第16話:名前で

「どうしたんだ?篠原さん?」


 どこか様子のおかしい篠原さんに恐る恐る声をかけてみた。けれども、何も言ってこない。


「ええと、篠原さん?」


 もう一度声をかける。すると、今度は反応が返ってきた。


「ずるい」

「…すまん、もう一回言ってくれ」

「香里菜ちゃんずるい」


 聞こえなかったから聞き返したら、篠原さんが今度ははっきりと俺にも聞こえる声で告げた。香里菜が帰ったからなのか完全に素に戻っている。


「ずるい、とは?」

「だって、瀬川君とあんなに距離近くて、それでいてその距離が当たり前って感じで、名前で呼び合って…」

「まあ、そりゃ幼馴染だからな」


 確かに俺と香里菜の距離は近いと思う。昔からこの距離間で接していたから違和感なんて感じない。でも、どうやら篠原さんはそれがずるい、と感じたらしい。


「私だってもう少し近づきたいし、お菓子だって欲しいよ!」

「ええと、篠原さん?」

「あっ」


 ずるい、ずるいとボソボソと言って、我を失いかけている篠原さんに改めて声をかけた。すると、無事我に返ってくれた。なお、そうして我に戻った篠原さんは、自分が何を口走っていたのかを認識したらしく、顔をボフッと赤くした。


「私、なんてことを、あうう」


 そう言って篠原さんは顔を隠してしまう。


「ええと」

「うう」


 俺たちの間に気まずい雰囲気が流れる。篠原さんが盛大に自爆しただけのような気もするけども、それはそれとしてかなり気まずい。篠原さんは顔を真っ赤にしていて、目を合わせてくれやしない。とりあえず、一回飲み物を入れ直すことにしよう。


「ええと、飲み物入れに行くが篠原さんもいるか?」

「…紅茶。砂糖たっぷりで」


 そうして新しく用意した紅茶を飲んでいるうちに篠原さんは落ち着いてきたらしい。どこか慌てていたのが消えて普段の調子へと戻ったのが俺でもわかる。それでも、顔の赤みは引き切ってはいない。


「うう、ごめん、瀬川君。ちょっと取り乱しちゃったみたい」

「それについては気にしていないが、急にどうしたんだ?」

「話さないといけない?」

「無理に話したくないならいいが、反応的にどうしても気になるな」

「わかった、それなら話すね。でも、その前にね」


 そう言った篠原さんはソファを手でトントンと叩いた。隣に来てほしいということなのだろうか。実際に篠原さんの隣に移動すると彼女は満足そうな顔をしたから多分これが正解だったのだと思う。すると、篠原さんは俺の手を握った。その行動の意図がつかめずに戸惑ってしまう。そんな俺を知ってか知らずか篠原さんは気持ち俯いた状態で話し始めた。


「私ね、香里菜ちゃんのことをずるいって言ったでしょ?」

「言ったな」 

「それって正確にはずるいとは少し違うんだよね。私自身でもその答えは分からなくて。こんな気持ちになったの久々だから」


 そうして彼女は下ろしていた視線を俺の方へと向ける。その茶色の目はどこか不安げな色を含んでいた。そして、篠原さんは俺との距離を詰めた。少し下がろうとしたけれども、手を握られてしまっているためにあっさりと顔と顔の距離は近くなる。


「でも推測だけなら出来てね。多分羨ましいんだと思うんだ」

「羨ましい、ねえ。香里菜のことがか?」

「うん、多分。でも、それが何が原因なのかわからないんだ」


 そう言った篠原さんは頭をソファの背もたれへと持っていった。それと同時に距離も元に戻った。ただ、手を離す気は一切ないらしい。


「じゃあ俺には何が出来る?俺が出来る範囲のことならなんでもやるぞ?」

「本当になんでも?」

「出来る範囲でならな」


 すると篠原さんはちょっとだけ悩むような仕草を見せた。そして、ボソっとこう言った。


「じゃあ、香里菜ちゃんと同じように接してみて欲しいなあって」

「わかった」


 と、軽く請け負ったのはいいものの、どうすればいいんだ?香里菜との距離は幼い時からずっと同じで基本的には変わっていない。だが、それと同じように接して欲しいと言われて考えてみると、どんな感じなのかはよくわからない。具体化できない。


「どうしたの?早くしてよー」

「篠原さん、すまん、具体的にどうして欲しいのか教えてくれないか?」

「…名前で呼んで欲しいなあって」


 その時の篠原さんは顔を背けてしまっていて見えなかったが、その耳が赤くなっていることだけは俺からでも見えた。


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