カイザー

@Richard_Windermere

第Ⅰ節_宿命の灼熱

時は夕方。と言っても、もう辺りはほとんど真っ暗だ。ここアルディア王国の秋の日は短い。そろそろ寒い季節がやってくる。それでも此処ここは海沿いだから、多少は寒さは穏やかなはずだ。

俺は見慣れた町並みを眺めながら、いつものように酒場を営んでいる店にコーヒーを買いに行った。

道中はいつもよりも見回りの兵士が少ない。

聞いた話によると、昨日あたりからうちのハトップのクソ領主がアルディアの首都に会議に行っているらしいんだ(領主がクソだからこの地名も格好悪いんだ。そう思うだろ?)。うちのクソ領主は自分の事しか考えてないからな。多分かなりの数の兵士を護衛で連れて行ったんだろう。

これでもアルディアの中では大都市なんだぜ。

その証拠に、うちの町の観光の見所を道行く人々に聴きまくれば、100人中99人は城だと答えるだろう。あとの1人は耳の遠くなった老人だ。へへへっ。

そう、この町にある城はとにかく豪勢なんだ。金や銀、中にはダイヤの装飾が念入りに、これでもかと施されていて、此処の都会ぶりと領主の我儘わがままさを同時に表現しているんだな。

なんで行っちゃってるかと言うと、近頃モンスターたちが敵対し始めたかららしい。

俺はモンスターを見た事がないんだけど、普段は敵対していないが、間違って攻撃なんかすると群れで襲い掛かってきて大変な事になる。25年前にそのせいでこの王国は滅びかけたんだってさ。

こんな平和で毎日バカ騒ぎしてるような所が滅びかけたって?信じられるかい?

まあ当時、此処の領主は優秀で、被害を結構少なく抑えたそうだよ。

この話を含む、「25年前の悲劇」を救った伝説は、この国で育った人ならみんな知っている。

「アルディア英雄たん」っていうんだけどね。小さい子でも読めるように簡単にしてあるんだ。

俺が最初読んだときなんて、「譚」の読み方が「たん」だった事に驚いた覚えしかないよ。

まあ、冗談抜きで本当に有名だよ。

こんな事を考えているうちに店に着いた。

見かけは酒場だけど、大体どんな飲み物も食い物もあるから、そこらでは結構人気なんだよ。

そして一応「Rick’s BAR」という店看板がぶら下がっている。この正式名称はあんまり知られてないんだけどね(みんなの間では「ギルド」で通ってるんだ)。俺はむしろ、自分の名前の略称とかぶるからありがたいんだけど。

俺が店に入ると、奇妙な高音のベルが鳴る。聞きなれているはずなのに中々慣れないんだよ。

店には数人客がいて、中ほどの右のほうに無精ぶしょうひげを生やした店わがままドリックがカウンターを隔てて陣取り、食器を洗っている。照明は今時では大体魔法の照明で明るいんだけど、此処ここだけは暗いランプを貫いてて、それもあってか雰囲気はかなり落ち着いている。

でもたまにギルドリックが乱雑に食器をガチャンと置く音が煩わしい。

「いらっしゃい、おっ、リチャードじゃないか。どうした?まだ酒は早いぞ」

「るせー、酒じゃねーよ。ギルドリック、いつものコーヒーくれ」

俺がそう言うと、ギルドリックの奴はニヤリとしながら濡れた手を拭いた。

俺は如何いかにも「まったくよお」という顔をしながら12ラピアをカウンターの向こうに置いた。

ラピアはアルディアの通貨の単位なんだ。ちぇっ、俺の全財産32ラピアしかないのに。

「はいはい。ブラックね。...今日は遅いじゃないか。いつもなら1時間くらい早く来るのに。」

「今日魔法の授業が延びてさあ、延々と魔力を集中させろだの何だの言うんだよ。僕みたいな奴にそんなん言ったってできっこないんだからさ、ほんと時間の無駄だよ。そもそもあのタイミングであの先生が―」

