」

乙姫が私の名前を呼びながら駆け寄ってくるのが分かる。



────── そう、私の名は一郎。



私は最後の力を振り絞り、乙姫にだけ聞こえるように小声で話した。

…もとより、もう大きな声を出すことすら叶わない。


「私には…太郎という…双子の弟がいる…。弟を危険な目に…合わせたくなくて…言い出せなかった…。しかし…もう…こうなってしまっては…太郎に頼るしか…ない…。」



息も絶え絶えだったが、なんとか伝えたいことは伝わっただろうか。


「あとは…たの…む。」


生きて姉上と共にこの国を守れなかったことが悔やまれる。

唯一の救いと言えば、海の底で死ねるということくらいだろうか。


こんな死にざまだったが…

やはり私は海が好きだ。




一郎は、間もなくして息を引き取った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る