第5話 忘れてはいけない

 真夜中、俺は林(というか山?)を抜けるような道をオンボロの軽自動車で走り抜けようとしていた。


 道路は舗装されているし、道幅も狭くはない。急カーブもなく、上り坂や下り坂も傾斜はゆるやかである。


 交通量は昼間でも少ない──しかし事故の多い道なのだという。俺はあまり信じていないが、なんでも女性の幽霊が出るらしく、彼女に出会うとハンドル操作をあやまって事故を起こしてしまうらしい。


 なおその幽霊にってしまっても、とあるを唱えると事故を回避できるという。


 そのおまじないは、『オルパオリセテ』。この道を使うなら絶対に忘れないようにと、知り合いが教えてくれた。

 

 使う機会などないと思ってはいるが……さて。



***



 ナビによれば道路はしばらく直進である。俺はなんとなくルームミラーに目をり──そこで凍りついた。


 ような気がした。慌てて(同乗者などいないはずの)助手席と後部座席を見る。


 当然のことながら誰もいない。もう一度ルームミラーを見るが、今度はなにも映っていない。安堵して視線を前方に戻し、進路を微調整するようにハンドルを動かそうとする──が、動かない。


 強烈な違和感があった。脳が事実を拒んでいるような感覚。しかし見えているものは見えているし、それはまばたきを何度しても消えやしない。


 がハンドルを掴んでいる──


 先ほどと同じように助手席と後部座席を見た。そしてまたしても俺はまばたきを繰り返す羽目になった。


 いつの間にか、狐のおめんを被った女性がそこにいた。彼女は助手席から身を乗り出して、手を伸ばしてハンドルを掴んでいる。


 縁日にでも遊びにきたような華やかな浴衣姿。可愛らしい格好であるが、今は真冬なのであることを考えると不自然であることは言うまでもない。


 これが噂の女性の幽霊なのだろうか。とにかく状況は最悪である。彼女が掴んでいるせい、そもそも手足を動かすことができず(金縛りというものだろうか?)ハンドル操作ができない。ブレーキも踏めないし、しまっている。このままではいずれ大事故にうのは確実である。


 しかし、こんなときのためのおまじないである。


 それを唱えれば解決するのだが、ここで一つ問題が起こた。なんと俺はのである。


 忘れてしまった原因は言うまでもなく、幽霊にった衝撃で頭が真っ白になってしまったせい──でもあるし、身を乗り出してきている女性の浴衣の胸元がかなり緩んでいて(というかはだけていて)、しかもノーブラであるため谷間どころか膨らみのほとんどが見えてしまっていて頭が真っピンクになっているせいでもある。


 このままではいずれ車体が道路からはみ出してしまうし、カーブにでも差し掛かったら完全にアウトである。


 早くおまじないを思い出さないと。『オ○パ○○セテ』というところまでは思い出せているのだが……。


 首から上は金縛りになっていないので、口を動かすことはでき、おまじないを唱えることに支障はない。また首から上は金縛りになっていないので、女性の胸元をガン見することにも支障はない。


 生と死の境目でデッドオアアライブ、あるいは性と死の境目でセックスオアアライブ、俺は必死におまじないを思い出そうとしていた。


 オ○パ○○セテ。オ○パ○○セテ。なんとなく語感だけは覚えているのに、なかなか空白箇所を埋めることができない。


 そしてついにシンキングタイムは終了──前方にカーブが迫っていた。このままでは猛スピードのまま林の中に突入することになる。


 生存本能から俺の女性を見る視線がより鋭くなる。性存本能からおっぱいを見る視線も鋭くなる。


 そこで俺はひらめいた。なんと答えは目の前にあったのだ──


 迷っている時間はない。彼女の顔を見ながら、俺は「」とおまじないを唱えていた。


 こうして俺は──死ななかった。



***



 女性はおまじないを聞いて、首を傾げた。それから、「はあ、わかりました」と胸をぼろんと


 その瞬間、俺の視界と思考はすべておっぱいに支配された。想像の中で──それはときに柔らかく、それはときに弾力があり、永遠とも思えるおっぱいとのたわむれが俺の脳内で始まっていた。


