第2話 井戸を覗いてはいけない

 俺は一人きりで祖父母の家の庭を歩いていた。


 ど田舎の夜である。明かりなどほとんどなく──それでも敷地内に光源がまったくないというわけでもなく、俺は慎重に歩を進めつつ、時折ときおり見上げては夜空に広がる星の絨毯じゅうたんを眺めていた。


「──あけて」


 女性の声が聞こえたのは、そんなときである。俺はきょろきょろと見渡したあと、「気のせいだよな?」と自問して、何事もなかったかのようにその場を去ろうとした。


「──あけて、あけてください」


 しかし二度にたび声が聞こえる。今回は注意しながら歩いていたせいか、声の聞こえてくる方向まで判別できた。


 好奇心と警戒心の間で揺れる──が、好奇心がまさった。俺は声を追って歩き、やがてに辿り着く。


 井戸である。かなり古く、から井戸いどになって久しいと聞いている。転落防止のため木製の蓋がしてあり、声はその蓋の内側からしているようだった。


「──あけて、あけてください」


 どう考えてもけてはいけない案件である。から井戸いどだというのにチャプチャプと水音みずおとのようなものが聞こえてくるのも不気味。


 けて覗き込んだら最期。引きずり込まれて殺されるパターンに違いない。


 無視して立ち去ろうとした──が、井戸の中の女性(仮)はそれが見えているかのように、すぐさま引きとめにかかってきた。


「アイドルの○○○さんにソックリって言われるんですよね、わたし」


 あの国民的アイドルの○○○だと!?


 俺は蓋をけたい衝動に駆られた──が、ぎりぎりのところで我慢した。確かに○○○は可愛いが、こんな井戸の中にいる怪異(仮)があんな洗練された美少女だとは思えない(いるとすればサダコみたいな女だろう)。


「わたし裸なんです。それにウエスト59センチでFカップです。さばは読んでいませんし……触って確かめていただいても構いません」


 触って良い……だと?


 Fカップのおっぱいの触り方なんて学校で習っていないし作法マナーとか分からないのだがそんな俺でも触って良いというのか……?


 俺は今度こそ蓋をけたい衝動に駆られた──が、ぎりぎりのところで我慢した。確かにおっぱいを触らせてもらえるのは魅力的だが、そもそも好みの女の子でなければ命を賭けてまで触りたいと思わない。


「乳首はピンク色です」


 ピンクかぁ。

 

 正直、その言葉には心を揺さぶられた──が、やはり命を賭けてまで見るようなものではないと自制した。こんな言葉に釣られる奴はよほどの阿呆あほうだけである。俺はそのような過ちを冒さない。


「あ、殿方の前で裸は良くないですよね。服を着ることにします。あなたの好きそうなものを着ますね」


 コスプレで誘惑する作戦に切り替えるか。まあ、なにを着たところで、これまでにいくつもの誘惑に耐えてきた俺の興味を引くことはできないだろう。


「うんしょ、うんしょ。着替えているので少々お待ちください」


 誰が待つか。これ以上は話を聞くまでもない。俺は井戸から離れるように歩き出して「」彼女の声にすぐさま振り返って井戸の蓋を全力でけ放っていた。


 こうして俺は死んだ。




【死因:井戸底への転落死(直接の死因は肺からの出血による窒息死、つまり溺死)。なお彼が死ぬ前に幽霊さんの美しい競泳水着ボディラインを堪能できたかどうかは不明】

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