第4話 神の御手によって

 ウィリアムは目を覚ました。


 椅子に縛り付けられていた。手足は何重にもきつく紐で結ばれピクリとも動かない。

 

 見慣れぬ部屋の中だ。家具はどれも落ち着いた雰囲気で飾りっ気が少ないが、しかし安っぽくはない。それなりの金はあるらしい。


「ここは……どこだろう」


「お目覚めですか」


 女がいた。


 銀の髪を垂らした30代くらい。抜き身の刃のような女だった。美しいが、鋭い空気をまとっている。触れれば怪我することは間違いない。


 肌はきめ細やかで、服も上等なものである。そしておっぱいは大きい。爆乳一歩手前。上の下である。


 すぐに分かった。貴族だ。


 ウィリアムは皮肉げな微笑を浮かべた。


「天使が舞い降りてきてくれたようだ……やはり俺は死んだのだろうか?」


 女は跪いた。


「私はリリムス家当主、ロザリアでございます。殿下の身柄を……保護させていただきました」


 リリムス家。魔女エカチェリーナに仕える貴族家である。


  保護と称して跪いてはいるものの、縄を解くつもりはないらしい。ロザリアの目だけは油断なくウィリアムを捉え続けている。


 やはり恐ろしい女だ。同じ空間にいるだけで肌が粟立ってしまう。ウィリアムはぶるりと身を震わせた。


「俺は死ななかったのか」


「そうでございます」


「なぜだろう」


 ロザリアは抑揚のない声で言った。


「……殿下の遺伝子は、殺すにはあまりにもったいない」


 ウィリアムは天を仰いだ。一矢報いて死んだと思ったら死んでおらず、種馬として腰を振れということだろうか。


「エカチェリーナはやはり魔女だ。脅したつもりだったが、効果はないらしい」


「いえ、この件をあの方は知りません。私の独断でございます」 


 ウィリアムは眉を吊り上げる。


「なんだと……」


「あの方含めて世間のみなは、殿下が死んだと思っております」


「俺もそう思っていた。しかしあなたは、俺に死ぬことさえ許してくれないようだね」


「申し訳ございません。……殿下にはリリムス家の女に子種を恵んでいただきたい。そうすれば、生まれてくる子はみな大きな大きな胸を持つでしょう。それでリリムス家は上流貴族となることができる」


 ウィリアムは大きく息を吐いた。


 事ここにいたっては仕方なし。やるしかない。初対面の女と子作りなど倫理的には間違っているが……少し嬉しく思う部分もあった。


 お尻への愛の前で倫理など存在しない。ウィリアムは下品なにやつきをなんとかこらえ、憂鬱で面倒臭いという口調で言った。


「何人だ? 何人孕ませれば解放してくれる?」


 ロザリアはウィリアムを睨む。


「……永遠に、でございます。息絶えるその日まで永遠に。リリムス家の女すべてに、生まれた女子おなごすべてに、孫が生まれればそれすべてに」


 ウィリアムは拳を握りしめ、怒りをにじませてロザリアを見下ろす。


「おぞましいことを……子を犯せ、孫を犯せと言うのか」


「おっしゃる通りでございます」


「ありえない」


「していただきます。リリムス家の栄えある未来のために」


 視線が衝突する。


 ロザリアはその揺るがぬ両の瞳に強い意志を宿していた。冷たい月のような輝きがあった。


「リリムス家には殿下の遺伝子が必要なのです。胸の大きい女が必要なのです。大きい胸が必要なのです」


「なんてやつだ……」


 そんなとき、ウィリアムは部屋の隅で小さい獣が駆けていくのを見た。――ネズミだ! 小次郎だ!


 小次郎と目が合い、小次郎は手を振ってくれた。ウィリアムは思わず笑みをこぼす。こいつも生きていたのだ!


「何がおかしいのですか」


「何でもない」


 小次郎はロザリアの死角を抜けてウィリアムの背中に回り込み、手首を縛る縄にかじりついた。少しずつ拘束が緩まっていく。ロザリアはまったく気付いていない。


 ウィリアムは心の中で叫んだ。


 逃げ出してやる! 


 小次郎とここを逃げ出し、オフィーリアに会いに行くのだ! 彼女は訃報を聞いてどう思っているだろうか。一刻も早く会って無事を伝えなければ!