「ほらコーヒーできたぞ。お前毎日コーヒーなんか飲んでると寝れなくなるぞ。」

多分ギルドリックは俺の愚痴を聞くのが面倒だったんだろうな。

「いや全然毎日じゃねーし!週に2回くらいしか来ないだろ!!」

ギルドリックは大口を開けて哄笑こうしょうしながら、俺にできたてのコーヒーを渡した。ギルドリックの歯って案外綺麗なんだよな。いや何見てんだ俺。

俺は「ありがとさん」と言って奇妙なベルの音とともに店を出た。

あ、そうそう、俺って考える時は一人称「俺」なのに話すときは「僕」なんだよ。いや、ゲスいとかじゃない。人格変わっちゃうのかな。自分でもよく分からない。多分自分に自信が無いんじゃないかな。うーむ。


そんな事を考えながら町の端っこの自宅の前まで来た。家に入ると多分お母さんがいて、ご飯を作ってくれているんだけど、俺は家には入らない。入ったら「またコーヒーなんか買って!!寝れなくなっても知らないよ!しかもうちはあんまりお金ないんだから!」って言われるに違いない。

それにコーヒーカップも返しに行かないといけないからね。

という訳で俺はいつも自宅の裏に回ってコーヒーを飲むんだ。

さあ待ちわびた一服だ。俺はそれ程ツウでもないけど、一応飲み方がある。最初に香りを少し嗅いで、それからグッと飲む。ぷはーっ!たまらんね!あとはちょびちょび勿体もったいぶって楽しむんだ。

最近は学校でも上級生になって忙しくなったからこういう機会が減ってしまったんだ。しかもまったく友達なんかできやしない。参っちゃうよな。

ずずーっ...友達と言えば幼馴染のアルトゥールくらいだな。と言っても年は5歳くらいあっちが上なんだけど。アルトゥールは城直属の兵士なんだ。

兵士には4階級ってのがあって、下から二等兵にとうへい一等兵いっとうへい騎士きし近衛兵このえへいってなってるんだけど、アルトゥールは領主の近衛兵として働いてるんだ。しかもそのトップ、近衛兵長。すげーだろ。あいつ、小さい頃から剣術が得意だったもんな。

ずずずーっ...俺なんか、学校のお遊び弓術くらいしかできないのに。ずずーっ...今日のところあいつを見てないから、多分領主に連れて行かれたんだろう(かわいそうに)。いやあ、あいつみたいな偉い奴には頭が上がらないよ。努力家なんだ。ちょっとおカタいところもあるんだけどね。ずずーっ...

「敵襲だあぁーーっ!!」

ぶほおぉーーっ!!俺は思わず飲み込もうとしていたコーヒーを噴き出した。コーヒーは地面を伝わって自宅と反対方向に流れていく。ああ、俺の12ラピアー!!

それと同時に敵襲を知らせる笛の音が鳴り響く。ブオオーーッ!!なんだ?敵襲だって?アルディアのこの大都会ハトップに?一応ここ、結構な経済都市だぜ?

まずいな、俺のいるところは町の外れなんだ。だからもうモンスターの姿が3体くらい木々の隙間から、荒々しく光る鉄の長槍と一緒に見えるんだよな。

モンスターの持っているあの長槍は、一般的にアイアンランスと呼ばれている。

しかし、実はランスとは馬上戦で使う槍の事を指す。なので正式には、純粋な「長槍」という意味の「パイク」と呼ぶのが正しい。だから俺は謎のプライドで、ずっとアイアンパイクと呼んでいる。

まあ「スピア」って呼べば槍全般という語義となるから、スピアなら安全策かも知れないな。

と言うか、あれはオークか?

顔は豚みたいな見た目して、二足歩行をしている。本で見ただけだったから分からないけど、想像以上にでかい(横も結構でかい)。俺よりでかいぞ?

あれ!?と言うか町を囲っている防壁は機能していないのか!?突破されたというのか?いや、そんな事考えている暇はない。あいつらが気色の悪い奇声をあげながら追いかけてくる。母ちゃーーん!!

どこに逃げる?生憎あいにく俺はアルトゥールみたいに剣術ができないもんでな!逃げるしか選択肢がないんだ!

くそっ!あの時稽古けいこ用の木刀で火を起こそうと勇敢にも奮闘していた俺を殴りたい!

