第2話「遭遇!宵闇に吼える魔人」
赤き宝石の令嬢、ルビー・アンネローゼは幼少期、重い病気でめったに床から出ることができなかった。
そんな彼女に、両親と召使たち、そして領民はとてもとても暖かかった。
彼女が食べ物を胃に入れられるときは、領民が献上した新鮮で栄養ある作物が、暖かく優しい味のスープとなった。
彼女の病に効く薬の原料を探し、集め、作り上げたのは、町の皆であった。
故にルビー・アンネローゼは、領民たちに強く感謝の心を持っている。
彼女は愛している。この地と、人々を。
だからこそ感じた、かすかな違和感。
上位洗脳魔道具の一種「ハーメルの笛」によって意識を侵されてなお、ぼやけた視界に入る子供たちの姿に。
──指一本動かない。だけど
なおも握りしめた小さな箱。そこに、わずかな、わずかな魔力を流し込み。
ピリリリリリリリリリリ!!!
「……っ!」
意識が覚醒する。
すぐに周囲を見渡すと、狭い空間に何人という子供達。
皆同じく意識を取り戻したところなのか、不安げに周囲を見渡している。
「数、だいたい二十人。行方不明人数と合うわね……」
次の行動に意識を移そうとした瞬間、地面が大きく揺れた。
そうか。ここは馬車。私たちは意識を奪われたまま、どこかへと連れていかれるところだったのだ。そして、防犯ブザーの音に気づいて馬車を止めた……!
「みんな!逃げて!!!」
出入り口の布をまくり上げ、叫ぶ。
一瞬止まった子供たちも、次の瞬間にワッと次々に外に飛び出し始めた。
あわせてわたくしも転がるように外に出る。
獲物に逃げられた誘拐犯は、すぐに追いはじめるはず。
少しでも時間を稼がなければと頭を回す私の前に、しかし男はゆっくりと近づいてきた。
「まったく、なんですか。今のけたたましい音は」
落ち着いた、しかし低い声の男はその手に抜き身の剣を携えてゆらりと一歩進む。
「おかげで笛の効果が……これなら拘束くらいしておくのでした」
「貴方が、行方不明の子供たちを……」
「ええ、そうですとも。お初にお目にかかります、ルビー・アンネローゼ嬢。私の名はゼド。訳あって、子供達と貴女を誘拐しようとしております」
もう一歩近づく。細身だが、筋肉質。一目でわかるのは戦闘力の高さ。
──怖い。
大人の男が、剣を持って近づいてくる。
それだけで、それだけで足がすくんで動けない。唇が震えて声が出ない。
「ん?ああ、すみませんすみません。安心してください。貴女を殺すつもりはありませんよ。ずっと貴女も欲しかったんですよ、別件でね。逃げ出した子供達はいらない。今回は貴女一人で十分だ」
「……よくわかりませんが、つまり私が反抗せずあなたに捕まれば、あの子たちは逃がしてくださるの?」
「いやぁ、それは無理です。なんせ私の顔、見てしまいましたから」
「……っ、貴方!」
私のすぐ後ろには逃げる子供達。
周囲の景色から見るに、ここはもう町からかなり離れている。
逃げ切る前に、全員殺される……!
「……なんとか、あの子たちだけは許してくださいませ」
わたくしができたのは、地に頭をつけ、男に懇願することだけだった。
「……わたくしの身体、命、お好きにしていただいて構いませんわ」
だから、と続けるより先に、腹に強い衝撃。
「……っがは!」
「だから!最初からそう言っていますよねぇ!ガキは殺して、あんたは連れていく!これはもう決定事項なんですよぉ!」
痛い。痛い痛い痛い。
みぞおちが熱い。息が吸えない。土と鉄の味が口の中に広がる。
怖い。苦しい。ぼろぼろと涙が目じりを伝う。
「じゃ、もっかい意識飛ばしてもらいますよアンネローゼ嬢。次目を覚ました時、ガキどもは全員あの世です」
頭の上で男が嗤う。
涙で歪んだ視界の向こうで、走り去る子供の背が見えた気がした。
この男はさっき「今回はわたくし一人で十分」と言った。つまり、たとえ今回あの子たちが逃げ切れても、この誘拐は続く。
無駄なのだ。たとえこの身を差し出しても。
──希望は、ないのね。
そして頭に、強い衝撃が──
「さて、じゃあガキ狩りといくか。夜明けまではまだまだ時間もある。それに、いざとなったらあれを使えばいい」
クククと笑う男が、さて鬼ごっこを始めようと足を出した瞬間。
「……お待ちになって」
背後から、声。
「おやおやおや。これは驚きました。まだ意識があったんですね」
振り返るとそこには、ふらふらと立ち上がる赤き宝石の令嬢。
額から垂れる血が、彼女の右目を閉じさせる。
「
そうつぶやくと同時、彼女の片瞳が赫く光る。
四大貴族だけが持つ、固有魔法:宝石操作。
ルビー家の一族は、ルビーを自在に操ることができる。
──わたくしが今持っているルビーは、防犯ブザーの材料となっている小さな小さなもののみ。
直接ぶつけても意味はない。
ならば……!
「
パッと掌に光が灯る。
新月の夜にこの眩さ。男が一瞬、手で視界を覆う。
「今ですわッ!」
防犯ブザーの箱を突き破って宙に浮いたルビー片。
それを光るこぶしで握りしめる。
握りこぶしの中が、熱く、熱く熱されるのを感じて
「
拳底を男の顔に向ける。
閃光。
ルビーは光を受けると、強い蛍光を発する性質を持つ。
その光を屈折、収縮、照射したのが今の閃光。
時間差の二段目眩し。
「ガッ......!このっ......!」
悶える男を前に、私は地に膝と手のひらをつける。
まさか降参するためではない。
ルビーの産地であるルビー領。その大地に眠るルビーの原石を
「5m、8m、10m……15m、20m……」
あるはずだ……小さくてもいい。少なくてもいい。
「25m……あった!」
指先サイズのそれはしかし、今の私には十分すぎる。
助けが呼べないのなら、子供達は私が助ける。
皆殺されるなら、私が止める!
私は、ルビー領主の娘。ルビー・アンネローゼですわッ!
──希望がないなら、私がなればいいじゃない!
「はッああああああああッ!!」
地面を割って、ルビーの原石が空を斬る。
わずかな魔力を纏い、赤い軌跡を残すそれを、スピードそのまま、真っ直ぐに、男の頭部に、ぶっ飛ばす!
コッ
決して軽くはない衝突音を響かせ、男はゆっくり地に伏した。
「やった......やりましたわ......!」
暴漢を退けた安堵。子供達を守れた安堵。
ホッと息を撫で下ろすより先、響き渡ったのは獣のような唸り声。
「こぉぉのぉぉぉぉくそあまぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァぁぁぁァァァァァ!!!!」
伏した男が怒声を上げる。
あくまで丁寧だった先程までの言葉遣いはない。
刺すような、殺意。
「イキがりやがってぇぇェェ!!誰に......誰に喧嘩売ったか教えてやるよぉォ!!!」
男が何かを、噛み砕いた。
刹那、男の周りに黒い閃光。
雷の如き轟音と共に、男の身体がボコボコと盛り上がる。
変形と膨張を繰り返し、巨大な肉塊へと姿を変えていく。
「な、何が起こっていますの......?」
その問いの答えはすぐにわかる。
傍聴した肉体は、やがて二足歩行の化け物と化し、その目を黒く輝かせた。
体長約20m。巨大で歪なツノと、空を覆う翼。
昔話で聞いたことがある、「魔人」の姿がそこにあった。
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