第2話 目覚めたもの


――――ヤバい、これは絶対にヤバいわよ!しかし私の不安をよそに、どこか呑気な声が響く。


「んー……あぁ、ここは……外か……」

亀裂から飛び出してきた何かは、前世では見慣れつつも、この世界では珍しい髪の色をしていた。けれどそれは、異界から召喚される勇者にはよくありがちな色。


亀裂はすぐに塞がってしまったけれど、ベッドの先にうずくまるそれは、確かに人間のようで。


何日も飲まず食わずの身体では、喉すらカラカラで、上手く問い掛けることができない。


けれど彼は勇者と同じ黒髪。その瞳も黒なのだろうと思ったのだが。


顔を上げた彼の瞳は……右が黒で、左が紫だった。オッドアイ。そう言えばこの世界では不吉だと忌避されるものだったっけ……?前世の記憶を取り戻した私はそうは思わないし、実家ではそう言う考えを教わったことはあれど、そんなものでひとを判断するのは愚策だとお父さまもお兄さまも言っていた。そしてお母さまもそれに頷いていた。


実際にはこんなにもきれいなものなのか。むしろ神秘すら感じさせる。


「……誰?」

彼が、そう問う。いや、私の方がそう聞きたいのだが。


私と同じくらいか、それよりもちょっと年上に感じるのだが、彼の顔はどちらかと言うと地球で言う東洋風のものでその感覚あってのものだ。純粋なこの世界の人間が見たら、きっと彼を年下だと思うだろう。


「俺の顔に脅えないこの世界の人間は……初めてだ」

まるで彼は、この世界の人間ではないような言い方をする。


いや、脅えるも何も……表情を動かす活力すら……うぅん、もう身体を起こしているのも限界である。ふらりとよろめき、空間が渦を巻いたように歪むのに、あの硬いベッドの感覚はなかった。


誰かが私の身体を、抱き止めている。その腕の主はひとりしかいない。


※※※


「この生意気な男爵令嬢が……っ!」

脳内で不快な怒鳴り声が響く。何度も何度も、毎日のように聞き飽きた声。


「この髪は何!?この私を差し置いて、殿方に媚びを売っているのよ……!」

目の前で私の髪を引っ張りながら王女が激昂する。


そんなことしていない。この髪は私の生まれ持った髪色である。

そんなことで言いがかりを付けられるなんて、酷すぎる。でも王女がそう言うのなら、それがこの世界の真実となる。


それに殿方に媚びを売るなんて……あなたを差し置いて……?あなたは王女なのに殿方に媚びを売って回るの……?

それは王女としてまるで品性のない、行為ではなかろうか。でもそんなこと言えるわけもなく、周りも王女の言うことを是として責め立てた。


終わることのない地獄、逃れることもできない地獄。

誰か……助けて……。


誰も助けてはくれないことなんて、分かっているけれど、その手を伸ばさずにはいられなかった。


伸ばした手を取ってくれるひとは……いるはずもないけれど。


しかし次の瞬間、その手を取る温もりがある。誰……?

そしてその温もりを悟った時、ハッと意識が現実に引き戻される。


※※※


暖かい。


ここはどこだろう。


パチパチと、暖炉が奏でる音は、家族で団欒を囲んだ場所。もう決して聞くことはないと思っていた。


「……こは」

ゆっくりと周囲を見渡す。まるで魔法の館にでも迷い込んだかのような、オレンジがかったブラウンの家具や棚。そしてそれらを彩る色とりどりの調度品。背中を支えるのは、今までの硬い石の上のようなベッドではなく、また実家にいた頃の程よいふかふかなベッドでもない。明らかに材質の違う、ふんわりとしながらもしっかりと身体を支えて包む素材でできている。