取り敢えず例の派手な城に行けば安全じゃないか?そこには防衛設備も騎士も、近衛兵も少しは揃ってるだろうし。

よし、と、城へ逃げようと俺は瞬時に判断し、コーヒーを一気に飲み干して走り出した。

ひゅうっ、こんな状況でも冷静に判断できる俺かっちょいいぜ!って、ズザーッ。何もないところで盛大に転んだ。まったく、いっつもこんな調子だからみんなにもからかわれるんだ。俺は最高にダサく転んだ後、ぎこちなく起き上がってまた走り出した。

自宅の前に行くと、丁度母ちゃんが出てきていた。

「あっ!!リチャード!帰ってきてたの!」

「うん、取り敢えず城の方に逃げよう!」

だが母ちゃんは何かためらっていた。

「でも家の中に全財産が...」

「そんなの気にしてる場合か!行くよ!」

俺はコーヒーカップを母ちゃんの死角の手にこっそり持ち替えて、城に向かって走り出した。母ちゃんも少し不服そうな顔をしながらも走り始めた。

既にオークたちの「プギイィイ」という奇声はかなり近い。あいつらあんな見た目して相当足速いな?

「ってあんた!またコーヒーなんか買って!!寝れなくなっても知らないよ!しかもうちはあんまりお金ないんだから!」

なんで気づくんだよお。って思ってたら、人とぶつかるのなんの。

見ると、周りからもかなりの人が城に向かって駆けていく。みんな揃いも揃って引きった表情をしている。

動けない子供や老人を担ぐ者、剣を持ちながらも一目散に逃げる者、置いて行かれる子供、老人、足をくじいた者―

「どういうことだ!壁は突破されてしまったのか!?」

「逃げろ!誰も置いていくな!」

「城に逃げろー!!」

「ママぁーー!!」

「町は包囲されているぞー!!」

「兵士たちは何をしているんだ!?」

やり場のない感情が渦巻いているのを感じる。集団全体の混乱、焦りなどが、個々の怒り、嘆きなどとして出力される。後ろからは大量のモンスターの奇声が聞こえ、いつの間にかモンスターが放ったであろう火が燃え広がり、その炎が最高のコントラストとなってあたりは混乱の絶頂に達していた。

そして俺は最悪の失態をやらかした。母ちゃんを見失ったのだ!ちくしょう!俺は必死で辺りを見渡す。いない!

もっと探そうと城と反対に走り出したが、押し寄せてくる人の波がそれを拒んだ。

「何してんだ!邪魔だ!」

「ぐずぐずすんな!」

「早く逃げろ!」

ちくしょう!ちくしょう!俺はくそ度胸で人をかき分けにかき分け、意地でも人の波を抜け出した。

町の全貌ぜんぼうが明らかになった。

あたりはすっかり真っ赤で、炎は無情むじょうに町の建物や作物などをもかてにして燃え盛る。昼のように明るい。踊り狂う炎が眩しい。

今度視界に入ったのは、押し寄せてきたオークの波だ。奴らのパイクは燃え盛る火炎に反射したのか、はたまた人間の心の臓の流体を吸収したのか知れないが、あかく光っている。くそったれが!俺のはらわたの最深から猛烈な怒りがこみあげてくるのを感じる。

そしてかなり距離がある所に母ちゃんを見つけた。

もっと先には既におびただしい数の兵士、民間人、モンスターの死体がある。どうやら母ちゃんは足がすくんで動けないらしい。

大声で何かを必死に叫んでいる。

そしてこれが運の尽きだと思った。何故なら俺よりもオーク共の方が母ちゃんに近いからだ。

俺はこの足千切れてしまえと念じて母ちゃんに向かって走った。走ったところで何になる?ええい!走れ!間に合え!くそっ!くそっ!あと少しなのに!くそっ!

一際ひときわでかいオークがパイクを構える。

待てと全力で叫ぶ。

そしてあと10歩というところで、やっと母ちゃんの声が届いた。

「―げて!!私のことはいいから逃...」

そこから先は聴く事が出来なかった。

オークが母ちゃんの喉を貫いたのだ。やられた。

母ちゃんが、死んだ。俺の目の前で。

底なしの絶望が押し寄せた刹那せつな、俺の脳は今までに感じた事のない怒りに支配された。俺の眼から血か涙かも分からない熱い液体が流れている。そして先程から聞こえるおぞましい叫び声は自分のものだという事に気付くのにかなりの時間を要した。

