第7話 助けてあげる

「飲み物持ってきたよ~、麦茶だったよね」

「……はい、ありがとうございます」

 ひびき先輩から渡されたペットボトルを受け取ると、ボーっとコンクリートの床を見つめていた。

 なんで今更、あんな事を思い出したんだろう。

 どれだけ悔いたって、過去は変わらないのに。

「いなばちゃん、ごめんね。」

「……へ?」

 隣に座ってきたひびき先輩の急な謝罪に私は思わず間の抜けた声を発してしまう。

「あーし、いなばちゃんに無茶させちゃってた。そもそも、昨日化け物に襲われて魔法少女とか色々聞いて、今もこんな感じで連れまわしちゃってるし……」

「え……あ……」

 どうしよう、ひびき先輩が悲しそうな顔をしている。

 気を遣わせてしまっている。困らせてしまっている。

 ひびき先輩のせいじゃないのに、私のせいなのに。

「ちが、うんです。ひびき先輩、私……嫌なこと、思い出しちゃいまして」

 顔を上げ、ひびき先輩の目をまっすぐと見てそう言った。

 思わず大きな声を出してしまったことで、ひびき先輩は目を丸くしている。

「嫌なこと……って、どういうこと?」

「私は……っぷ、」

 問いに答えようとするが、フラッシュバックによる吐き気にその声は封じられてしまう。

『あの日の声が、今でも耳にこびりついている』

『ミルクのリボンは、あの時もずっとそばにあった』

『私が守れなかったから、ミルクは』

 支離滅裂な思考の中、そんな考えを遮断してくれたのは、ひびき先輩の温かい手の感覚だった。

「いなばちゃん、大丈夫!?そんな、無理して話さなくても……」

 ひびき先輩の声が聞こえる。

 私、過呼吸になってる。呼吸を……整えなきゃ。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐くのをしばらく繰り返していたら少しずつだが落ち着いてきた。

「はぁ……落ち着きました」

「そ?なら良いんだけど……」

 しばらく、私達はベンチに座ってぼーっと賑やかな空間を見つめていた。

 その沈黙の空気は、気まずさを感じる事もなく、先輩が隣にいると、不思議と心の重みが軽く感じた。

 ひびき先輩は口を開く。

「ま、そうなるぐらいアンタは辛い思いをしたわけかぁ……」

 そうポツリと呟く声が聞こえると、ひびき先輩の青い瞳は私の方に向いていた。

 ひびき先輩の青い瞳は、どこか吸い込まれるようで、私は目を逸らすことができなかった。

「あーしはこうでも町の平和を守る正義感マシマシな魔法少女なわけ、トラウマ持ちの内気な後輩を見捨てられないわけよ」

 実際、ひびき先輩には助けてもらいましたからね。

「まぁ、なんだろ。言葉だけじゃ薄っぺらく感じるけどさ、もしアンタがまたどえらい目に遭いそうだったら」

 あれ、なんだかこのセリフ……。

「あーしが真っ先に助けてあげる。この力、扱いが難しいけど、いなばちゃんを守るくらいのことはできるからさ」

 ひびき先輩はニカッと笑う、真っ白な歯を見せて、明るいけど優しく。

 今の彼女の姿は、あの日の英雄ヒーローと重なったのだった。

 しかし、そんな時であった。

 ひびき先輩の方から、「ピロリロリンッ」と通知音の様な音が聞こえる。

 ひびき先輩の笑顔が崩れ、鞄の方を向くと「あー……」とうめき声をあげていた。

「ひびき先輩、今の音って……」

「ぷぅ子のSOS信号。ぷぅ子があの化け物達を見つけた時の呼び出しサイン」

 ひびき先輩はカバンからステッキを取り出し、速やかに立ち上がる。

 SOS信号……そう言えば前にひびき先輩が『ぷぅ子があーしに助けを求めてきてくれたのよ。』とか言っていたな……もしかして、それのこと?

「いなばちゃん、あーしちょっと行ってくるからここで待ってて」

「は、はい……わかり……ました」

 そう私は返事をする。

 あいつら……恐らく、前のくるみ割り人形みたいな……。

 ひびき先輩の背中が遠くなってゆく。

 大丈夫なのかな……でも、前現れた時は一瞬で助けてくれたし、今回もきっと……。

 そんな時だった。

「きゃっ!?」

「っ……いなばちゃん!?」

 突然、横の壁が破壊され目の前にコンクリートの瓦礫が迫ってくる。

 「マジカルスペース!」

 瓦礫が落ちる――その刹那、眩い光とともに何かが私の視界を覆った。

 目を開けると、辺りは見知らぬ空間に変わっていた。

 遠くから足音が聞こえる。

「大丈夫!?怪我はない?」

 足音の方を向くと、ひびき先輩が駆け寄ってくる様子が目に入った。

「は、はい……間一髪でなんとか」

 私がそうひびき先輩に答えると、ひびき先輩は背後の方へ振り向き、誰もいない景色をじっと見つめている。

「でもさぁ、おかしくない?ぷぅ子のSOS信号はもっと向こうなのに……」

 ポツリとそう呟くひびき先輩を私はただ眺めていると、突然、足にひんやりとした感覚が伝わった。

「ひゃっ、」

 あまりの冷たさに思わず、声をあげてしまう。

 なんなのだろうと、下を見てみると地面から水が滲み出ている様子が確認できる。

 周囲は真夏の海の様な潮の匂いが漂いはじめる。

 次の瞬間――。

「いなばちゃん、危ない!」

「へ……?」

 地面が小刻みに揺れ始め、ザブーン!と波の音が響く。

 気が付いた頃には辺りは薄暗くなっていて、500m程の高い波が私を飲み込もうと迫って来ていた。

「いなばちゃん!」

 ひびきの叫び声と共に、私の身体は勢い良く空高く引っ張り上げられていく。

 先程、私達が居た場所は海のように水で満たされていた。

「ぎ、ギリセーフ……変身間に合ってよかったぁ……」

 いつの間にか魔法少女に変身していたひびき先輩はそう言うと、深くため息をついた。

 波が迫ってくる中、彼女は高速で変身し、すぐさま飛行魔法を使って私を抱き上げながら空高く飛び上がったのだろう。

 また、助けてもらっちゃった……。

 波が落ち着いてきたところで、私達はなるべく地面が平たい高台へと降りていった。

「ぷぃ!」

 私達が地面に足をつけたところで、既にここへたどり着いていたのか、ぷぅ子が私の方に飛びかかってきた。

「わっ、ぷぅ子」

 私は慌ててぷぅ子を受け止め、腕の中に収めた。

 よかった、ぷぅ子は波に巻き込まれてなかったみたいで。

 そう安堵しながら私はぷぅ子の背を撫でてあげた。

 一方。私から手を離したひびき先輩は高台から様子を見ている。

「うっそでしょ……」

 ひびき先輩の声でそんな言葉が聞こえる。

 様子が気になった私はぷぅ子を抱きしめながらひびき先輩の方へと歩みを進める。

「ひびき先輩、どうかしましたか?」

 私がそう声をかけると、ひびき先輩はまっすぐ先の方を指差す。

 ひびき先輩が指差したその先には、波間を滑るように迫る影。――人魚だ。それも、二体。

「あれが今回の敵よ……でも、予想外だったわ……まさか2だなんてね……」

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