第30話

 中に踏み入れるとコツコツ足の音が響くくらいだ。中の空気は山故にかやけに冷たい。懐中電灯だけが唯一の明かりだ。


 直線の通路の両脇にはドアのない入り口と空間がほとんど左右対象に並んでいるらしい。先ほどからしらみ潰しに中を確認してから進んでいるがその多くはほとんど同じ。コンクリートの壁と地面があるだけの小さな空間。物は何も残されてはいない。

「志野くんって怪異から悪影響を受けないんだってね」

「そうみたいです。実感無いんすけど」

「無いことこそが証拠みたいなものだしね」

 懐中電灯はただただコンクリートの地面と壁をうつすのみ。そしてひとつわかってきたことだけれどどの部屋も日の光も風も通ることが無い、窓らしきものが一切無いからだ。まるで牢みたいだな。山自体神聖視され昔は女人禁制とされていた。ここもその点はあれが持ち込まれるまでそうだったらしい、祭りの儀式の時だけは選ばれた男女の大人、男女の子供が立ち入ることが認められた。子供を死者や神に見立てていたという。大人はその世話役だ。そして死者の中身を詰めた人形にお祈りし同じ空間で寝食を共に過ごした。それがこの建物。


「志野くん、体質から鑑みても必要ないとは思うんだけど、これ念のため持っといてね」

 御札いや、護符か。それを手に握らせる。元々二枚しかなかった。もし使うことになるとすると志野くんと辻本さんの分として。だと良いけれど

「え? これ先輩のでしょ?」

「私のでは無いしまぁ、気休め程度に持っといてよ」

  

 残り半分の距離だけ。同じような部屋。なにひとつ代わり映えはしない。

 どんつきというか廊下の端っこ前には大広間があるようだ。そして今まで続いた壁の右手の方だけ部屋があからさまに大きさが今までと比べて異質さがあった。古びた扉は開け放たれたまま。中に入ると廊下の壁側に段差があり、床には褪せた中敷きと箪笥らしきもの、黒ずんだ食器。

 そして段差の上には壊れた人形が二対いや、正確に言うと壊れて原形を留めていないものがいくつかあったがかろうじて人形だとわかるのが二対。ひとつは記載されていた内容通り倒れて壊れていた。素材はバラバラだ少なくとも原形を留めていないものに関しては。かろうじて形を保っているものは石?で出来ているようだ。かなり固く冷たい。子供の等身大ぐらいの大きさ。


「志野くん。こっち来て、これみたい」

「うわ、本当にあったんですね」

 下手に扱うわけにもいかない。以外と形を保っているものだな。実のところ建物さえ処理してしまえばと思っていたが、困ったな。

「ところでね、生きて返ってくるなんてことは事実にはなかったのだけど。少なくとも本人達にとっては生きて返ってきたと思い込み続けた節がある。残念ながらそういうていで人形を生き返ってきた人そのものとして我が家に迎え入れ食事をしたらしいんだけどねその間村中の住民は家を一切出ずに過ごす決まりがあった。特に山へ返す時には道中見られてはならないとかね」

「それじゃあよけい信じた意味も呪いもよくわからなくなってきた」

「作らせたことの方に要因があったのかもね」

 どうしてだかどうも存在しない視線を感じるのは気のせいだと思いたい。

「なんですそれ」 

「さてね、寝た子を起こすなって言うじゃない?」

 どうしたものか考えあぐねている。

「それが何なんですか」

「今回は叩き起こしてしまった方が良いかもしれない」

 対処法を見出だすにはその方が善策のような気がする。失敗すれば塵と化すけれど。というより必然的に日は暮れるだろう。もとより叩き潰すつもりではいたけれど。これでは何も見えやしない。そもそもこれらはひとつか複数か神か霊か呪いなのかそれを判断することは現段階では無理な気もする。いずれにせよやることは変わらないけども、人を脅かすなら然るべきすことをなすのだと。