更に、気づいた時には手に持っていたカップを母を手にかけたオークに投げつけ、奴を蹴倒し、パイクを奪って顔をめった刺しにしていた。

勿論もちろん、最初に貫いたのは奴の無駄に太いくびだったと思う。汚い血液が飛び散る。

もうそいつは原型を留めておらず、ただの痙攣けいれんする肉の塊になっていた。

するといきなり俺は、周りにいたオーク共のうちの一匹に脇腹を刺された。そして勢いよく抜かれた。身体がパイクについていってそのまま持って行かれそうになる。

だがそのオークは、パイクを抜くと同時に俺を蹴とばし、結局、反対方向に身体が飛んで行くのを感じた。俺の血が飛び散る。

一瞬、天を仰いだ。と思うと地面が俺に体当たりしてきた。

実際この一連の出来事は一瞬だったのだろうが、俺にとってはとても悠長な時間に感じた。

奴らのけたたましい歓声が響く。

気分が高揚こうように高揚を極めていたから、刺された瞬間は少し熱いだけだった。

でも不思議なもので、パイクを抜かれる時の方がずっと痛い。なんか、体内のものが全部もってかれてしまう感じ。あまりの痛さに俺は崩れ落ちた。そんな中でも何とか片手をついて、頭を守った自分に敬礼。

ちくしょう、あの野郎、末代まで呪ってやる。

でも脇腹だっただけマシか、と思っていると、自分の股を通して、仰向けに倒れた母ちゃんが見える。

既に母ちゃんの鮮血は俺の血と、仇のオークの血と混ざっている。ぼーっとした頭で、俺と母ちゃんを再び接触させてくれる地面に感謝しつつも、かたきまで混在させる地面を心から呪った。

そしてその向こうにはさっきのオーク共が見える。俺の事は忘れたかのように放っておいて、気持ち悪い奇声をあげながら逃げ惑う人々を追いかけている。いや実際忘れてるんじゃないか。

ああ、また一人やられた。

目の前にノイズみたいなものが走って、視界が暗くなる。もうこのまま気絶して炎に身を委ねてしまおうか。

だけどな、これでくたばるリチャード様じゃないんだ。俺は往生際おうじょうぎわが悪いんだよ。へへっ。

俺は流血のせいで眩暈めまいを起こしながらも、やっとの思いで母ちゃんの所までほとんど這いつくばうようにして行った。

母ちゃん、こんなにあおくなっちゃって...それでいて真っ赤な流体に囲まれている。なんてぇ皮肉だよ。痛かっただろうなあ。辛かっただろうなあ。

また涙が出てきて、脱力して倒れ込んだ。自分では立ってるつもりなんだけど。

今はとにかく戦線離脱しなければならない。然し安全な場所が近くにあるのか...

俺は人生で一番のろい大賞を受賞できる程の遅さで起き上がった。

さっき奪い取ったアイアンパイクをたずさえ、事切こときれた母ちゃんを背負い(抱えてみようともしたんだけど、結局これが一番脇腹に負担が少なくて軽かったんだ)、商店街だった面影もない、火に囲まれた大通りを歩き始めた。売り出されていた野菜や衣類などは、もうとっくに塵と化している。

どこに行こうかと考えたとき、やはり自宅かな、と思った。今、襲撃の戦力は恐らく城に全て注がれているから、なるべく離れた方がいいと思ったんだ。

しかも実は、自宅の方が城よりも高い位置にあるんだ。珍しいだろ?

ああ、くそったれ。こんなクソくだらない事なんか考えても気持ちの誤魔化しにもならん。なる訳ないだろ...

俺が悪いんだ。俺があの時母ちゃんの手を引いていれば母ちゃんは頸を刺されずに済んだんだ。そしてもっと早く気づいていれば。もっと頻繁に隣にいるか確認しておけば。俺が悪いんだ。俺が母ちゃんを殺したんだ。見殺しにした。ああ、俺が!俺があの時!

俺って死んだ方がいいのか?見殺しにした罪は重いだろう?

