第5話 紅蓮の幻影
かつて幹は、まさにこの寝室での姉と瑞穂の行為を目撃していたのだった。
いつものような金曜日。夕食に招かれてそのまま泊まった幹は、夜中に目を覚ました。ついでにトイレへ行こうとして姉夫婦の寝室の前を通り過ぎようとした時、そこから漏れ聞こえる声に思わず足を止めた。
その声は、言葉を成さないケダモノの咆哮のような姉の不穏な嬌声だった。
完全に閉じられていなかったドアは軽く押すだけで音もなく開いた。
新婚夫婦の秘め事を覗くべきではないと自制する理性は、十八歳の若者の好奇心の敵ではなかった。
その時のドアの隙間から見えた光景を、幹は忘れることが出来ない。
ベッドランプの薄明かりの中に蠢くケダモノ。それは義兄を蹂躙する姉の姿だった。沙織の白い背中が激しく上下に揺れ、乱れた長い髪が波打っていた。
咽喉の奥に詰まった異物を無理に嚥下しようとするかのように、幹は何度も生唾を呑み込んだ。膝が震え、立っていることさえも困難になり、這いつくばって、ようやく布団に戻った。
純情さゆえのショックなどではなかった。獣じみた姉の狂態に、自己の内なる渇望を見たのだ。
妄念の中で義兄を凌辱する自分もまた、姉と同様のケダモノに他ならない。
だが、それでもかまわないと幹は思った。小賢しい人間界の薄っぺらな倫理観念など、ケダモノには何の意味もありはしない。
ひとえに、瑞穂を奪いたい。姉よりは自分こそが彼と快楽を享受し合う相手として相応しい。自分だからこそ、もっと熱く、もっと深く、もっと濃く、血肉を熔解させ、魂の真髄にまでも到達し得るほど、強く、交わり合える‼
その激情の叫びは、怖ろしい幻影を映す強烈な眩暈を幹にもたらした。それは渦巻く紅蓮の炎に巻かれ、のたうち回る自分自身の姿だった。
許されざる欲望に呑み込まれていく果てに待ち受けるものを、幹はその時、予知夢として見たのかもしれなかった。
瑞穂の眼鏡を外すと、艶冶なる
かつてない感覚への刺激に瑞穂の顔が顰められる。寄せられた眉頭、微動する瞼、途切れ途切れに喘ぎを漏らす唇。全てが婀娜めいて、凄艶なまでに美しく、煽情的で艶めかしい。
死ぬほど恋焦がれ、気も狂わんばかりに欲した人の心と身体に、生涯を傾けて想いの丈を鎮める。その歓びに、戦慄く。
全てを捨てて余りあるほどのエモーション。これこそが真髄。世にあるいっさいのものは皆、贋物にすぎない‼ 幹は絶叫のように渾身の想いを迸らせた。
「シャワーは? 幹……」
義兄の繊細な指が汗ばんだ幹の額にかかる髪を払う。
「平気。……ずっと、こうしていたい。どんなことになっても、あなたを離さない。たとえ、この身が焼かれても」
――この身が焼かれても。
思いがけず口にした自分の言葉に、勃然とある遠い記憶と近い記憶が呼び覚まされた。幹は戦いた。何故、思い出す? 至福のこの時に。
アイロニーのように浮かび上がってきた記憶。それは恐怖に彩られていた。
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