「待っていろよ――イタッ! それは指だ! 縄じゃない!」


 小次郎が指を噛み、ウィリアムは痛みで飛び上がった。


「? どうされたのですか?」


 ロザリアが目を細めた。ウィリアムの背中を汗が伝っていく。


 小次郎が噛み痕をチロチロと舐めてくれた。ごめんねという声が聞こえるようだ。ウィリアムは逃げ出した後に腹いっぱい食わせてやると決意した。


 時間を稼がなければいけない。


 ウィリアムは口を開く。


「あなたが俺に子作りを望もうと、俺のイチモツが望まなければ話にならないぞ。分かっているだろう」


 ロザリアは唇を噛んだ。


 この世界の男は勃起しにくく萎えやすい。恋人同士であっても子作りは簡単なことではないのだ。ましてレイプなど……困難を極めるのは誰にでも分かる。


「精一杯、ご奉仕いたします……」


「どうだか。俺を興奮させ、満足させることができるかな」


「自信はありませんが……それではさっそく」


 ロザリアの表情には陰があった。


 細い指が服のボタンにかかり、一つ一つ外していく。


 最初にウィリアムの相手を務めるのは当主ロザリア、ということらしい。ウィリアムは静かに彼女を見守った。


「私の胸は、殿下に献上するにはいささか不足でしょうが、どうぞご賞味ください……」


 ウィリアムは小さく舌打ちをした。胸を献上だの、いささか不足だの、そんな言葉は嫌いだ。胸はモノではない。芸術だ。


 ロザリアは俯いたまま服を脱いでいく。ストリップの経験はないのだろう、恥じらいが消えていない。


 露出される肌色がどんどん増えていく。


 ロザリアはすぐに下着姿になった。


 大人らしいセクシーな真っ赤な下着。白い肌の上でよく映えている。ロザリアはショーツを隠すように腕で覆った。


 美しかった。ウィリアムは見惚れた。


 やはりおっぱいは素晴らしい。爆乳ではないがとても大きい。手の中にはとても収まらない奔放なおっぱい。


 そして――特に太ももだ。肉付きのいい大腿部は健康的に引き締まっている。運動する女の足だ。エネルギーに満ちていることだろう。


 お尻は見えないが、だからこそ想像が掻き立てられる。太ももを見ればお尻が分かる。ウィリアムは確信した。このお尻は相当美しいぞ、と。


 ロザリアは目を伏せたまま話す。


「いかがでしょうか」


「……自分で分かっているだろ」


 小次郎がついに縄を噛みちぎり、ウィリアムの両手は自由になった。しかしまだ縛られたフリを続ける。


 小さく鳴いた小次郎は、次は足首を縛る縄に噛みついた。拘束が解けるのはそう遠くないだろう。


 ロザリアは悲しそうに腕を抱いた。


「私の胸では興奮できませぬか」


「そんなことはない。素晴らしいおっぱいだと思う」


「……お優しいのですね」


 ロザリアは深く頭を下げる。ウィリアムは胸がチクリと痛むのを感じた。


「どうかご慈悲をお恵みください。お願いいたします」


 ウィリアムは首を横に振った。


「だめだ」


 ロザリアはがっくりと肩を落とす。おっぱいがふるりと揺れた。


「やはり不足でしたか……」


「不足などではない。ただ、あなたが俺に抱かれることを望んでいないからだ。俺は嫌がる女を抱くことはできない」


 ロザリアは面をあげてウィリアムを見つめる。


「私は望んでいます! 殿下のお子種を頂戴したいと思っております! それが何よりの望みでございます!」


「いいや、違うな。祭壇に供えられる仔牛のような顔をしている。体をくくられて火炙りにされるのを待つ仔牛だ。お前は俺に抱かれることなど望んでいない。今すぐ服を着て俺の前から逃げ出したいと望んでいるだろう」