オークがあの時ちゃんと刺し殺してくれればよかったのに。刺すんならしっかり刺せよあん畜生が。くそっ。

はぁ...これも何かの宿命かなあ。そう思わなければ本当に気がもちそうにない。

おや?人々の叫び声が急に大きくなった。何があったのだろうか。気になるけど、行く訳にはいかない。今は自分の事だ。この目の前の業火ごうかを眼前にどうするかだ。

さて、自宅に行くにはこの角を曲がったらよいのだが、何故か此処の火の勢いは弱い。

多分、風向きのせいだろう。今、風は城と反対から吹いている。だからそれも相まって自然と火は城の方へ煽られて、みんなも迫りくる火から逃げるために城の方に行ってしまったのだろう。

そう思った瞬間、筆舌ひつぜつくし難い気持ち悪い悪寒が走った。

そうだ、待てよ、これでは筋が通り過ぎてやしないか?これじゃまるで計画されている様な...

いや、まさか。モンスターたちの知能は高くないとよく言われていただろうが。

ああ、くそ、かなり重いな。何かに使えるかもしれないと思って奴らのアイアンパイクを腰に下げてくるんじゃなかった。

冷静になって考えてみたらこれ結構重いんだぜ?流石、筋肉バカが振り回すだけあるな。

そんな事を考えているうちに自宅の前まで来ていた。やはり自宅も例外なく燃えている。もうほとんど原型は残っていないけどね。

俺は家の裏に回り、さっきまでコーヒーを飲んでいた場所をアイアンパイクで掘り返す(そうそう、このために持って来たんだからね。決して、いざとなったら振り回して敵をなぎ倒すなんて妄想してなかったからね)。

最初に勢いよく地面にパイクを突き立てちゃったもんだから、脇腹が激烈な悲鳴をあげた。ちくしょう、まだ血は完全に止まってないんだよ!!ああ、また眩暈が。

やっとの思いで堀り終わると、母ちゃんをその穴に横たえ、頬にキスをして別れを告げ...たかったんだ。でもそれは俺には出来なかったんだ。だから仕方なく「またね」と言って母ちゃんに土をかぶせた。

なんでかって言うと、今までこんなに多くの人の死というものを全く経験していなかったから、どうしても死人が怖いんだ。例え母でも。

だって、さっきまで何回生命の終わりを目の当たりにしただろうか?

実はあまりに多くの血や死を見たせいで本当に吐きそうなんだ。

更に自分が、例えモンスターでも、命を奪った事にショックを受けている。

意気地いくじなしだろ?もっと罵ってくれよ、くそっ。

俺は弾かれたように顔を上げて、母ちゃんが埋まっている所から少しずらしてパイクを思いっ切り突き立てた。ああ!俺の愛しい脇腹が!!

それは置いといて、俺はその瞬間決意したんだ。

絶対にこんな事を起こした奴を探し出してブッ殺してやるとな。

死ぬのはやっぱり今じゃない。


俺はふと戦況が気になり、あちらからはこっちが見えないように注意しながら城の方へ目をやった。

もう既に人の集団は城の前に着いているのだが、何かおかしい。

後ろからオーク共が攻撃するのは分かるんだが、城から矢が飛んでいる。何がおかしいって、その矢は確実に人々を狙っているんだ。

見間違いかと思ってもう1回見てみると、城から矢を放っているのは、オークだ。


はあ!?オークだって!?なんでオークが城の中にいるんだよ!!まさか、もう城は敵に制圧されてるってこと..か?

え、そんなことあるかい?噓だろ?夢だろ?そ、そうだよ。さっきから妙に刺激が強すぎると思ったんだよ。こんなの夢に違いないんだ....

ハハッ、もうこの町もあの人たちも助からないよ。最初からオークに包囲されて全滅するっていう運命だったんだよ。あーあ、今から何をやっても無駄だね。ハハハ。

あの絶望の輪の中に俺の同級生もいるんだろ?道端で「おかえり」って言ってくれたおじいちゃんとか、学校のクソ教師とかも、全員あの中にいるんだろ?酒場のギルドリックも、隣の家の口うるさいおばちゃんも全員。まあもう死んじまってるかも知れないけどさ。

なーんだ。俺何もできないじゃん。

このまま呆然と同胞たちが殺戮さつりくされるのを見てろってか?まさしく阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図と呼ぶに相応しい光景を?こんな残酷な話あるかい。

城に念入りに施された装飾は残酷に炎を反射して光っている。

さっきまでの決意は何処どこへ行ってしまったのか、俺は急に身体から力が抜けていくのを感じた。ああ、まぶたが重い。

脇腹の痛みも強くなってきた。生きていく上で如何に精神状態が影響を与えるかを痛い程感じる。実際痛いんだけどさ。

そうこうしているうちにもどんどん同胞たちの数は減っている。もう涙も枯れちゃったよ。

うむ、まずい、強烈なめまいが...

