第4話 食べてはいけない
俺はボロいアパートの──自宅の一室にいた。
寝ることしかできないような小さな部屋だが、ちゃんとキッチンはある。そして今、そのキッチンで誰かが料理をしている。
俺は一人暮らしであるし、俺のために料理をしてくれるような家族も友人も恋人もいない。つまりその料理をしてくれている人物は俺の知り合いではない。
トントントンと野菜を切る音。グツグツとなにかを煮込む音。謎の人物を部屋に招き入れた記憶もない俺にとっては、その楽しげな
彼女がこの世のモノではないことは直観で察していた。長い黒髪を垂らし、裸エプロンならぬ競泳水着エプロンという奇妙な姿で、俺に対しては後ろ姿だけを見せている。
その後ろ姿だけでも彼女のスタイルが良いのが分かる。もし彼女が俺の恋人であったのなら、このシチュエーションはどれだけ嬉しいことか。
現実には──彼女は恋人ではないし、このシチュエーションは恐怖でしかない。俺はとりあえずこの部屋を離れた方が良いと思い、立ち上がって玄関に向かおうとした。
「──カレーライスはきらいですか?」
俺は足を止めてしまった。何故なら俺はカレーライスが嫌いではないどころか大好きだからである。
しかしその程度の理由でこの場に
「ニンジンもたくさん入れてみましたけど──ニンジンさんはお嫌いですか?」
ニンジンさんがたくさん入っているだと!?
カレーライスの定番具材はどれも好きである。肉類は言うまでもなく、ジャガイモ、玉ねぎなども。その中で俺が一番好きな具材がニンジンなのである。
食べたい。ニンジンがたくさん入っているカレーライスを食べたい。
しかしその程度の理由でこの場に
「──ラッキョウもあります」
ラッキョウも用意してあるだと!?
それはこの俺が
ラッキョウまで用意してあると言われては仕方ない。俺は背の低い小さな食事用テーブルの前まで来ると、料理中の幽霊さんを眺めながら、いざ尋常にカレーライスの完成を待つ。
***
いつの間にか、俺は一人きりでテーブルの前に座っていた。
どのくらい時間が過ぎたのだろうか。料理の音も、熱も、どこにもない。鍋も、包丁も、最初からそこになかったかのように片付けられている。
あるのはテーブルに置かれたカレーライスのみ。
なにが起きたのかは分からないが、彼女が料理を残して去っていったということだけは分かる。そして残されたカレーライスがどう考えても危険なものであることも。
得体の知れない存在が、得体の知れない方法で作った料理である。カレーライスに見えるが、幻覚でそう見せられているだけかもしれない。本当は虫の死骸を積み重ねて
俺は食べずに捨てようと思い「食べてくれたらわたしをデザートにしてくれても良いですよ」しかし耳元の女性の声に反応したわけではなく食べ物を粗末に扱ってはいけないと思い直してスプーンを握ると無我夢中でカレーライスを口に運びご飯粒一つ残さずに完食して背後にいる競泳水着エプロンの幽霊さんというデザートを食べようと振り返って──
こうして俺は死んだ。
【死因:なんらかの毒物が原因による心機能停止(心臓を含むすべての筋肉が動かなくなった)。なお彼が死ぬ前に幽霊さんの満面の笑み(カレーライスを完食してもらえたのが嬉しかったらしい)を見ることができたかどうかは不明】
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