第3話 扉を開けてはいけない

 俺は祖父母の家の廊下を歩いていた。


 古くてだだっぴろい家である。今は真夜中で、俺は廊下のところどころにある電球をけながら、冷気の染みた床にペタペタと素足をつけ、便所を目指して歩いていた。


「──あけて」


 女性の声が聞こえたのは、そんなときである。俺はきょろきょろと見渡したあと、「気のせいだよな?」と自問して、何事もなかったかのように先に進もうとした。


「──あけて、あけてください」


 しかし二度にたび声が聞こえる。今回は足を止めていたせいか、どこから声が聞こえてきているのかをしっかりと認識することができた。


 この家は広いだけあって部屋数が多いが、ほとんどは使われていない──物置き同然の部屋である。ただその一つに、所謂いわゆるかずの』と呼ばれるような、けることができず、またけてはいけないと言われている部屋があった。


 声が聞こえてきたのは、まさにそのかずの──であった。


「──あけて、あけてください」


 どう考えてもけてはいけない案件である。ズルズルとなにかうような音が聞こえてくるのもかなり不気味。


 けて覗き込んだら最期。引きずり込まれて殺されるパターンに違いない。


 無視して立ち去ろうとした──が、部屋の中の女性(仮)はそれが見えているかのように、すぐさま引きとめにかかってきた。


「アイドルの○○○さんにソックリって言われるんですよね、わたし」


 あの国民的アイドルの○○○だと!?


 俺は扉をけたい衝動に駆られた──が、ぎりぎりのところで我慢した。確かに○○○は可愛いが、こんなど田舎にいる怪異(仮)があんな洗練された美少女であるとは思えない(いるとすればツチノコみたいな女だろう)。


「わたし裸なんです。それにウエスト59センチでFカップです。さばは読んでいませんし……触って確かめていただいても構いません。なお乳首はピンク色」


 Fカップで触って良くて乳首がピンク色だと?


 それはちょっと……贅沢すぎるのではないか?


 高級中華料理と高級フランス料理と高級焼肉とジャパニーズ・スシを全部食べ放題にするくらいの贅沢だぞ?


 俺は今度こそ扉をけたい衝動に駆られた──が、ぎりぎりのところで我慢した。確かにおっぱいを触らせてもらえるのは魅力的だしピンク色の幻想がそこにあるのであれば死ぬくらいどうってことないのかもしれないが、そもそも全部嘘だと思うし、その嘘を命を賭けてまで暴こうとは思わない。


「あ、殿方の前で裸は良くないですよね。服を着ることにします。あなたの好きそうなものを着ますね」


 コスプレで誘惑する作戦に切り替えるか。まあ、なにを着たところで、これまでに形状・感触・色彩の三魔とも言えるおっぱいの誘惑に耐えてきた俺の興味を引くことはできないだろう。


「うんしょ、うんしょ。着替えているので少々お待ちください。ちなみに競泳水着ってやつです。ピッチピチなんですけど、なんかボディラインがくっきりしていやらしいですね」


 競泳水着だと……!?


 それはあの水の抵抗を減らすことに特化しすぎたせいでスケベ男からの視線に対する抵抗力もゼロにしてしまったあの競泳水着のことか……!?


 俺は今度の今度こそ扉をけたい衝動に駆られた──が、ぎりぎりのところで我慢した。


 そう、こう見えて俺はスケベ男ではないのだ。見知らぬ女の水着姿など興味がなく「うんしょ、うんしょ、どうしましょう……」しかし困っているのであれば助けてやらねばなるまい。


 俺は扉をひらこうとした──が、引き戸に手を触れたところで冷静になる。指先がこの世のものとは思えない冷気(あるいは瘴気とも思えるなにか)に触れ、この扉は絶対にけ放ってはいけないと気付いたのである。


 危なかった。


 正気に戻った俺は引き戸から手を離す。女の声は続いており──


「ふう、胸はなんとか入りました。でもこの先はどうしましょう。下半身がどうしても……」


 危険な誘惑も続いていたが、俺は無視して引き戸の取っ手から手を離し「わたし」なにそれ今なにがどうなってるの!?と脳内で叫びツッコミながら取っ手を掴み直して全力で強引に魔界との扉をこじけていた。


 こうして俺は死んだ。




【死因:巨大な蛇に巻き付かれたことによる全身骨折および内臓破裂。なお彼が死ぬ前に『競泳水着を無理矢理に着ようとしている可愛らしい蛇女へびおんなさん』を見ることができたかどうかは不明】

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