そしてとうとう俺は気を失った。



目が覚める。頭が痛い。頭の中で、うおっ、という驚きの声が聞こえたような気がした。

しまった、気絶していた!と思って眼を開けて正面を向くと、よかった、さっきと同じ景色だ。

俺はモンスターたちに見つかっていない事に安堵し、胸をなでおろした。

たださっきと違うのは、人々の悲鳴が聞こえなくなった事だ。もう既に嫌な予感がする。でももう覚悟はできているんだ。どんなものが来たって驚かないよ。

俺は勢いよく城の方へ振り返る。

「ぎゃああぁぁぁぁ!!!!!」

俺は勇敢にも、護るべき脇腹をわざわざくねらせて後ろに飛びのいた(一応俺座ってたんだぜ?座ることと腰をひねることと、更には飛びのくことを同時にできるって立証された瞬間だったよ、けっ。)。

俺の目の前にいたのは輝くフルプレートアーマーを着たアルトゥールだった。

漸く会議から帰還したらしい。遅いんだよ。

でも、やっぱりうっとりしちゃうよなあ。

ハトップの兵士の装備は最高に格好いいんだ。

何だかオオカミをイメージしているらしくてさ、アーマーの部分はそこまで華美じゃなく、そこそこスラっとしているんだけど、兜はどちらかと言うと横に広くて、顔の側面には黄金でできた手のひらくらいの大きさの羽がついているんだ。そして額の部分にはこれまた黄金の、龍の紋章があるんだ。龍はアルディアの繁栄の象徴なんだぜ。

更に顔の部分の鉄仮面は着脱可能だ。兜の上の部分を支点に上下できるようになっていて、闘っていないときは鉄仮面の下を持って上に持ち上げる。するとさながら帽子のつばのように早変わりするんだな。

騎士までのアーマーは鉄と銀で作られてて、白く輝いてるんだけど、近衛兵のアーマーはコルバーンっていう此処ら辺でとれる金属と鉄で作られていて、これが文句ないくらい漆黒に輝くんだ。

そして今アルトゥールはそのアーマーを着ている。くっそお!かっちょいい!

更に兵士の装備している剣も最高に格好良くてさ、刀身はスラっと長くて、同じくコルバーンを使った巧みな加工で、斬撃と刺突のどちらも繰り出せるようになっているんだ。

今は納刀していて分からないが、刃は美しくかつ程よく湾曲し、薄く鋭利に研ぎ澄まされている。光に照らされると、刃は残虐に、また美しく漆黒に光り、どこか上品な雰囲気を兼ね備えている。

柄はとても握りやすそうで、全体のバランスが完璧に保たれている。

本当に全部、冗談抜きに格好いいんだ。くっそあいつ羨ましいな!あいつのパンパンの盛り上がった筋肉も細く見えるよ。

然し、殆どのアーマーがボロボロに壊れている。

兜の右側の羽は砕け、その他、アーマーは右側を中心に大きく破損している。傷も多く、特に足はまだ血が止まっていない。

アルトゥールはゆっくりと鉄仮面を上に上げた。

そして疲弊しきって、汗が滲み、混乱と驚きを足して2で割ったような顔をしている。

何だか、挨拶すら交わせないような空気感だった。沈黙の中、遂にアルトゥールが口火を切った。

「リチャード、生きていたのか。てっきり死んだと思って埋葬するところだったぞ。その顔と脇腹の血はどうしたんだ?何でお前だけが生きているんだ?それにこの燃え様は何だ?そもそも何があったんだ?」

