第2話 私はこの街にいない

学生時代から人と関わることが億劫で仕方なかった。


人が嫌いなわけでもないはずなのに、私は人と関わることがしんどくて仕方がなかった。


その答えは『誰とも話が合わない』からであり、それはつまり『どうやら私より頭がイイ人が殆どいないからである』というところに行き着いた。


まさかそんなわけはない…と思って友達を作ろうとしても話が合わない。理解されない…出来ない。


楽しくない。


楽しそうじゃない。


楽しそうに出来ない。


ずっと一人で皆をみていた。眺めていた。


いつからか、私は誰とも話さずに本ばかり読んでいる生徒になっていた。


本の中にいる人達とは不思議と仲良く出来た。


勉強は出来たのだから『頭が良い』と言うことを自分の価値だと思えたら良かったのだけれど、私の場合はそんな事よりも「同じ感覚で話せる相手がいない」という孤独感のほうが強く、『頭の良さ』とは私を孤独にするデメリットに他ならなかった。


人と話せば話すだけ、相手の足りないモノが見えて辛くなる。


『それはこうだよ』なんていえば、不思議な顔をされたり嫌われる。


私はどんどん無口になる。


年上の人は私より自分の方が知能が劣るとわかるとマウント気味になる。


私はどんどん無表情になる。


孤独感は増す。大学でもそれは大してかわらなかった。大学は一年の夏にやめた。


水商売で働いてみた。


もしかしたらそっちなのかなと思ったけれど全然楽しくなかった。シンプル黒歴史。


私はフリーランスでゴーストライターをするようになった。誰にも会わずに生きていく為。


誰とも関わらずに文章を書いて生きていけたらそれでいい。人と直接会わなくても、生きていける時代に生まれたのは幸運だと思う。


私は喫茶店に時々行かないと死ぬ。


喫茶店にいるだけで心に色彩が戻る。なんだかんだ言って、サイケな心の方が幾分か良い。


新宿三丁目の喫茶店でなにもすることがなく一時間、また一時間と何もせずに過ごし、3時間ぐらいで店を追い出されるからと最後の一時間で台本を書き上げた。


『納品致しました。宜しくお願いいたします』


と、担当者に連絡を入れてパソコンを閉じて珈琲を飲む。


この喫茶店の窓から見える大きな看板に私の書いたドラマの広告が載っている。


これで来月も暮らせる。誰とも関わらず、誰にも迷惑をかけずに生きていける。これでいい。


そう思っていたはずなのに。

いつからだろうか。

私は私に驚いている。

今、私は私の言葉を誰かに聞いてほしくて堪らない。

いつからか、そう思うようになっている。


寂しい。


わかってほしい。


何てことない事で良いから話したい。


この珈琲は美味しいねとか、この映画はあんまりだったねとか程度の会話で良いから。


寂しいなんて感情を自分が持ち合わせていたなんてなぁと少し嬉しくなる。


私にも心がまだある。


店を出る。


うつ向いて歩いてしまいがちな私は無理矢理少し顔を上げて、新宿の街をぐるりとみた。


新宿の街にある言葉という言葉は殆ど私が書いたものだ。


新宿の看板も標識もメニュー表もチラシも何もかも、ゴーストライターの私が依頼されて書いた言葉で溢れている。


私は歌舞伎町のゴーストだ。


故に私はこの街にいない。

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