第14話 誰かに似た男

【久能幹:視点】



 幹の端末に瑞穂から着信があったのは、その日の講義が終了し、キャンパスを出ようとしている時だった。

 

「瑞穂、どうしたの?」

『今日……遅くなる』

「残業?」

『うん……』

「なんだか元気がないみたい」


 心なしか瑞穂の声が沈んでいた。


 姉・沙織が失踪し、何の進展もないまま、早くも一週間が過ぎた。

 ここ二三日、瑞穂の様子が少し変だった。時折り、何か考え込んでいたり、話しかけても上の空だったりと。昨夜に至っては、やんわりとプレイを拒否された。

 姉に関することであれば思いを共有するはずだ。それ以外にも、何かあったら打ち明けてくれるだろうと幹は待っていた。しかし、もしも仕事上の悩みなら力にはなれない。そう思うと踏み込んで尋ねることもできなかった。


『できるだけ早く帰る』

「無理しないでね」

『ああ』

「愛してる、瑞穂」

『俺も、愛してる。……じゃあ』

「じゃあね」



「うらやましいですね。あなたは幸せなんだ」


 その声は背後から聞こえてきた。

 幹は振り向いて声の主を見た。


「――‼! おまえは」

 今の今まで記憶の片隅にさえ留めていなかった男のことを、瞬時に思い出した。

 四日前、瑞穂との電話の直後に話しかけてきた、あの時の無礼な男だった。

「他人の話を盗み聞きするのが趣味か」


「盗み聞きなんてしてませんよ。たまたま『愛してる』って聞こえたので、幸せなんだろうって推測したまでです」


 悪びれる様子もなく、薄笑いを浮かべて男はそう言った。


「下衆が」

「じゃあ、人のものを奪うのは、何と言うんでしょうね。下衆どころじゃないですよね。盗人……罪人でしょうか」

「何が言いたい? 何故、俺に絡む?」

「僕があなたに特に用というほどのことはありませんが、話しかけたくなるのは、強いて言うなら、あなたがあまりにも無力で憐れだから、つい揶揄からかいたくなるような心理からでしょうか。若干、同情心もありますが」


『憐れだから』


 いつか何処かで、耳にしたような言葉。そして、似た口調。人を見下して勝ち誇ったような癪に障る喋り方。自分の知る限りにおいて、該当する人間は一人しかいない。姉の沙織だ。そういえば、この男の雰囲気はどことなく姉に似ていなくもない。

 さらには、貌、髪色……。自分と、瑞穂にも。


「あなたは憐れだ」

 尚も男は続けた。

「あなたには何の力もない。ただ少しばかり美しいだけで、人のものをいとも簡単に自分のものにする卑しさしかない。大事な人も守れないくせに。

 従順で優しそうな顔と、今みたいな非情で冷酷な顔を併せ持つあなたは、まるでジキルとハイドだ。ハイドの時の記憶を、ジキルになるときれいさっぱり忘れるんだ」


「何のことを言っている?」

「さあ? 何のことでしょう。どうせ僕のことも、こうして姿を見るまではすっかり忘れていたんでしょう? つまり、そういうことですよ。では」


 一方的に不可解なことを喋って、男は踵を返した。


「今度現われたら……ただでは済まさん」


 固く拳を握り締め、男の後姿に向かって幹は呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る