くそったれ。嫌な予感が当たった。あの人々は全員殺されたんだ。

「うん、じゃあやっぱり...やっぱりあの人たちはみんな殺されたのか。みんな。みんな...」

どうしようもない悲しみと無力感が湧き出てくる。

少し感情が少し落ち着いてから、俺は虚勢きょせいを張って、

「へっ、そんないっぺんに聴かれても困るよ。僕の口は一つしかないんだから。だけどそっちもただじゃ済んでないようだな。」

と言った。そして深く息を吸ってから、俺は先程起こった一瞬の惨劇を説明した。惨劇という言葉では足りないだろうがね。

俺はどうも説明がヘタクソなもんで、30分位かかっちまった。いや、途中からまた涙が溢れてきたからじゃない。決して。

アルトゥールは俺の話を遮る事なく黙って聴いてくれた。よく言えばそうなんだが、多分あいつも疲れてて、脳の処理が追いつかなくて口を挟む余裕がなかったんだろうな。

あいつは話の節々で、目を見開いたり、苦しそうな顔をしたり、顔を青くしたりしてて、バリエーションが豊富で楽しませてもらったよ。でもずっと険しい表情をしていた。

俺の話が終わると、再び沈黙が訪れた。俺の鼻をすする音と、残虐に炎が町を焼き尽くす音が夜闇に響く。

さっきの沈黙よりもずっと重苦しい。

するとアルトゥールが唐突に立ち上がり、数メートル先の母ちゃんの埋葬場所へ歩き、手を合わせた。

俺はひたすら「ありがとう」と繰り返す事しか出来なかった。

しばらく経った後に、アルトゥールは城の方へ体を向け、ただ黄昏たそがれている様にぼんやりと眺めていた。

「―そうだ。そっちで何があったのかも教えてよ。もう身なりからして只事ただごとじゃないのは分かってるからさ。」

アルトゥールは天を見上げた。火の仕業なのか、アルトゥールの漆黒の瞳が光ったような気がした。

そして溜息をついてからゆっくりと話し始めた。

「我々の部隊は、昨日会議を終え、領主を護送しながら帰ってきたんだ。その道の途中...木々に囲まれた道での出来事だった。突如木の間から、この世のものとは思えないほど明るい光の玉みたいなものが、『キイイン』という音とともに領主に向かって飛んできたんだ。と思うとそいつは一際明るくなって、大爆発を起こしたんだ。護衛兵たちは俺も含めてどうする事もできずに只管ひたすらに吹っ飛ばされたんだ。俺は最前列を行進していたから、直撃は免れたんだが...」

アルトゥールの方も話を続ける事が困難になってきたようで、少し顔を伏せて目を押さえている。

「お、俺が眼を開けたら、そしたらっ...みんなも倒れて...馬も、俺のシルバーもみんな。中には四肢がもげたりバラバラになっているやつも...くぅっ」

あいつも遂に涙を落とした。アルトゥールの泣いている姿を見るのは初めてだった。

そうだったのか、そんなことがあったなんて。

町の中の最強の精鋭をまとめて抹消するとは敵ながら良い策だ、と不謹慎にも感心してしまった。

更にあいつの愛馬までも。

シルバーはあいつがずっと相棒のように付き合っていた馬だ。

灰色の毛並みがイカしてたんだぜ。下手したら俺よりも絆は深かったのではないだろうか?

俺はあいつの背中をさすってあげた。改めて感じるが、こいつの背中はやっぱりごつい。

こんな努力の結晶みたいな奴らに奇襲を仕掛けるとはなんたる卑怯者だ。

怒りが再燃しながら、俺はなんとなく、この2件の首謀者は同じなのではないかと感じた。さっきまで薄々感じていた、「これは計画されたものではないか」という疑念が一層現実味を帯びてきたように思う。

「正直に言うと、僕は最初、お前にすげー怒ってたんだ。町のみんなが逃げ惑っているとき、助けは来ないのかと口々に叫んでいたし、怒りの矛先を護衛兵たちに向けている人もいたんだ。僕も、町を護る責任感がないのか、ふざけんなと思ってたんだ。お前らがのんびりクソ領主を護衛してぷらぷらしてる間にどんだけ人が死んだと思ってるんだって。でも...っ、そんなのねえじゃねえか、そんなことになってたなんて、言いたいことも言えねえよお!ずるいよお!わあああああ!!」