さらに身体に掛けられた毛布と布団は、暖をとるには充分すぎるほど、ふかふかで柔らかで、質量で身体を圧迫しない素材でできている。


これは一体。


「目が覚めたのか?」

不意にふりかかった声に驚けば、ひとりで眠るには大きすぎるベッドの縁に、あの青年が腰掛けていた。

きれいなオッドアイの青年だ。その格好は……先ほどの埃やら塵だらけのものではなく、着替えている。


黒いすらりとしたタートルネックのノースリーブに、腕の付け根から背中に伸びるように付けられたサスペンダー。


すらりとしているのは脚もで、ベージュのズボンに、ダークブラウンの細めなロングブーツを履いている。


東洋風のどこか愛嬌がある顔立ちなのに、その眼差しはどこか達観しており、まるでこの世の全てを見てきたかのように、多くの景色を映しているようだった。


「あなたは……?」

「……」

彼はじっと私を見る。


「……あの……私を助けてくれた……ん、ですよね」

声を出すのも喉が軋んだのに。からからになっていたはずの喉は潤い、そして布団の中からもするりと腕を出せる。その腕はガリガリではなくてふっくらとしている。


何がどうなって……?


「あの、私は……イェディカと言います」

家名はもう失われてしまったから存在しない。私はただのイェディカである。


「あなたの名前は……」

「……もう、忘れた」

もう忘れたって……何故だかものすごく長い時を過ごしていたような言い方だ。


「あの、ここは……」

ゆっくりと身体を起こせば。彼がそっと身体を支えてくれる。どうしてかその身体の温もりが愛しくて。やっぱりあの手の温もりは……彼の。


そして肩からはらりとこぼれ落ちる髪は、滑らかで美しかった頃のスノウブロンドそのものだ。


王女からの嫉妬で醜くざんばらに切り払われて長さはまちまちで、さらには何かの液体を髪にかけられ、その色はかげり、髪はパサパサに痩せ細ったはずなのに。


「私はどうして」

「全て……戻した」

戻した……?どういう意味だろうか。


「元の君に……イェディカに……」

そんな奇跡みたいな魔法があるのだろうか?万病を癒す聖女なら……もしくは、だが。


「あと、これも元に」

彼がさっと差し出してきた掌の上にあったのは。


「髪飾り」

昔お母さまから受け継いだ男爵家の髪飾りである。星形で不思議な色。その髪飾りを私に付けてくれたお母さまは、まるで私を象徴するようだと喜んでいた。スノーブロンドに近い白い色の宝石は光の辺り加減により七色に輝く。かつて無慈悲に壊されてしまったが、それもまた元に戻ったと言うこと……?


そしてその髪飾りを、彼が私の髪に付けてくれる。その指ざわりがどことなくドキドキとさせてくる。髪飾りを付け終われば、名残惜しい彼の指が離れていく。暫しその余韻に浸りつつも、やはり気になるのは。


「それで……その、ここはどこ?」

「……箱庭」

はこ、にわ?


「箱庭って、何?」

「イェディカと俺のふたりだけの場所。ここにはもう誰も入ってこられない」

「どうして……?」

「必要ない」

その言葉の響きはどこか酷く冷淡で、恐ろしく感じた。


「ツリーランド王国は今どうなっているの?」

私がいなくなったからといって、どうなるわけでもない豊かな国。

私と、私の家族がいなくなっただけの国。


「見たいのなら、行くか?」

「……え、えぇ」

「じゃぁ……出掛ける装いにしようか」

そう彼が告げるので、まずはベッドからおり、ベッドの脇に置いてあった内履きに足を通す。


思えば着させられているパジャマも、貴族だった頃のもののようにさわり心地のよい、寝る用に設えられたワンピースだ。


そっと立ち上がれば、彼が私の前に手を差し出す。えぇと、それは……?


そして掌から発せられる光がぱあぁぁぁっと、輝きを増せば。


その身にパジャマではない美しい紫のワンピースを纏っており、脚にはふかふかのインソールのブーツが嵌められていた。


「……魔法?」

「……」

彼は答えないが、けれど私の手を掴むその優しい力加減はどこか安心させるものがある。


足音の響かない高級なカーペットの上を進みながら部屋を出れば、その先は廊下で、途中途中に部屋があるが、その部屋には目もくれず、彼は広々としたエントランスに向かい、扉を開けた瞬間。


カチャリ。


その先がどこかに繋がった……気がした。



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