第2話 下っ端魔族
俺はそれから毎日、寝て食って、畑を耕して、庭の手入れをして、森の動物たちと触れ合っていた。
インフラや魔法が発達している時代に原始的とも思われるかもしれないが、こんな森の中にある娯楽などそのくらいだった。
それも楽しいものだがな。ま、王国の方が楽しいけど。
俺は、いつも通り鐘の音で目を覚ました。淡い朱色に染まった朝日に、思わず目を細める。
そして、適当に支度をして仕事へと駆り出した。
「やぁ」
扉を開くと家の中に、熱を込めた風が優しく吹き込む。新緑の葉っぱがひらりひらりと舞い落ちる中、シュリさんが手を降っていた。
「もう一週間経ったんですね」
「僕で日付を確かめるのやめてほしいね」
気がついた頃には、もう一週間が経っていたようだ。この時期は、毎日「暑い」という感想しか出てこないので、日付を理解するのも面倒くさい。
「ショウリさんみたいな王国住みの人と違って、日付とかいちいち考えたくないんですよ。俺はただただメンテナンスをして、のんびり暮らすだけなので」
「シュリだからね? 僕の名前。何にも勝ってないから。なんなら昨日模擬戦で負けたから」
王国の役人というのは、策略に長け、武術にも心得のある者がやるものらしい。"模擬戦"というのは、おそらく訓練中の話のことだろう。
つまり、彼の後ろに立っている護衛たちは、一対多になってしまったときのための対策、ということか。
「先週も、問題はなかったかい?」
俺が考えに耽っていると、シュリさんは早速本題を切り出した。だが、俺はすぐに答えることはせず、少し彼の問いに対する答えを考えた。
その理由はもちろん、"聖剣が抜けかけていた"という事件があったからである。
今までそういった事件が一切無かった──というわけでは別に無いのだが。
だが、過去に会ったのは、聖なる力がいつもより多く漏れていたから、一度抜いて刺し直したというだけだった。
聖剣が抜けかけていたというのは、初めてであった。
ただ、それももう俺が対応した。
『何事もなかったか』と聞かれれば報告する必要があるだろう。
しかし、今回問われているのは『問題があったか』。
ふむ、問題、か……
「何もなかったですね」
"事件"があっただけで、"問題"はなかっただろう。
「ならよかったよ」
「それじゃ、給料を」
「はい。先週の分」
シュリさんは麻袋を俺に投げて渡してきた。
「はぁ、また同じ額ですか」
「また遠慮なく扱われた上に、ため息もつかれた僕の身にもなってほしいな」
「世界の命運を握ってる俺の身にもなってくださいよ」
「ほんとにね」
シュリは顔をくしゃっと崩しながら笑った。笑う前に、賃上げしてほしいものだ。
聖剣のメンテナンスというこの仕事は、王国直属の仕事である。
前回のようなことが起こっているというのに、誰も対処しなかったら、世界が崩壊する可能性すらあるのだから。
縁の下の力持ち的な、大切で重大な仕事である。
しかし、実際王国にとってみれば、ただ毎日剣を眺めれば金がもらえるという、まるで違法のような職業。
そんなものに、多額の賃金を支払いたくないのだろう。クソが。
「これからメンテナンスかい?」
「ええ」
「それなら僕はもう帰るけど、最後に一つ君に知らせたほうがいいことがあってね」
「ありがとうございます」
「ちなみに、賃上げじゃないからね?」
俺が不満気な表情を浮かべていると、シュリさんは小さく笑った
……なるほど、ふざけられるようなことではないのか。
「最近、魔族の動きが少し不穏になっていてね。人間の住む国の近くに現れていることが確認されている。特に多いのが、僕らの住む王国──"エルシュタルク"の領土なんだ」
既に、少し不可解なものだった。
この王国は、魔族の住む魔国"ジーバル"とはそれなりに距離がある。
魔族は、人間にはできない"空を飛ぶこと"ができるため、人間の何倍もの速さで移動できるとはいえ、辿り着くまでに十数時間はかかる。
その道中にもいくつか国はある。
それらを通り越して、この王国の領土に現れるというのは、普通じゃ考えづらい。
とはいえ…………
「なぜそれを俺に?」
「ここには聖剣があるだろう? あの封印を掻い潜って抜くことができる者がいるとは思えないけど、聖剣を狙ってる可能性は十分にあると思ってね」
シュリさんの話には、俺もすぐに納得がいった。
千年前のあの事件から、魔族は下手に行動できなくなってしまったらしい。
魔に対する力である聖なる力が膨大すぎて、人間でも制御できないともなれば、そうなってしまうのも頷ける。
そして、今に至るまで、人間と魔族は拮抗状態が続いていた。
魔族の寿命は二百年と聞く。
あちら側も、聖剣の恐ろしさを忘れた者が増え、聖剣に対処しようと考える愚か者が出てきてもおかしくない話だ。
「まぁでも、大丈夫でしょう?」