「そんなことは……」


 ロザリアはとたんにしおらしくなって、瞳はゆらゆら頼りなく揺れている。


「いえ、分かっております。皇族男児にとって私は魅力にかけるでしょう……」


 自嘲的に笑った。


「殿下より二倍も生きているわけですから、おばさんですし……それでも断る建前を仰ってくださるのですね。私にはもったいない優しさでございます」


「…………」


「……年が若く、胸が一番大きい女。それでいかがでしょうか。ぜひご覧になっていただきたい」


 ロザリアはまた頭を下げる。


 ウィリアムは鋭く舌を鳴らした。下着姿の女が自虐を並べ立てるのは不愉快だった。それから胸が一番大きい女という表現も。


「チッ――なぜ胸が大きい娘なのだ?」


「なぜと言われましても……お尻が美しい娘の方がよろしいですか? しかしお尻など……私にお尻の美醜は分かりません。すべて醜いとしか……」


 ウィリアムは荒々しく言い放った。


「背を向けてくれ」


「……は?」


「いいから、背を向けてくれ」


 ロザリアは顔を羞恥で激しく歪めながら、ウィリアムに背を向けた。しかし――お尻を手で隠している。


 それでも美しさは隠しきれていなかった。指の隙間から光があふれている。朝の光のように白く眩しいお尻だった。


 ウィリアムは身を乗り出して鑑賞した。


「なぜ隠す……? 焦らしているのか?」


「おやめください!」


 ロザリアはすぐに正面に向き直り、跪いた。お尻は見えなくなり、意気消沈したウィリアムは椅子に腰を戻す。


 ロザリアは言う。


「お尻など……不浄です。胸の大きさが女の魅力なのですから。――殿下と年が近く、胸が私より大きい女を連れてきます。その娘をお抱きください」


 ウィリアムは頭の中でぷつんと何かが切れる音を聞いた。


 この世界では、素晴らしいお尻を持つ女が自らを蔑むのだ。みなが胸の大きさを唯一の基準としている。世間的に充分大きいとされるおっぱいを持っていても、より大きいおっぱいに劣等感を抱いている。


 許せなかった。


 女体はすべて神の創造物である。それはウィリアム・増永雄太が辿り着いた真理だ。それはもはや――信仰である。


 ウィリアムは叫ぶ。


「女の魅力はおっぱいの大きさなどでは決まらない!」


 しかし、ロザリアは静かに、それでいて鋭く言い返した。


「決まります」


「決まらない」


「決まります」


「決まらない!」


「決まります!」


「ふざけるなッ!!!」


 低く重々しい男の咆哮が屋敷に響いた。腹の底をとどろかせるような恐ろしい声だ。ロザリアはビクリと身を小さくする。


「では、なぜッ!」


 ウィリアムは立ち上がった。縄はちょうど噛み千切られていた。


「ではなぜ後宮で爆乳娘に囲まれて育った俺が……あなたを見てこんなにも――こんなにも勃起しているというのだ!?」


 ウィリアムの男根は雄々しく反り返っていた。ズボンを押し上げて巨大なテントを張っている。布を貫通してたくましさを主張していた。


 ロザリアは息を呑み、目を点にしてそれを見つめる。


「こんなに……すごい……」


「なぜだ!? なぜ爆乳には手を出さなかった俺が、あなたに興奮しているのか!? 答えろロザリアッ!」


 ロザリアは震える口元から掠れ声を紡ぐ。


「それは……殿下が……変わり者の悪魔憑きであるから……」


「違う! 違うぞロザリア!」


 ウィリアムは股間をロザリアの鼻先に突き付けた。


「あなたが美しいからだ!」


 ロザリアは目の前にある布越し男根の強烈な匂いを嗅いだ。


「私が美しい……?」


「そうだ。あなたは美しい。言葉では言い表せないほど美しいとも。――おっぱいは若々しくハリがある。普段から努力を欠かしていないのだろう。髪も肌もよく手入れしてある。そして三十路を超えて十代の男を誘惑することを恥じ入るその表情も……すべてが美しいのだ」


 ロザリアは口を開いたまま、男根を見つめ続けた。


「いいか、お前は美しい。おっぱいの大きさなど関係ない。生まれたありのままの姿で、それが一番美しいのだ」


「しかし……聖典には巨乳こそが美であると、そうあります……」


 ウィリアムはついに男根をロザリアの頬に押し付けた。


 ロザリアは目をぎゅっと閉じて、剣を突き付けられたかのように動かなくなる。


「聖典など、燃やしてしまえ! あれには嘘ばかりだ。エカチェリーナによって、エカチェリーナのために書かれた嘘八百でしかない」


「そんな……なんて背教的な……」


「いいか。おっぱいの大きさは、決して美の絶対的基準ではない。百万人いれば百万通りの美しさがあるのだ。ゆえに、お前は世界一美しい。分かるか?」


 ロザリアは首を横に振った。男根が頬にこすれて、それがあまりに衝撃的だったようでロザリアは白目をむいた。


「分かりません……殿下……私には分かりません……」


「ならば復唱せよ。"私は美しい"と」


 ロザリアは唇をきゅっと真一文字に結んだ。ウィリアムはその頬をぺちんと男根で叩いた。布越しでも燃えるように熱い。


「言え!」


 ロザリアはゆっくりと唇を開く。声は弱々しい。


「…………私は美しい」


「そうだ。お前は美しいのだ。二度と俺の前で自らを貶めるようなことを言うなよ。――まだあるぞ。"私のおっぱいは美しい"と」


「…………私のおっぱいは美しい」


「そうだ。お前のおっぱいは美しいぞ。大きく、形がよく、柔らかいのが目で見て分かる。包み込むようで、さぞ揉み心地がいいことだろう。美しい。この世にまたとない美しいおっぱいだ」