 良かった準備しておいて。でもどうだろうな生きて帰すことが出来るかは少し判断できない。シャツのボタンを外し袖を脱ぐ。両の袖を外し捨て置く。

「欄先輩? 何して」

「説明してる時間が惜しい」

 しまっておいた刃物でズボンの外側を切り落とす。暑さはなくなる。正装の上に長袖長ズボンを重ねていたせいで暑さは酷いものだった。しかしあれだな帰り大変かもしれないな。

「合図したら外まで走って辻本さん連れて休憩した場所まで移動」

「欄先輩は?」

「寝た子を叩き起こす」

 形を保っている人形を限界まで持ち上げると床へ勢いよく投げつける。条件はわからない、けれど。肝試しの記録では壊したことがトリガーだった。

「さて、準備できたろ。走れ今すぐに」

 駆け出した、姿を、足音を。私は。どうしたものか。視線は濃くなっているなら、正解か? 否か? まだここを出るわけには行かない。

 神、悪神、幽霊、悪霊、のろい、どれにせよ。 



 携帯を壁に投げつけ踏みつけて壊した。これに今頼っているわけにはいかない。こんなことをすればきっと戻ってきてしまうだろう感覚を、私は今だけは受け入れるしかない。そろそろ避けてはいられない。どうせ、無数の声が、音が気配が、そして視覚が絶えず。満ちることはわかりきっている。今だけは頼るべきだ。いつまでも霊感とやらを携帯に押しつけ知らんふりは出来やしない。

 ちょうどいい。ううん、むしのいい話かもしれないけれど。私は、私にはそれを必要としなければいけない。

 

 耳障りな声、音、視覚、気配。身体を逆撫でする感覚は何年経ってもなれない。濃く強く増していく不快なそれ。腕を抱え擦りたくなる。視界が汚れようとしている。

 

 いやそんなことをしている場合じゃないだろ。


 威圧感が鎮座しようとしている、見極めろ、視ろ、知れ。それが今すべきこと。私に出来ること。私がいる意味。逃げるな。認めろ。受け入れろ。


 段差の空間を仮に祭壇とでもしておこう、それの前に私は正座したまま。

 なれない感覚と対峙している。それ見たことかと言われても仕方ない。



 

 思考に費やすあまり反応が遅れてしまったのはあるまじき行為と糾弾されても致し方なし。

 死ぬ覚悟ならとうの昔に出来ている。こんな仕事をしておいて死ぬ覚悟など無い人間はほぼ居ない。その可能性を頭の隅において誰もがそうしてきたこと。


 


 「あっ」と気がついた時には身体が空中に持ち上げられ、壁だか天井だかに叩きつけられコンクリートの破片共々地面に打ち付けられていた。意味のある声など出せず、空気が微かに口から漏れただけ。打ち付けられた背中が酷く痛んだ。痛みがまともな思考を放棄させる。身悶える、人よりはおそらく少し頑丈だとは思う、けれど。肺が押し潰されたように息がままならない。頭ではわかっている立て直さねば、と。一度破損した思考は思った通りにはならない。その間にも破片の落ちている音がする。

 相手が見えない。そもそも痛みと衝撃からか視界は定まらない。視界を滑らせ努めて考える。

 

 壁を手で探し身体を起こす。気分は最悪だ。重力がさらに私の身体を潰すようだ。



 いやそんなことは考えるべきでは無いか。壁伝いに外へ向かう。あまりに速度はとろい、痛むから。床にこぼれる。見ない見るべきではない。無駄な体力の消耗の結果など。気にするな。

 

 思う以上に進む速度は遅く来た時よりも唯一の入り口、いや戻るから出口か。ともかくそちらが遠く感じる。視界を埋め尽くすモノも、声も、音も。どうでもいい。死のうがどうでもいい。相変わらず空気が冷たい。ここにいるとどうしたって動きは制限されるだろあちこち壁と床がある、向こうからすれば凶器として役立つだろう。私にだって意地がある。叩き潰すと決めたんだから叩き潰す。

 

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