第25話
目が覚めたというよりは、無理やり起こされたと言っても問題ないだろう。呼び鈴と携帯がアホみたいに鳴らされているからだ。
近所迷惑を思い、ぎゃーっと叫びそうになりながらも慌てて出る。もはや嫌がらせだ。
「そんなことしなくても出ますよ! 近所迷惑!」
寝起きそのままに玄関を開ける。
「逃げるかもしれんからな。念には念だ」
そう言って玄関の先に居たのは先輩だ。
「逃げませんよ、いちいち。ともかく近所迷惑だし寝起きなんで中とりあえず入ってください」
招き入れると、洗面所で一度顔を洗う。
「ほんとあれだなぁお前の部屋」
何か言いたげにそう言った
「デリカシーの欠片も無いんですね、先輩」
「いや、そうじゃなくて。色々やべぇなって」
「そんなこと言うために来たんですか」
朝から睡眠妨害され起こされた結果。私は苛立った。私は身勝手極まりない人間だ。
「心配して来た人間に言う言葉か?」
「それで、ご用件は」
話題を変えることにした。
「迎えに来たんだよ。どうせまともに人と関わる生活もしてないだろ」
「まだ私行くだなんてひとことも。言ってないですよ」
「まあ話は最後まで聞け。何も仕事をしろって言ってんじゃねぇ。周りと馴染むための準備期間だとでも思えばいい」
ブルーな気分。
「丁重にお断りさせていただきます」
「断ったつもりなんだけど?」
「残念だったな、拒否権は無いんだ。お前まともに服も買ってねぇのな」
「着てさえいればいいかな、なんて」
「良いわけあるか、馬鹿め」
ほんと、着てさえいればいいかな、なんて適当な考えをしている。というかしてきた。あわれむような目で私を見て、先輩はため息を吐いた。
「そんなにです?」
「ああ、そっからだな。無理やり買いに寄越すしかないかもな」
「ちゃんとひとりでも買いにくらい」
「じゃあ準備期間開けるまでに行けよ! わかったな?」
「考えておきます」
揺られながら事務所へと車は走っている。コンビニに停まった。
「あの、えっと。人酔いしたかも」
「まだ着いてねぇだろ」
「ほんと。うわぁ着くと居るのかなんて思ってたら気分悪くなってきたというか」
「なんでそうなる」
「後ろで横になっててもいいですか? ほんと申し訳ないなとは思ってるんですが」
「どうせあとちょっとで着くけどな」
後部座席に移動すると横になることにした。
車が目的地で停まった。
「着いたぞ」
と運転席から声が投げられる。
気分の悪さは増す。思えば多数の人の中に身を置く生活はもう何年もしていない気がする。
起き上がると這い出るように車内から転がり出た。吐き気がこみ上げてくるような気がして口を押さえ後を着いていく。
「なんかほんと。色々。すみません」
事務所の簡素なドアを開け先輩が中へ。私はただ着いていく、着いていくのがやっと。周りの人間を見る余裕なんて無い。自分が思う以上に自分の脆さに嫌気がさす。
背中を軽く押されながら右奥の方に連れられている。
「休憩スペースで寝てろ。そんな状態で座らせたら倒れそうだし」
「気分悪いだけで元気はあるつもり、なんですよこれでも」
笑顔でそう言ったつもりだった、先輩の顔を見るにつもりでしかないことは明白。
「大人しくしてろ、いいな?」
強く念を押され。休憩スペースのベッドに横になっていることくらいしか出来なくて。そんな自分に泣きたくなった。人の声が向こうでしている。頭には入って来ないけれど。仕事ひとつもままならないそんな自分が憎い。何しに来たんだと自嘲したくもなった。カチカチと時計の針の音、複数人の話し声、天井、パーテーション。
昔の私ならもっと頑丈で少なくともこうならなかったはずだ。こんなことでいちいち体調を崩したりなどしなかった。昔の私ならこんな私を嘲笑ったことだろう。馬鹿馬鹿しさに渇いた笑いがこみ上げそうになった。何故こんなにも私は弱くなってしまったんだろうか、私にもわからない。
ドアが開く音がした。誰かしらが戻ってきたのだろう。見覚えのある顔が私を覗きこむ。そして満面の笑みを浮かべているようだ。
「りっちゃんだ!」
明るい声を聞いて眉をひそめたくなった。いつだってその声はどうも頭に響いて敵わない。
「おいこら、体調悪くて休んでるから。こっち側に来るなって言っただろ」
続いて先輩の声がした。
「せんぱい」
「どうした、吐きそうか?」
こちらに近づいてくる先輩の服をわしづかんだような気がした。
どうもこの辺りで記憶は曖昧に溶けている。
時間がどれくらい経ったのかも、眠っていたのかもよくわからない。はっきりしているのはこの辺りで意識がはっきりと浮上したような気がすることだけ。
思うに私は先輩を殴ってしまったのではないかという不安がした。
人の気配が少なくなった気が。気持ち悪さも落ち着いたような気がした。
「先輩?」
ますます不安になって、声を。
パーテーションの向こうから先輩がこちらへと来た。なんでだろ、本当に殴ってしまったのかも。妙に距離を開けて少し離れた位置からこちらを向く。
「私、先輩に殴ってしまったりしてないですよね? もしかして殴ってしまいましたか。どうしよう」
しどろもどろに不安を口にしていた。
「んなこたぁ、おきてねぇよ。帰る準備してるからちょっと待ってろ」
そう言われても不安は消えてくれなかった。私を酷く不安と孤独感に苛まれた。
「よし、帰んぞ。福呂も」
こちらにやって来て向こう側にそう言って声をなげた。パタパタと動く気配。
起き上がって先輩の後ろを着いて車へと向かう。横には陽がいる。
私は後部座席を開けて乗り込んだ。
「りっちゃん、まだ気分悪い?」
助手席の陽がそう言って、後部座席の私を向く。
「たぶん大丈夫」
別にぶっきらぼうにそう言ったつもりは無かったけれど。そう聞こえていたら申し訳ないな。
これと言った会話も車内ではなく家の前で降りて二人が乗った車を見送って部屋に帰る。
静けさだけの部屋で眠れるよう祈りながら過ごしたと、思う。
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