第31話

 外に転がり出たはいいが、私は壁という支えはない以上動きがさらに鈍る。ちゃんとふたりは移動したようだ。ならいい。懐中電灯と重ね着していた長袖の服とズボン、持っていたところで意味はないが、体力的にそんなものを持って出れるわけがない仕方ない。第一あったとてなんの対抗手段にも役に立つわけない。


 背を向けるわけにはいかない建物を視界にとらえ地面に座り込み考える。靴を脱ぎ履き替える。事前に近くに置いておいて良かった。なんてのは死んでからだろう考えるのは。

 布が破けてもほつれても居ないことを確認する。


 だから面倒なのだ、何が悲しくて。


 そんなことはどうでもよろしいと言わんばかりの状況に思考を加速させる。


 建物を大小様々な無数の手が押し潰す、まるで癇癪を起こして手に終えない赤子。建物が押し潰され破片となり飛び散る。頭の奥で痛みが増すことすらどうでもいい。手立ては?

 鈴など持ってきていない、どうせ効きもしないから。多くにおける怪異とは気のせいがほとんどだ、ホンモノと呼べる類いは滅多にいやしない。しかしながら集まるところには集まる。意味を持たせるか否かなんてのも甚だしい

 さてそれに対抗できるかは疑問ではあるが印を結ぶ。左手を膝の上へ右手を膝の前に垂れ地面を指す。どうせ時間稼ぎにもならない。かといって弓も火も御札も現在は使えない、相手が相手いつもの手は使えないとみた方がよろしい。

 

『須多礼多牟良仁之尓多也末阿利。曽己仁牟須宇乃天乃末毛乃阿利。曽乃末毛乃天乃保加奈之。比止井於曽宇由江仁比止八須末奈伊。魔祓。喼喼如律令』

 かなり粗雑だとは思うが背に腹はかえられぬ。手を動かし口から言葉を紡ぐ。最悪死んだとしてもまあいい。処理さえしてしまえば。


『無声忌望:九紋星』


 足は止めていられない。休憩に使った場所まで出来るだけ早く走り抜ける。痛みが消えたわけじゃないが癒えるまで待つ猶予はなかった。足もともスニーカーと違い歩きづらい。暴れ狂う無数の手。地面は揺らぎそれゆえ余計に。


 草木が獰猛な生き物のよう。頭の奥で響く声は数を増していく。どうだっていい。中途半端は良くないそんなことは知っている。


 手、手の化け物。手があるなら効く? 使える? どちらにしたってまずはたどり着かなければ後が面倒か。

 前方にふたりをとらえた。ここなら良いか。

「志野くん。ペットボトル投げて!」

「何処に?」

 あー、まどろっこしい。

「私にだよ、バカ。」

 ただの暴言だ。面倒が重なりあって。苛立つ。

 勢いよく投げられたペットボトルをギリギリ掴む。中身を口へ流す、中身に意味はない。片側の袖を捲る。空のペットボトルをへし折り空中へ。無数の手は駄々をこねる。失敗は後で考えよう。来る痛みを予測しつつ目を閉じる。

 想像しろ、無数の手がへし折れる様を。他の物は無視しろ声も音も痛みも。すべて



 どれが先に効くかはわからない。第一あれがへし折れただけで無に帰すか。すべて予測不能。ひとつわかっているのは私の片腕が同じ目に合うことくらい。


 目を開ける。鎮座する手を眺める。想定に入れていない問題はあれを複数として認識するか否か複数なら腕一本で済まないはず。


 嫌な音が響く、さてどちらの?


 いやわかりきっているだろう。大体こういう場合先に払うものだ。布を食む。あいつが消え失せるまで。泣き言なんぞ。


 あれが折れめくれ上がるのと別の効果が初動し始めるのはほぼ同時。木々が唸る。老人の恨む声のような音声。嫌な光景が脳の奥でちらつく。脳の奥で赤子の泣き声がどんと喚く。誰ともつかないモノ。あれのあった山が崩れ出す。かまけていられない。日が暮れる前に戻らないと。

「ふたりとも走るよ、じきに日が暮れる」

 どぉんと太鼓のお囃子のような音が私の頭の中に響く。草木の枝葉が貫かんとする。根っこはうねる。行きは良い良い、帰りは恐い。

 1度や2度ではない、なんどもつんのめりそうになる。今転けると最悪だ。視界にうろちょろとするモノは見ないふり。嘆願にも似た声が頭に鳴り響くようだ。

 今は戻ることだけを考えよう。休憩はとる余裕も暇もない。




 車のある場所にたどり着いた頃には三人共々へたりきっていた。



 


 車は走り続けている。車内は無音。頭の奥では絶えず声と音がする。思い出すように打ち付けた背中と、腕が痛む。

 思考がそれらにさかれてしまう。時々聞こえるふたりの会話も頭には入らない。



  

 無数の様々な手が私に触れる。様々な声で私を呼ぶ。いろんなモノが無念だと喚く。怨みを怒りを悲しみを口々に。奈落へと引っ張ろうとする。



 

 それが昔の記憶だと気づいた、これは夢だ。けれどそれがいつのことかはよく思い出せない。生々しい感覚が現実だと錯覚させる。


 ああ、私は赤子だ、幼児だ、子供だ。有りもしないそれに怯え泣いて喚く私を周囲は避けた、拒んだ。


 感覚は鮮明だ。感情も鮮明だ。曖昧なのは私そのもの。

 

 夢の終着点は変わらない。



 目を開けた。車の揺れが止まったから。意識が浮上した。いつ眠ったのだろう。日は暮れている。ちょうど今家の前に着いたらしい。

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