 ただ何故かそれにより金縛りが解けていたらしく、また何故よく分からないが俺は急ハンドルを切りたくなって、ぐるんとハンドルを回していた。


 ハンドル操作に的確に反応した軽自動車は車道を外れてガードレールを突き破り、道路が林よりも少し高いところにあるせいで存在する数メートルの段差を飛び越え、幹の太い木々に全速力でぶち当たっていた。


 こうして俺は──死ななかった。



***



 林の中。おそらく俺の軽自動車だったものと思われる事故車両が近くにあり、そのヘッドライトが俺と姿を照らしていた。


 車の前方部分は運転席まで大きく歪んでおり、運転手である俺が生きていることさえ不思議な状況である。少なくも車内には閉じ込められていたはず──それなのに何故か、俺は無傷で車の外に立っている。


 狐のおめんかぶった女性が俺の正面に立っていた。今は浴衣をしっかりと着ていて、胸元の露出もない。


「はじめてですよ」


 俺は「なにがだ?」と尋ねた。


「あんな方法で呪縛を解いた人も、せっかく呪縛が解けたのに自殺行為に走った人も。そして人を殺すしかできないわたしに、人を助けさせた人も」


「君が助けてくれたのか?」


「はい。まあ、でも結局はこのあと殺すんですけどね。わたしは人を殺すことしかできない怪異ですから。だから……ほら、早く思い出さないといけませんよ。おまじない」


 おまじない?


 それならさっき唱えたはずだが──


「もしかして思い出せないのですか?」


 彼女がおめんを落とす。二十歳前後見える、女性の顔が見えた。


「あなたなら、思い出せるはず」


 彼女はそのまま浴衣も脱ぎ去ってしまった。つまり全裸。


 しかし俺が欲情する間もなく、彼女は下半身を蛇に変え、俺の背後に回り込んだ。


「ラストチャンスです。ほら、おまじない」


「おっぱいみせて」


「もう十分に見たでしょう……」


「いやだって、おまじない」


「あのですね、忘れているのもアレですが、この状況でおっぱいしか思い出せないのはどうなんでしょう。どれだけおっぱい好きなんですか……」


 彼女は呆れたようにため息をつき、それから俺の首元に舌を這わせた。


「さあ、早くしないと噛んじゃいます」


 首筋に、おそらく牙である硬い感触。ああもう終わりだ……と思ったその瞬間、俺はおまじないを──どういうわけか彼女の顔が記憶と結び付くことで思い出せそうになっていた。


 初対面のはずなのに?


 疑問はあったが、自問自答している場合ではない。早くおまじないを思い出して唱えなければ殺されてしまう。俺は全身全霊で記憶の糸を手繰たぐる。そして一文字ずつ、しっかりと今の記憶に刻み直す。お、る、ぱ、お、り、せ、「」背中になにか柔らかいモノが押し付けられた。このとてもいと柔らかきモノの正体はなにか──俺は(おまじないのことなど放っておいて)最優先でそれを考えることにした。背後にいるのは下半身が蛇だが上半身は人間のおっぱいの大きな女性である。この状況でこの位置関係で俺の背中に当たる柔らかいモノといったらたぶんそのおっぱいしかなくて、しかも彼女は服を着ていないからつまりこれは……生乳なまちち


 なまちちいいいいいいいいいい!?


 そんなの押し付けられたら爆発して死んじゃうのだがあああああああああああ!?


 こうして俺は死んだ。




【死因:首筋に突き刺された牙より注入された出血毒および神経毒により筋肉、臓器、神経など諸々の機能を破壊されたことによる多臓器不全。なお彼が『死ぬまでの間ずっと蛇女へびおんなさんに膝枕(?)をしてもらっていた』ことに気付いていたかどうかは不明】

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