第28話

 辻本さんと志野くんが会話しているのを遠目に私は再び外の景色へ目をやる。そう言えば遠出をするのはかなり久しぶりの気がする。いつが最後だったかさえ思い出せないほどには昔なんだろう。


 そろそろ道は。いやそもそも目的地自体には車では行けない。打ち捨てられて久しいからだ。荷物もすべては持っていけないことも端からわかりきっている。

 本当はなるべくしっかりした頑丈な靴を用意して起きたかったがさすがに履きなれていない靴は返って危ない。よってスニーカー。服装は長袖長ズボン。山道を歩く可能性を考えると袖や丈の短いモノは危険だろう。と言っても薄着なんだから意味があるかは謎だ。

 二人はスーツ姿だから問題ないだろう。辻本さんもパンプスを履いてきたわけでは無さそうだし問題は無さそうだ。


 日が暮れる前に戻ってこれるといいけど。車を停車させ、必要最低限の荷物を鞄に入れ降りる。

「悪いけど、こっから先は徒歩だし自販機もコンビニもないから水分は持つの忘れないでね」


 少しだけ低く土がこんもりとした場所に上がる。

「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘ノ小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事 罪 穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す」

  

「高天の原に 神留まります

皇が睦 神漏岐・神漏美の命以ちて

八百万の神等を 神集へに集へ給ひ

神議りに議り給ひて

我が 皇御孫の命は 豊葦原の瑞穂の国を

安国と 平らけく 領ろし召せと 言依さし奉りき。

斯く依さし奉りし国内に 荒ぶる神たちをば

神問はしに問はし給ひ 神掃ひに掃ひ給ひて

言問ひし磐根・樹根立ち 草の片葉をも言止めて

天の磐座放ち 天の八重雲を 厳の道分きに道分きて

天降し依さし奉りき。

斯く依さし奉りし四方の国中と

大倭日高見の国を 安国と 定め奉りて

下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天の原に 千木高構りて

皇御孫の命の 瑞の御殿仕へ奉りて

天の御陰 日の御陰と隠り坐して

安国と 平らけく知ろし召さむ国内に

成り出でむ 天の益人等が 過ち犯しけむ

種々の罪事は 天つ罪・国つ罪幾許だくの罪出でむ。

斯く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本うち切り

末うち断ちて 千座の置き座に置き足らはして

天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り裂きて

天つ祝詞の太祝詞言を宣れ。

斯く宣らば 天つ神は 天の磐門を押し披きて

天の八重雲を厳の道分きに道分きて 聞こし召さむ。

国つ神は 高山の末・低山の末に上り坐して

高山の伊褒理・低山の伊褒理を掻き分けて 聞こし召さむ。

斯聞こし召してば 罪といふ罪はあらじと

風な所の風の 天の八重雲を吹き放つことのごとく

朝の御霧・タの御霧を 朝風・タ風の吹き払ふことのごとく

大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艦解き放ちて

大海原に 押し放つことのごとく

彼方の繁木が 本を焼鎌の利鎌以ちて 打ち掃ふことのごとく

遺る罪はあらじと へ給ひ清め給ふことを

高山の末・低山の末より さくなだりに落激つ

速川の瀬坐す 瀬織津比売といふ神

大海原に 持ち出でなむ。

つく持ち出で往なば 荒潮の潮八百道の

八潮道の潮の八百会に坐す 速開きつ姫といふ神

持ちかか呑みてむ。

斯くかか呑みてば 息吹のき処に坐す 息吹き処主といふ神

根の国・底の国に息吹き放ちてむ。

斯く息吹き放ちてば 根の国・底の国に坐す 速流離姫といふ神

持ち流離ひ失ひてむ。

斯く流離ひ失ひてば 罪といふ罪はあらじと

祓へ給ひ清め給ふことを 天つ神・国つ神

八百万の神たち 共に聞こし召せと白す。」 

 この山が例え打ち捨てられていても最低限の礼儀は必要だろう。従来山を神としてまつる地域も多くある、ここがそうでないとは言えない。

 祓詞、大祓詞、の奏上。これが正当な手順であるかはわからないけれど。

 鞄から人数分の形代を取り出し手渡し手順を踏む。はてさて、現状水辺はない向こう側にはあるはずだけど。


「さて、それじゃあ行こうか」

 先頭を私続くようにふたりが山の中へ行く。


 かろうじて残った道と呼べるかは難しい。木の根っこが土から飛び出していたり、横たわりと、足場は見ていないと転び兼ねないそんな場所だ。

 木々の隙間を縫うように進む、道は案内などなくても私がわかっているからそれでいい。時々、休憩を挟みながら奥へと向かう廃村の山へはここから歩く方が早い。険しくなる道をひたすら進む。のんびりはしていられない。懐中電灯が鞄にあるとはいえ暗い山道を素人だけで帰るのは難しいだろう。

 まぁ最悪。他の手段を使う可能性もあるがそれに頼るのは最悪のケースだろ。

 ふたりがちゃんとついてこれているか後ろを確認しながらひたすら進む。草木に触れないように気をつけながら。いや正確には木の幹に手をついてはいるかもな。

 気を抜くと木の根っこでよろけそうになった。たどり着く前に体力を失い兼ねないな、と思いつつひたすら進む。靴は土の汚れで元の色が見えなくなっている。これは声を出すのも極力避けた方がいいかもしれない。可能ならば体力は温存しているべきだ。

 代わり映えしない山の中をただ歩き続ける。走るのはかえって危ないだろう。汗にも土が混じる。汗をタオルで軽く拭う。段々足が鉛のように言うことをきかなくなっている気がする。

 もう少し、後少しの踏んばりだ。一時間かそれ以上か時間の流れは私にはわからない。


 左手に一部が土砂に押し潰された古い家屋が見えた。ここまで来たらあともう少しだ。前方は一度拓けた空間そして壊れた階段が見え、その先こそが目的地。古い家屋は廃村の亡骸だ。

 

 昔は2つの村落があり向こうの方には海があり、片方の村が海の神をもう片方の村が山の神をそれぞれまつっていた。そして村同士が吸収合併され形すら変え始める。生者の神とお祭り、死者の神とお祭り。確かにあったはずのそれは邪な考えの人間が持ち込んだ生き返らせる方法が混ざることになった。


 ここは村の死体だ。文化の死体。時代が取り残された場所。


 まあそんなことすら記録した悪意ある人間は誰だったのか。


「ここが最初で最後の休憩になるだろうね」

 荷物を一度下ろすと中身を確認しながら私は確かにそう告げた。

「何せここでこの有り様だから終着点は形を保っていても、いつ崩れるかわかったものではないし。そもそも原形を留めているかも難しい話」

 ふたりが地べたに座り休憩をとっているのを見て、再び鞄の中へ視線を戻す。

 適当に書類に書き込み考える、こんなものを書いても仕方ないけど。書かなかったらそれはそれで問題だ。事前報告書、経過報告書、最終報告書(場合によっては事後処理報告書、始末書)といったものが最低限の実地における義務なわけだ。本来は。それより前の段階に聴取内容を含む依頼の子細が記された書類がすべて調査員や事務員によってつくられる。というのが原則。そう、事前や依頼の子細な書類から本部や、支部、場合によっては個々の事務所がそれぞれの権限と能力により振り分け判断する。

 今回はほとんどすっ飛ばしてはいるが。


 そもそもあのやり方は昔、多数の人間が隊を編成して実地任務をしていた頃の名残だ。

  

 軽い経過報告書もどきのそれを書き終える。あまり長く休憩をとる時間の余裕は残念ながら残されていない。


 

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