 ロザリアの目尻から涙が零れ落ちていく。山の清流のように透き通った清らかな雫だ。


 ウィリアムはそれを男根ですくい取った。


「なぜ泣く、ロザリア」


「分かりません……」


「泣くな、ロザリア。泣いた顔も美しいが……俺は笑った顔の方が好きだ」


 ロザリアは涙を拭って口の端を吊り上げる。下手くそな笑顔だった。しかしウィリアムは見惚れた。


「そうだ。可愛らしい。綺麗だ。思わずどきりとしてしまった」


「ありがとうございます……」


「まだあるぞ。"私の顔は美しい"と。"私の手足は美しい"と」


「私の顔は美しい、私の手足は美しい」


 ロザリアは歌うように囁いた。口角がきゅっと上がり、表情が明るくなる。それだけで刺々しい印象が薄れて、顔全体が華やいだ。


「"私は指の先、髪の毛一本に至るまで美しい"と。"私の美しさはこの世界で唯一無二"と」


「私は指の先、髪の毛一本に至るまで美しい。私の美しさはこの世界で唯一無二」


 ロザリアは跪いたまま背筋を伸ばした。胸の大きさがいっそう強調され、両腕が軽やかに伸びた。


 瞳の中に輝きが宿る。月ではなく太陽の輝きだ。何かに照らされてではなく、自分そのものが光を放つのだ。


 ウィリアムはロザリアの頭を撫でた。


 ロザリアはされるがまま、目を閉じて身を委ねた。


「"私のお尻は美しい"と」


 ロザリアはかっと目を開いた。懇願するようにウィリアムを見上げる。


「それは……お許しください。お尻は不浄でございます。決して美しいなんてことはございません」


「なんだとッ――」


 ウィリアムは髪を逆立て、振り乱した。


 そんな言葉は決して認められなかった。美しいお尻を持つ女が自らのお尻を蔑むなど……断じて否定しなければいけない。


 ウィリアムは歯の隙間からフーフーと呼気を吐き出し、怒りを抑えてロザリアを見つめる。


「ロザリア。お前のお尻は美しいのだ。俺が保証する。俺を信じるんだ。決して不浄などではない。自分で見たことがないから分からないのだろうが、お前のお尻は――神の御手によって作られているのだ」


 ロザリアはぼろぼろと滝のように泣き始めた。


「私は美しいのでしょうか……自信を持っていいのでしょうか……大きい胸を羨まずともいいのでしょうか……」


 ウィリアムは我慢することができず、すすり泣くロザリアをぎゅうっと抱きしめた。体温を伝えて、愛を伝える。


 ロザリアは途切れ途切れに言った。


「信じて……いいのでしょうか……」


「俺を信じろ。そして神を信じろ。お前は神の創造物だ。神は失敗などしない。であれば美しくないわけがない」


「ああ……殿下っ」


 ロザリアはウィリアムの胸に縋りついた。ウィリアムはその背中を優しくさする。


「ロザリアよ。心の美しさはどこに表れると思う?」


 ロザリアは鼻をすすり嗚咽を漏らしながら、ウィリアムの目を見た。男と女は見つめ合った。お互いの瞳の美しさに見入っていた。


 ロザリアが言う。


「瞳、でしょうか」


 ウィリアムはにこりと微笑んだ。


「違う。――お尻だ」


 ウィリアムは手を伸ばし、ロザリアのお尻をぺろりと撫でた。


 ロザリアは生娘のように頬を赤く染めて恥じらう。


「殿下……おやめください……」


「ロザリアよ。あなたの可愛らしくて綺麗で美しいお尻を、俺に愛でさせてはくれないだろうか」


 ロザリアは小さく、ほんの小さく頷いた。


 二人の横をネズミの小次郎が駆けていき、扉を押し開けて外へ出た。

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