第5話 新しい宗教

 牢でエカチェリーナと対峙して七日、リリムス家の屋敷で目覚めて六日が経った。


 ウィリアムは穏やかな日々を過ごしている。


 この屋敷は平和だ。帝都からは少し離れた街にあって、やかましいパレードも教会の儀式も行われない。


 さらに、ロザリアはウィリアムの価値観を理解し、子作りを強要するのはやめてくれた。ゆえにウィリアムは誰とも交わっていない。まだ清い身でいる。


 皇子の死はまだ新しい噂なので、ウィリアムは屋敷の外に出ることはできなかった。屋敷の中でさえ仮面をつけているのだ。


 素顔でいられるのは部屋の中だけ。正体を知るのはロザリアとビビだけであった。


 そしてオフィーリア。


 彼女は無事であると聞き、ウィリアムは涙を流した。ビビは約束を果たしてくれたのだ。木像を渡し、手紙を貰ってきてくれた。


 オフィーリアは皇女のメイドに転属したらしい。なるべく早く休みをもらって会いに来てくれるとのこと。


 ウィリアムはすぐにでも会いたかったが、王宮を訪ねるわけにもいかない。逸る気持ちは抑え込み、情熱を別のものに向けた。


 それは――教義を練ることだ。


 ロザリアに乞われ、ウィリアムは自身の中にある確固たる信念を言葉にし文字にし整理してまとめる作業に取り組んでいる。


 世界を変えるためには、帝国を支配するデカパイ教を打ち破らねばならぬ。それに必要なのは新しい宗教。


 新しい宗教。名前はまだない。


 根幹にあるのはただ一つ。百万人いれば百万通りの美しさがある。


 巨乳だけが美ではない。巨乳も美しい。貧乳も美しい。お尻も美しい。そういう価値観である。


 人が生まれ持つ美しさに優劣はない。それぞれが唯一無二である。誰もが自分らしく生き、幸せを感じられるような社会こそ理想である。


 今の社会ではみなが不幸だ。貧乳は虐げられ苦痛にあえぎ、巨乳でさえ上を見て劣等感を抱き、その頂点にはエカチェリーナただ一人が君臨している。 


 綺麗ごとを並べればそういうことになる。しかし、ウィリアムが一番に思い描くのはオフィーリアの姿であった。彼女が自らを偽らず生きられる世界を作るのだ。


 この教えを広めるのが世界変革の道筋である。遠く長い道になるだろうがウィリアムは一生をかけるつもりでいた。


 その第一歩がロザリア。


 そして第二歩がビビである。


 しかし――ウィリアムは第二歩でさっそく躓いていた。




 月もない静かな夜。


 ウィリアムは机に向かってうんうん唸っている。


 ウィリアムは哲学者でも宗教家でもないので、自分の思想に向き合うのは初めての経験だったのだ。


 側に控えるのはビビ。ウィリアムの正体を知る数少ない人間であるビビは昼夜を問わず仕えてくれていた。


「殿下、もう遅いです。そろそろお辞めになっては?」


「"殿下"はやめてくれと言っただろ。身分も姓も捨てたんだ。ウィルでいいし、敬語もいらない」


 ビビは困ったようにウィリアムを見つめる。


「しかし……」


 ウィリアムは羽根ペンを置いてビビに向き合った。


「頼むよ。実を言うと、俺は殿下と呼ばれるのは好きじゃないんだ。身分ではなく名前で呼んでもらいたい」


 ビビは頭を下げる。


「かしこまりました、ウィル様」


「……まあいいか。とりあえずはそれで」


 ウィリアムは椅子から立ち上がった。


「今日はもう終わりにするよ」


「それが良いと思います」


 ウィリアムは大きく伸びをしてストレッチをした。何時間も同じ体勢でいたので体が凝り固まっている。


「オフィーリアからの手紙は来てないか?」


「……来ておりません。その質問はこれで七回目になります。今日だけで」


「ごめんよ」


 ウィリアムはベッドに腰掛けた。


 ビビがその前に跪き、頭を下げる。上目遣いが魅力的だった。


