第15話 ハラスメント
【沢村瑞穂:視点】
午後八時過ぎ。
ホテルのバーラウンジ。
「娘がいる。中学二年だ。生意気で口だけは達者で。ふんっ、これがまた死ぬほど可愛くない。顔も、不細工な嫁に似て。普段は洟も引っ掛けないくせに何か買って欲しい時だけ擦り寄って来る。十四かそこらで、もう女の狡さを身につけている。打算的で、わが娘ながらいやらしい。
嫁はもっと凶悪だ。いつも小馬鹿にしたような……いや、もっと酷い。ゴミ虫を見るような目で私を見る。頭取の親戚のたっての頼みで行き遅れのジャバザハットを貰ってやったというのに。私に対して有難みの一つも感じていない。
笑える話なんだが、嫁が若い頃、街を歩いていてスカウトされたというんだ。もちろん、モデル事務所でも芸能プロダクションでもない。相撲部屋だ。で、嫁はキレてスカウトマンを病院送りにしたらしい。身長なんか190あるんだ。信じられるか? 母娘揃って100キロ超えのバケモンなんだ。そんなジャバザとコジャバが家ん中をのし歩いているんだ。修羅だ。いつ踏み潰されるかって、怖くて堪ったもんじゃない。
正直、そんな家になんか帰りたくもないんだ。私のことを可哀想だと思うだろう? こんなに毎日一所懸命働いて、無能な部下の尻拭いまでさせられて。なぁ、 可哀想だろ? 思うだろう? 理不尽だ、って」
瑞穂はかれこれ一時間以上も、西谷の粘着質な愚痴や皮肉を聞かされていた。
普段から話の長い西谷だが、アルコールも手伝って、その饒舌ぶりがますます独壇場のような様相を呈していた。
冗長で陰鬱な言葉の羅列と時折り注がれる視姦するような目つきに嫌忌感を募らせながら、瑞穂は無言のままひたすら耐え、帰るチャンスを探っていた。
「本当は男の子が欲しかった。男は
君が入行した直後から目を着けていた。だけど、なんでかな? なかなか近づけなかったんだ。何か見えないバリアでも張られているような、近づくと撥ね飛ばされそうな、無理に近づこうとすると火で焼かれそうな感じがして。不思議な感じだったな、あれは。
だが、そういう感覚がある日突然消えたんだ。それで思わず抱きしめたんだよ。そしたら、いいところで邪魔が入って、『何してるんですか! 沢村くんが嫌がってますよ!』だって。なんとか戦隊の桃レンジャーか、ちゅうの。あの正義の味方気取りの女子行員、ほんとムカついた。今度の人事異動で、客がオオカミぐらいしか来ないアラスカ支店にでも飛ばすか。……って、まぁ、さすがにそんなとこに支店はないんだが。そんで、その時、私は君の匂いをしたたか吸い込んだ。ふふんっ、いい匂いがした。嫁と娘は〇んこみたいな臭いしかしないが、君はぜんぜん違う。爽やかで、それでいて甘くてムラムラするような。君は人を惹きつけるフェロモンでも持っているのか? なあ、沢村くん、そのエロいフェロモンで可哀想な私を慰めてくれないか」
西谷の手が瑞穂の大腿部に置かれた。
「―― ‼!」
悍ましさに鳥肌が立った。瑞穂は身を捩ってその手から離れた。
「今日の昼は私が君を助けた。だから、今度は君が私を助けてくれないか? 何事もギブ & テイクだろう。頼むよ、沢村くん」
「仕事で受けた御恩は努力して仕事で返します」
「ふん」
瑞穂の言葉に西谷は鼻で嗤った。
「君にいったいどれほどの仕事ができるというのかね? そんなもの、私は何も期待してないよ。それより、君にはもっと別の方法で私に貢献してもらいたいんだがね」
別の方法。それが何なのか、聞くまでもなかった。
「気分が悪いので帰ります」
「部屋を取ってるんだ。そこで休めばいいじゃないか。私が介抱してやるよ」
「結構です」
「頼む! 一度でいい。一度、やらせてくれれば……」
西谷が哀れっぽくにじり寄った。
部下の新入行員に肉体関係を迫る彼には、元から都市銀行の融資課長としての品格も矜持もない。あるのは卑しい欲望だけだった。
「お断りします!」
「ほう? 私のバックに誰がいるか、知らないはずはないと思うが」
狡猾な光を帯びた西谷の目が瑞穂を見据えた。
「順風満帆なエリートの道が約束されるか、その逆になるか、次の人事考価で決まるだろうね。出世街道から外れるとつらいよ。同期はどんどん昇進していくのに自分だけが取り残され、そのうち後輩にまで抜かれる始末。挙句はリストラ要員の筆頭だ。全く違う業種の会社に
ああ、そうそう、君を助けたあの女子行員も同じだ。君は、出方次第で自分だけでなく、他の人間の未来も潰すことになるんだが」
「……くっ!」
姑息にも西谷は、第三者の命運までちらつかせて脅しをかけてきた。
自分だけならまだしも、と瑞穂は悔しさで涙を滲ませながら唇を噛んだ。
「さあ、そろそろ部屋に行こうか」
西谷が瑞穂の腕を掴んで引き寄せた。
その時。
「手を放せ! ゴミ虫野郎‼」
一人の青年が現われ、激しい剣幕で西谷と瑞穂の間に割って入った。
「君は……!」
瑞穂は信じ難い思いでその青年を凝視した。
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