第二話 竜宮城

 ようやく明るさに慣れてきたので、恐る恐る目を開けてみると、そこには人間の文明をはるかに超える世界が広がっていた。


綿津見国ワタツミノクニ


乙姫が言うには、綿津見国の周りには特殊な結界が張ってあり、人間には見つからないようになっているとのことだった。


陽の光が届かないはずの深海で、頭上には太陽のような光球が輝いている。

乙姫曰く、この光球は地上の太陽と月と連動しており、結界の中であれば昼と夜の区別がつくそうだ。


視界に入る限りの一帯は、色鮮やかな珊瑚礁に囲まれており、建造物は人間界では見たことのない造りのものが多い。

海中だと浮力がある関係で、多少重力を無視した造りになっているのかもしれない。

建物は赤を基調としたものが多く、軒先には提灯のような明かりが潮の流れに揺れているのが見えた。


街には様々な海洋種族が行き交っており、人々は貝殻を円形に加工したもので商品をやり取りしていた。


その貝殻は貝貨ばいかと呼ばれ、商品の交換手段として使われているそうだ。

私が知る限り地上では物々交換が主流だが、この貝貨とやらがあれば物の価値に共通認識ができるのか。なるほど、画期的な仕組みだ。


先代竜王は立派だったのだな。


私は活気にあふれたこの美しい世界を目の前にして、思わず息をのんだ。

いや、この場合は海水を飲んでいるのだろうが…。



「こっちよ。」

乙姫は私の手を取り、竜宮城へと向かった。

王都である不知火シラヌイの中央に位置する王宮、それが竜宮城だそうだ。


竜宮城は東西に長く延びた形をしており、西から順に海雪殿かいせつでん海月殿かいげつでん海花殿かいかでんの三つに分かれている。中央の海月殿には王座の間があるらしい。


 城の東側、海花殿の裏手に到着すると、乙姫が周囲を警戒しながら壁の細工をいじる。

私が見守っているとすぐに隠し扉が開いた。そこには、竜宮城の内部に通じる抜け道があるのだった。


長い隠し通路を抜け、たどり着いた先には、こぢんまりとした空間があった。

床には取っ手のついた小さな扉らしきものが見えた。


その重たい石の扉は、乙姫の自室の天井に繋がっているのだった。


乙姫の部屋に泳いで入ると、天井の扉がガコンと音を立てて閉まった。

その物音を聞きつけたのか部屋の戸を叩く音がした。


「姫様。お戻りになられたのですか?」


戸の外から聞こえてきたのは老人の声だ。


「爺やですか。入ってください。」


老人が部屋の中に入ってくるなり口を開いた。背中には乙姫と同じように亀の甲羅がついている。


「姫様!探しましたぞ!一体どちらへ行かれていたのですか!」

「心配をかけてすみません。ちょっと野暮用がありまして…。」

「まったくこんな非常時に城をあけるとは…。姫様のお転婆には困ったものです。…おや?そちらのお方は?」


「…彼はお父様と人の間に生まれた子で、私の義弟おとうとにあたる方です。」


爺やと呼ばれたその老人は私の右手の甲の紋章を見て、顔つきが変わった。

乙姫がどこで何をしていたのかをある程度察したような表情だった。


「左様でございましたか。」

「父上は私たち姉弟で、協力して国を守れと仰っていました。爺や、あなたにも協力して欲しいのです。」

「はっ、かしこまりました。」

乙姫がそういうと、老人は片膝をついてこうべを垂れた。


「申し遅れました。私は乙姫様にお仕えしている、翠亀すいきと申します。以後、お見知りおきを。」


「こちらこそ、よろしくお願いします。」


私がそう返すと、翠亀は立ち上がって話を続けた。


「ではまず、現状についてご説明いたします。」


翠亀曰く、ここ数日城の中では次期竜王の座を巡り、ホオジロの陣営とサカマタの陣営に別れて、官僚たちによる舌戦が繰り広げられているらしい。

乙姫の母である游亀妃ゆうきひも、その立会人として同席しているそうだ。

しかし未だ結論は出ず、このまま事が進まなければどちらかが実力行使に出てもおかしくないとのことだった。


私はそのホオジロとサカマタとやらの政敵にあたるわけだ。

彼らのことを詳しく知る必要があった。


「翠亀さん、ホオジロとサカマタについて詳しく教えてもらえますか?」


翠亀が答える。


「はい。鮫族のホオジロと鯱族のサカマタ。彼らはどちらも先代竜王の側近で仕えておりました。両者とも国内で一二を争う武力の持ち主で、その力は概ね互角といえます。」


乙姫が翠亀に続いて口を開いた。


「二人ともこの不知火シラヌイに領地をもつ有力者ですね。」


”なるほど、一筋縄で勝てる相手ではなさそうだ。”


「…ですが、こちらには正当な王位継承権を持つあなたがいます。」


乙姫は、私の目を見てそう言った。


「あなたの存在を両陣営に知らしめねばなりません。すぐにでも面会の場を作りましょう。…爺や、ホオジロとサカマタに書状をだして手配を進めてください。」


「はっ。かしこまりました。」


翠亀はそう返事をして、私たちに一礼して足早に部屋を出た。

早速手配を進めるようだ。



「ここからが正念場ね。」


二人きりになったからか、乙姫が砕けた口調でそう言った。


「私も頑張るよ、姉上。」


なんとなくそう呼んでみたが、乙姫は少し照れくさそうにしている。

そんな反応をされると、なんだかこっちが恥ずかしいじゃないか。


「それはそうと、疲れてるわよね。寝具を準備するから今日は天井裏の部屋で我慢して頂戴ね。」


乙姫は頬を赤くしながら、海藻で編まれた簡易的な布団を持ってきてくれた。

私が布団を敷き終えてから数分後、乙姫が再び天井の扉を開けた。

今度は、綿津見国の近海でとれたという海産物を持ってきてくれたようだ。城の中央の海月殿にある厨房から少しばかり拝借してきたらしい。


「内緒よ!」


そう言って無邪気に笑う彼女の姿を見て、翠亀さんの言葉を思い出した。これは確かにお転婆だ。


あまり海産物を生で食べたことはなかったが、目の前にある色とりどりの海の幸はとても美味しそうに見えた。


腹も減っているし、このままではいざというときに力が出ないだろう。

それに乙姫の好意を無下にするのもよくないと思った。


思い切って一口食べてみる。

美味い。手が止まらない。どれもこれも美味すぎる。

紋章のおかげで、身体が環境に適応しているのだろうか。


食べ終わって、怒涛の出来事に疲れていたのか私はすぐに眠ってしまった。


そうしてようやく長い一日が終わったのだった。


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