「ウィル様。今晩もアレをお願いしてもよろしいでしょうか」


 ウィリアムは悩んだ。喜ぶ気持ちもあれば、断りたい気持ちもあった。しかし結局は頷いた。奉仕してくれるビビの願いを無下にすることなどできはしない。


「おいで、さあ、ほら」


 ウィリアムはビビの背中を押してベッドに寝そべらせる。


 ビビは薄くてわずかに透けるような服しか着ていない。彼女の美しいボディラインが際立ち、たいへん刺激的だった。


 ウィリアムはビビの体にまたがる。


 いつも落ち着いて振る舞うビビは、髪の毛の先をいじったり服の裾を握りしめたり。彼女らしくない忙しなさを見せてくれる。


 ウィリアムはビビの手を取ってちゅっと口づけした。ビビは頬を赤く染める。


「じゃあ、揉むから」


「お願いします」


 ビビの大きな大きなおっぱい。爆乳ではないが、巨乳である。瑞々しい果実のような匂いがする。


 ウィリアムはそれに触れた。両手に一つずつ。とうてい手の平には収まらない。


「あぁ……」


 ビビは膝頭をこすり合わせる。あまりに愛らしいので、ウィリアムはキスしたくなる気持ちを抑えるのに苦労した。


「男が揉めば大きくなるなんて、迷信の域をでないと思うんだが」


「そんなことはありません。ここ数日で私の胸は大きくなりました。成長期はもう終わりかけなのに」


「そうか……」


 ウィリアムは優しく撫でるように揉んだ。


 最初の夜、ウィリアムは断ろうとした。巨乳絶対主義を打ち破ろうとしているのに、教祖が従者の胸を揉んで膨らますなんて道理に合わない。そう思ったのだ。


 しかしビビの真剣な言葉を聞いて思い直した。美の基準は自由だ。巨乳を望むのであればそれもまた良しである。


「それほどに爆乳が欲しいのか?」


 ウィリアムはいじめるように、胸の頂点を避けながら指をまわした。


 ビビはいじらしく体を揺らしながら口を開く。


「大きければ大きいほど良いのです」


「ここ数日で何度も何度も問うたが、また問おう。なぜだ? なぜ大きいと良い?」


「大きいと――出世できます」


 ビビは疑うことの無い口調でそう言った。


 ウィリアムは頭を抱えてしまいたい思いだった。ビビは難敵だった。どれだけ「巨乳がすべてでない」と説こうとも、別の角度から論理を破壊してくるのだ。


 この社会は巨乳が得するようにできている。だから巨乳が欲しい。


 ウィリアムはビビの言葉を否定できていない。一部の間違いもないからだ。


「ウィル様の考えは理解しました。素晴らしい理想だとも思います。しかし私は――搾取する側です。この社会で恩恵を受けている側の人間です。上位10パーセントの人間です」


「…………」


「私はもとは平民でした。十歳のときに胸の大きさを見込まれて、ロザリア様に養子にしていただいたのです。ですから……」


 ウィリアムはおっぱいをさわさわと揺らし、ビビは言葉を繋げられなくなった。


「ナマイキなおっぱいだ」


「……申し訳ございません」


「いいんだ。――ではこう考えてみよう。ビビもいつか子を産むかもしれない。その子は巨乳か貧乳か分からない。さあ、母親としては、どんな社会であって欲しい?」


 ビビはウィリアムの手に手を重ね、おっぱいをぎゅうっと揉み潰した。服の上からでもその肌のなめらかな手触りが分かる。


「殿下の子を孕みたいです。私と殿下の子であれば、爆乳間違いなしでございます」


「…………」


 ウィリアムはゆっくりビビの手をどかし、また優しくマッサージを開始した。


「答えになっていないぞ」


「申し訳ございません。私に難しいことは分からないのです」


「分からずとも一緒に考えよう。放棄してはいけない。考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩まなければ」


「ウィル様……」


 ビビはクールな面立ちを可愛らしく歪めて、下半身をこすりつけてくる。ムンと女の色香が漂った。


「もう考えてなどいられません……どうか御慈悲を……賜りたいのです……」


 ウィリアムは口の中を噛み、その痛みで正気を保とうと試みる。


「だめだ。爆乳の子を産むためのまぐわいなど俺はしない。子どもとは愛の結晶なのだ」


「ウィル様をお慕いしております……」


「いいや」


 ウィリアムは石のように硬く尖った先端を指で弾いた。ビビは鋭く鳴く。


「嘘を付くな。すぐに分かるぞ」


「……申し訳ありません」


 ウィリアムは理解している。ビビにとって何より優先されるのはリリムス家への忠誠。家長であるロザリアへの忠誠だ。ロザリアの命だからウィリアムに従ってくれているのだ。


「いいんだ。家族のために嘘をついてでも身を捧げる献身ぶりには、グッとくるものがある」


「グッとくるのですか」


「ああ、チンポコにグッとくるのだ」


 ビビは恥ずかしそうにくすりと笑った。


 ウィリアムは上下左右に揉みしだく。


「では質問を変える。ビビの一番小さい妹はいくつだったか?」


「七つです。義理の妹ですが」


「七つか。その七歳の妹の胸が膨らまず、平坦なまま成人を迎えたとしよう。そしたら平民落ちするだろう。そうなった貴族の運命は悲惨らしいな。平民の間ですら蔑まれるとか」


