第5話「優雅たれ!令嬢流、武の極意」

我が家には、小さなものだが庭園がある。

花が好きなお母様と、メイド達が毎日手入れするそこは、温かな陽射しを浴びて鮮やかに照らされる。


中央に置かれた小さな白木の丸テーブルと椅子。

そこに座ると、婆やがいつものティーカップを置いた。


「本日のお紅茶はシルバニー・エネ。王都より最上級の物を買って参りました」

「まぁ!それは楽しみ……だけど婆や、これが『真の修行』なんですの?」


毎日のティータイムと何も変わりませんわと言うと、婆やは笑う。


「まぁまぁ、いつも通り、優雅にお茶とお菓子を嗜みなされ」

「わ、わかりましたわ……」


お紅茶を淹れるのが上手い者は、一才音を立てない。

ティーポットを持ち上げる時も、お紅茶を注ぐ時も。

陶器がぶつかる音も、水が跳ねる音も一切しない。


ティーカップにお紅茶が注がれると同時、優しい匂いがふわりと漂った。


「まぁ……!とってもいい香り」

「さぁ、どうぞ」


いただきますとティーカップを浅くつまみ、持ち上げる。

そして、気づく。


……!」


ティーカップが重いのだ。

いや、重りがついているわけではない。

限界まで酷使した腕が、疲労しきった腕が150mlほどのお紅茶と陶器を制御しきれない。


「お嬢様、波紋が、立っております」

「……波紋?」

「お嬢様の腕の震えをダイレクトに受け取って、ティーカップは震えます。そしてティーカップの震えは、お紅茶に波を立てる」


お紅茶の水面を覗き込むと、細かく揺れ続けており、反射したわたくしの顔が歪んでいる。


「お嬢様、一度カップをソーサーに置きなされ」


言われた通りにカップを置くが、陶器カップ陶器ソーサーがカシャンと音を立ててしまった。


「あっ……」

「持ち上げている時に震える手、音を立てて置かれるカップ。もちろん、とても優雅とは言えませぬ」

「それは!……そう、ですわね」

「令嬢たる者、この先たくさんのお茶会に参加なされることになるでしょう。それは商人との交渉の場、貴族同士の交流の場、そして王族の方との謁見の場」


ティーカップを静かに持ち上げ、婆やは続ける。


「今は肉体の疲労で優雅さが失われておりますが、そういった場では緊張、プレッシャーと心の乱れで優雅さが失われやすい」

「……確かに。で、ですがそれと修行に何の関係があるんですの?」

「自分自身の身体も制御しきれぬ人間に、ダイレイジョーが制御しきれると?」

「はっ……!」

「いかなる時でも、指の先まで自分の身体をコントロールできるようになる。己の身体を己の物として初めて、ダイレイジョーなるもう一つの身体を正確にコントロールできるのではありませんか」


婆やは手に持ったカップをソーサーに置いた。

音ひとつなく、そして、波一つ立てず。


「武とは派手な技のことを指すのではありませぬ。己の心と身体を制御し、整え、本来持っている真のポテンシャルを発揮するための思考と行動。それが武でございます」

「真の、ポテンシャル……」

「左様。お嬢様、いかなる時でも優雅でありなされ。怒れる時も、悲しき時も、戦場いくさばでも、操縦席コックピットでも。……貴族令嬢は常に気品高く優雅たれ。貴女が目指すべき武は、そこにありまする」







そこからの、婆やとの特訓は至ってシンプルであった。

朝早くから肉体をいじめ、限界までいじめ抜く。

そしてその後はいつも通り、いや、いつも以上に気品と優雅さに気を配り生活する。

離れまでの廊下が、こんなに長いと感じたことはない。

書物の本が、こんなに重く感じたことはない。

階段が、こんなに長く感じたことはない。


疲労した肉体は、脳の命令と異なる動きをする。

思ったより上がらない腕、脚、入らない力。


であれば、意識側を変えれば良い。

上がらない前提で身体を動かす。入らない前提で力を入れる。

肉体のポテンシャルを把握し、正確に動かすのだ。



──特訓を始めて四週間後、わたくしのティーカップから、音が消えた。







ある街の酒場。その隅で安酒を煽る男がいた。

男の顔に笑みはない。そこだけ空気が澱むように、負のオーラで満ちている。


酒場の店主は見えないところで頭を抱えた。

「勘弁してよ〜、あのお兄さんがいると、あの一角の雰囲気悪くなるんだから……」

それは男の陰鬱な表情と、溢れ出る悲哀、絶望から来るものであった。


男はふと、酒場の壁面に貼られた張り紙を見た。

魔道具印刷たいりょういんさつされたであろうそれを、変わらぬ生気のない目で見て──


「──ふ」


「ふっははははははははははは!!」


豪快な、心底愉快そうな男の笑い声が店中に響く。

入店時とは比べ物にならぬ軽快な足取りで、店主に酒代を投げよこすと酒場を出て行った。


「な、何があったんだ……?」


男が出て行った後、店主は張り紙を見る。

少しの報酬と引き換えに店内掲示を許したその張り紙、国中の酒場に掲示を乞うているらしいそこには、こう書いてあった。



再戦リベンジ希望! 格闘家ガルマよ、赤き石が再戦を申し込む。次の礼拝の日、出会った地へ参れ』

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