「えっと……なんでかな?」
「だって聖剣ですよ? 抜いて制御できる人間が、千年前から一度も現れていないようなものを、魔族が狙ったところで無理だってことくらい、さすがに分かるでしょう」
俺は十年来にもなる聖剣との付き合いから、その力に魔が抗おうとするとは、到底思えなかった。
◇ ◆ ◇
「少し長話がすぎたな」
太陽はほとんど沈みきっており、夕刻よりも夜という表現が似合いそうな時刻になってきた。
足下に細心の注意をはらいながら、俺は森の中を進んでいく。
完全な暗闇に覆われたわけではないので、なんとか聖剣のある地まで辿り着くことはできそうだ。
「まぁでも、この時期はこのくらいの方が涼しくていいか」
普段より多少時間がかかりつつも、やっと草原が見えてきた。
岩とそれに刺さった剣──そして、その少し離れたところに謎の影が見えた。
この仕事について十年、一度も見たことがないものだ。
訝しみながらも少しずつ近づいた。
それは、人の形をしていた。
「……誰ですか?」
聞いてすぐ、聞かなきゃよかったと後悔した。
せめて、もう少し近づいて、相手の素性と目的、そして様子を探るくらいはしてもよかったか。
突然のことの余り、考えるよりも先に言葉が出てしまった。
「……誰? それはオレサマのセリフだぁ。あんたこそ誰だ」
ほう。
「たしかにまずは自分から名乗るべきかもしれなかったですね。それについては申し訳ない。俺の思慮が足りなかったです。しかし、俺の答えを聞く前に、お前はタメ口を使い、そして俺に名前を尋ねてきました。それはもう──」
「ご、ごちゃごちゃうるせぇなァ! オレサマはある四天王の手下の一人だ。あんたらの言う──魔族だ。これで満足かァ!?」
そいつが叫び声を返してくるが、俺はそのうるささよりも発言の内容しか頭に入ってこなかった。
──魔族。
あぁ、まさかシュリさんの話を聞いたその日に出くわすとは。本当に、抜こうとする愚か者がいるとは。
まず勝てない。
武器がないことはもちろんだが、おそらく武器があったとしても勝てない。
逃げる? いいや無理だ。
魔族は身体能力にも優れていると聞く。
この十年間、聖剣のメンテナンスしかしておらず、まともに運動もしていない俺には、まず無理だ。
話をするしか──ない。
「俺は、その剣のメンテナンスをやっている者だ」
「────ア?」
すると、魔族は表情を一瞬変え、
「そうか、そうかそうかそうかァ!! あんたかァ!!」
魔族は狂ったように声を上げた。
そして、一直線に俺のもとに飛んできた。
「か、は……ッ!」
それを俺が理解する頃には、もう俺は魔族に組み倒されていた。
地面に叩きつけられるように倒れ、俺の上に魔族がまたがる。
背中が硬い地面に衝突し、その衝撃で乾いた空気が腹の底から漏れた。
首筋に魔族の持つ剣が喉元に触れ、ヒヤリとした感覚が全身を襲う。
「……なぁんだ。なにかアイテムが必要なわけじゃないんだなァ」
魔族は、俺のポケットやバッグをまさぐるようになにかを探すが、俺が持ってきているのは今日もらった給料と例の紙束だけだ。
魔族は俺をチェックし終えると、拘束魔法で俺の行動を封じて立ち上がった。
俺は、一切動けない。
「オレサマの目的は聖剣だけなんだよなァ。何かアイテムがいるのかと思っていたが、その心配は無駄だったようだな」
「ま、待てっ!」
「聖剣を回収したら、いくらでも待ってやるからそこでおとなしく見てろォ!」
魔族はニヤリと笑って、聖剣に歩み寄っていく。
聖剣は、人間が魔王に対抗できる唯一の武器である。
先ほどは愚か者と決めつけたが、ここに来たということは、この千年で何か秘策を準備したのかもしれない。
だとすれば、絶対に盗まれるわけにはいかない。あれがなくては、人類が魔王に勝つ手段賀完全に消え失せてしまう。
だが俺はどうすることもできない。この拘束魔法を解くことなど、できなかった。
ただ、眺めることしか──。
魔族が背中にある羽で小さく飛び上がり、聖剣の刺さった岩の上に着地した。
そして、聖剣にその手をかける──。
……聖剣に手をかける?
「が、はァ……ッ!!!」
魔族は聖剣に触れた瞬間、一瞬のうめき声を上げた後、白い光を全身から発光しながら、塵となって消えていった。
その様子は、古代の文献で見たものと酷似していた。
『制御を失った聖剣は、その聖なる力を解き放ち、周辺にいた魔族をすべて塵へと変えた』という文献と。
カランカラン、と。
持ち主を失った剣が、聖剣の刺さった岩から地面に落ちてきた。
俺の拘束魔法も、消滅していた。
それを見て俺は、
「本当にただの愚か者だったのかよ」
えぇ、と思いながらそうツッコんだ。
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