「…………」


「さあ、姉としては、このままの社会でいいと思うか? どうだ?」


「……そんな悲しいことは考えたくありません。妹はきっと巨乳になります。ウィル様が揉んであげてください」


 ウィリアムは凝り固まった先端をつまんだ。ビビがヒイッと湿った吐息を漏らす。


「考えるんだ、ビビ。仮定して、想像しろ」


 ビビは苦しそうに呼吸しながら言う。息に艶が混じっている。


「……このままでは、よくないのかも」


「そうだろう。ビビは優しいお姉ちゃんだ。妹のこととなるとこんなにも優しくなれるではないか」


 ウィリアムはビビの首筋に口づけを落とした。甘い味がした。


「その優しさを他人にも向けることはできないか?」


 ビビは唇を閉じたまま喋ろうとはしない。おっぱいからもたらされる快感に悶えているようであった。


 ウィリアムは手を休めた。


 ビビはいつの間にか呼吸を止めていて、思い出したようにハアッと息を吸い込んだ。額に玉のような汗が浮かんでいる。


 ウィリアムはそれを拭った。


「ビビは俺にも優しくしてくれる。赤の他人なのに。出会ったばかりなのに。ビビは優しくて美しい心を持っている」


「……ウィル様の愛は無限かもしれませんが、私の愛はそうではありません。家族とウィル様だけで精一杯でございます」


 ビビは柔らかな眼差しでウィリアムを見た。ウィリアムは額にも口づけを落とす。


「なぜ俺を入れてくれるのか」


「……お慕いしているからです」


「なら、他の者にもその愛を向けることができるはずだ。愛は有限だと決めつけなくてもいいはず」


 ウィリアムはまた優しく揉み始める。ビビはシーツに爪を立てて握りしめた。


「ままならぬものだ。俺自身、愛が無限だと証明できていない。屋敷の中で引きこもり、机の上で理想をこねているだけ」


「そんなことは……ございません……」


「俺に力があれば……パンとワインを生み出したり、傷を癒したりする力があれば、たった一人の女を説き伏せるのにこれほど手間はかからぬだろうに」


 ウィリアムは丹念に揉み込む。愛を込めて揉む。今のウィリアムにできるのはこれだけだった。


「美しいおっぱいだ。大きく華やかで、いまだ成長の途上にある。なんと美しい」


「あぁ……」


 ビビは性感をこらえきれなくなったようで、ウィリアムの背中に腕を回してくる。 


「ウィル様……抱きしめてくださいッ!」


 ビビは懇願して叫んだ。


 ウィリアムは彼女をそっと抱きしめた。


「ウィル様――ッ」


 ビビはこうして抱きしめられることを特に好んだ。ウィリアムもこうするのは好きだった。


 ビビは一際大きく震え、そののち肩で呼吸して息を整える。


「ウィル様は……今は万人を救えないかもしれませんが……ロザリア様を救いました」


「そうだな」


「道のりは遠いですが、いつか成されるでしょう」


「力を貸してくれるか」


「私の小さな力で良いのであれば」


「大きな力だとも」


 二人はしばし抱き合った。ウィリアムは体温を通して愛を伝え、重なり合う鼓動で愛を受け取った。


 ビビの呼吸が落ち着くのを待って、ウィリアムは体を離して微笑んだ。


「おっぱいを揉んでやった。次は――お尻を揉ませてもらう番だな」


 ビビは口元をわなわな震わせた。世界の終わりのような顔をしている。


「ご勘弁を……お尻は……」


「不浄だ、とは言うまいな」


「…………」


 すでにビビは何が禁句であるかを学んでいるようだった。ウィリアムは頬をほころばせる。何度もでた甲斐があるというものだ。


 ビビはつぶらな瞳を潤ませた。ヘビを前にして怯えるウサギのように囁く。


「愛が……愛で……溺れ死んでしまいます」


「死なない。生まれ変わるのだ」


 ウィリアムはビビの体をひっくり返した。ビビは可愛らしい声を出したが、抵抗はしなかった。


「おお……なんというお尻だ……」


 まんまるで、まっしろで、ツンとして気高く傲慢なお尻。


 声が聞こえる。我に触るな触るな、絶対触るなと言っている。しかし本心では触れて欲しいと望んでいる。ツンデレである。


 ほんのりと汗ばみ、紅潮していた。胸で得た快感はお尻にも蓄積していたのだ。


 ワンピースのような服はめくれ上がり、お尻を包み隠すのは黒い下着のみ。ずれてヒモのようによれて細くなってしまっている。


「美しいお尻だ……」


 ウィリアムは顔を近づけていく。熱い息がかかって、ビビは逃げるように這った。


「ご容赦を……」


「どこへいく」


 ウィリアムはその足首を掴み、引いた。ビビはベッドの上で引きずられて無様にお尻を晒す。


「触るぞ」


「…………」


 ビビは顔をシーツに押し付けていた。表情が見えないが、仔犬のようにくぅくぅ呻いている。ウィリアムはここがチャンスとばかりに飛び掛かり――舌で舐めた。


 でろりでろりと舐めた。


「うまい!」


「ウィル様! お辞めください! 触るぞと言って舐めるのは……お辞めください!」


「お尻が舐めてほしいと言っていたのだ!」


「お尻は言葉を話しません!」


「話す!」


 ウィリアムはお尻に吸い付いた。鼻先をこすりつけながら上から下までキスしていく。


「お尻は話すのだ。聞こえないか? このお尻は愛を求めている。本音を理解してほしいと望んでいるのだ。聞こえないはずないだろう!」


「聞こえません!」


 ウィリアムはお尻をわしわしと揉んで、すみずみに至るまで舐め回し、それから頬ずりしていく。


 ビビはお尻を小さく震わせている。やはり表情が見えないが……きっと喜んでいるのだろう。ウィリアムそう判断した。


「こんなにお尻を好き放題されて……もうお嫁にはいけません」


「…………」


「責任をとってもらいますよ、ウィル様」


「これは困った。どうしたものか……先ほどはかっこよく子作りを突っぱねたのに、今度は断り文句が見当たらない……」


 ウィリアムはお尻に顔をぐりぐり埋めた。


 鼻息がビビの最奥まで達していき、ビビは足をばたつかせる。ウィリアムはそれを抑えつけてフガフガ話した。


「どうすればいい! 答えを教えてくれ! 愚かな俺に答えをくれ!」


「ぅぅぅ……」


「……なるほど! さすがお尻! そういうことか! 逆転の発想だ。つまり娶れば一生お尻を好き放題にしていいということだな?」


「……違いますっ」


 ウィリアムは役者のように大げさに天を仰いだ。目は恍惚としている。


「結婚した日には、七日七夜休むこと無くでてやる!」


「お助けを……ウィル様……どうか……」


 ビビは悲痛を絞り出した。


 ウィリアムは目を見開いておののく。


「苦しんでいるのか!? 今助けるぞ!」


 ウィリアムはお尻にむしゃぶりついた。はむはむと食べていく。なんてプリプリなのだろう。


 ビビはお尻を逃がそうと左右にふった。


「食べられる……食べられてしまいます……どうか食べないで……ああ……」


 ウィリアムはお尻にかじりついたまま、ビビの全身を撫で回した。太もも、おへそ、背中、わき、すべてを。


 ウィリアムの手の中で、ビビの体はどんどん熱くなっていく。


「お尻が気持ちいいのだろう。お尻は立派な性感帯。神はお尻をでるために作ったのだ。であればでなければいけない。違うか?」


「…………」


「答えよ、ビビ。違うか?」


「……お尻が気持ちいいです」


「それはいちいち言わずとも分かっている。お尻はでるべき対象であるという主張に納得したか?」


「…………」


「強情なヤツめッ!」


 ウィリアムは再びお尻に口づけした。この愛を伝えなければいけない。ビビもすぐに理解するはずだ。


 壊れたようにビクビク跳ね回るビビの体を抱きしめながら、ふと、ウィリアムの指先は硬い何かに触れた。


 それは人体の硬さではなかった。


 不思議に思って服の下から引っ張り出す。ビビは甘い声で喘いでいたが、急に口を閉ざして跳ね起きた。顔は真っ青になっている。


 いったいどうしたと言うのだろう。ウィリアムは手の中のそれに視線を落とした。


 それは木片だった。


 ただの木片ではない。丁寧に彫られている。まだ完成品ではないが、何の像かははっきりと分かる。


 女性の下半身の木像だ。


 見覚えがあった。忘れるわけがない。見間違えるはずもなかった。


 それはウィリアムが彫り出し、ビビに預け、オフィーリアに届けてくれたはずの木像であった。


 ウィリアムは理解できず凝視した。


「なぜ……なぜこれがここにある……」


 ビビはベッドの上で土下座し小さく小さく体を丸める。恐怖で激しく痙攣していた。


「それは……申し訳ございません……」


 ビビの声は小さく速く、歯がカタカタと音を鳴らしている。


 ウィリアムの声は迫りくる嵐のように轟いた。雷がすぐそこまで来ている。


「謝罪はいらない……説明するのだ」


 ビビは頭をベッドに擦り付けた。


「お渡しできませんでした! 壁越しに話したのみで……手紙は私が書いたものです!」


「なんだと……」


 ウィリアムはビビの肩をつかみ、顔を上げさせた。ビビは浅い呼吸で絶え絶えに言った。


「オフィーリア様が望まれたのです! 心配を掛けぬようにと! 嘘をお許しください! なにとぞ!」


 雷はウィリアムの体に落ちた。脳天から足先まで痺れが駆け抜けて体が動かなくなった。


 オフィーリアからの手紙には「私は無事でございます。すぐに会いに行きます」とあったのだ。それが嘘だというのか?


「彼女はどこにいるのだ。答えによっては――俺はどうにかなってしまうぞ!」


「ウィル様! お気を確かにお持ちください! オフィーリア様はまだ生きておられるはずです!」


 まだ・・生きているはず・・


 許しがたいことだった。まだとはなんだ。はずとはなんだ。オフィーリアはこれからも長く生きるのだ。ともに生きていくのだ。そう約束したのだ。


 オフィーリアの微笑みを鮮明に思い描くことができる。耳をくすぐるような笑い声を。髪をとかしてくれる優しい指先を。ふとしたときの悲し気な瞳を。皇子とメイドとして長い時を分かち合ってきた。


 オフィーリアは早いうちからウィリアムのお尻趣味に気付いていたに違いなかった。それでも何も言わずに笑って日々を過ごしてくれていた。きっと彼女がかばってくれていたのだ。だからウィリアムは平穏に15歳まで生きてこれた。


 そして恩を返す番がやってきたのだ。


「彼女はどこにいるのだ!」


「王宮に! 王宮におられます!」


 ウィリアムは東に向かって咆哮した。屋敷そのものが揺れた。


「今すぐ行くぞ! オフィーリア!」


 言葉通り、ウィリアムは大股で扉に向かって歩き出す。ネズミの小次郎がどこからか現れて肩に飛び乗った。


「だめです! お待ち下さい!」


 ビビは怯えながらも必死の形相でウィリアムの腰にしがみついた。


「そのお姿ではバレてしまいます! バレずとも貧民にさらわれます!」


「知らぬ! バレてしまえ! 貧民は説得する! 愛を説けば理解するはずだ!」


「王宮に乗り込んでどうするというのでしょうか! 首を跳ね飛ばされます! 今度はお救いできません!」


「俺の首などどうでもいい! 愛する女一人救えずに、何が世界の変革だ!」


 ウィリアムはそのまま部屋を出た。叫び声が響いていたのだろう、屋敷は騒がしくなっていく。


 ビビははだけた服を慌てて直し、机の上にあったウィリアムの仮面を引っ掴んで追いかけた。


「お待ちを! 五分だけくださいませ! ――ああ、どうしたらいいでしょう、ビビには分かりません、ご命令をください……ロザリア様はどこに……」


 ウィリアムは止まらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る