俺はまた泣いた。膝をついて、アルトゥールよりもずっと豪快に。本当に情けない。今日は泣いてばっかりじゃないか。

「ごめん、みんなっ、弱くてっ、遅くてっ、護れなくてっ、本当にごめんな」

アルトゥールも感情が高ぶったようだ。

結局、俺ら2人は気が済むまで泣き続けた。


最初に泣き止んだのはやっぱりアルトゥールで、俺も暫くして落ち着いた。

「ずずっ、話が逸れたな..何の話をしていたっけか?」

「えーっと、ああ、あれだ、爆発が起きたんだろ。それでどうなったんだ」

「はあ、そうだったな。俺はその後、みんなの生死を確認しようとしたんだ。でもな、俺の周りには4人くらいしかいなかったんだ。爆発の威力がイカれてて、みんな何処かに吹っ飛んだんだろうな。俺は森の中をかき分けて、なんとか全員見つけ出したんだ。それもみんな挙って事切れていてな。勿論もちろん領主などは愚か、そのすぐ近くにいた護衛兵なんかも、もう原型をとどめている訳もなくて、領主なんかは冠の破片しか見つからなかった。」

「けっ、ざまーみろ、あんのくそったれが。肉片をかき集めて馬糞の山にぶち込んで火をつけてもまだ足りんくらい...そうだ、ついでにその灰を―」

「やめろ」

「...うん、ごめん」

ああ、ちくしょう、なんで俺はこうも他人の所為にしたがるんだ?そんな事しても何にもならないのを分かってるってのに。はぁ。

「今夜を中心に本当に沢山の人が亡くなったんだ。もしかすると、いや、考えたくもないが、生き残りはこの2人だけかも知れないんだ。その生き残りがそんな文句ばっかり言って、犠牲になった人たちに面目ないだろ...」

「ごめん。全く以てその通りだよ...へっ、珍しくお前冴えてるじゃないか。」

そう言った瞬間、奴はこれでもかと目をかっ開いた。なんだ?そんな気にする事言ったか?

「危ないっ」

奴が叫んだと思うと、俺はアルトゥールに脇腹から突き飛ばされていた。

俺が宙を舞うや否や、頭上で火花が散る。俺は素早くそちらを向いたが、「くそったれ!なんで脇腹から!」と返す暇はなかった。

俺のいた所で、小柄な人影がアルトゥールに向けて短剣らしき物を振り下ろしている。どうやら片手に一本ずつ短剣を持っているようだ。俗に言う二刀流ってやつだろうか?

アルトゥールは、いつの間にか抜刀した片手剣で短剣をまとめて弾き、往なしている。

ようやく状況を理解した俺は、ついでに脇腹の激痛も理解した。くそっ、なんでわざわざ脇腹から突き飛ばしたんだと心の中でアルトゥールに罵声を浴びせながら、また血が出てくるんじゃないか?とヒヤヒヤする。

「お前は何者だ!」

アルトゥールが短く叫ぶ。しかし相手は無視。むしろ突然の反撃に驚いているように見える。

目を凝らすと、アルトゥールとやり合っている者はモンスターではなく人間の男っぽい風貌をしているようで、フードを被っているので顔は暗くてよく見えない。

だが、アルトゥールもいつの間にか鉄仮面を装着したようで、どちらの表情も見えない。

俺は起き上がって加勢しようとしたが、負傷が辛いし、それ以前に一瞬で斬り捨てられるのが容易に想像できるので、やめておいた。でも逃げるのもあれだよなと考え、結局この場に留まる事にした。

俺は武器をとる代わりにそこら辺の少し角ばった石をとり、全力で奴に向かって投げつけた。

アルトゥールも同時に突きを繰り出す。

そうするとその男は驚く事に、背を思い切り反らして、両方の攻撃をかわした。

俺は「はあ!?身体柔らかすぎるだろあいつ!!」と嘆いていたが、やっぱりアルトゥールはその上を行くもんで、突きを繰り出した剣をそのまま振り下ろした。

だが奴はその姿勢のまま武器で剣を弾いてから、こちらに向かって何かを投げた。

鋭い針のような物が飛んできた、と思うと、そのまま俺の首筋をかすめて飛んで行った。

そして奴は何事もなかったかのようにまた闘い始めた。あああ!危ねええ!死ぬかと思ったああ!

今まで余裕がなくて気づかなかったが、あいつは相当なやり手だろうな。だって、アルトゥールは町の剣術大会で何回も優勝しているんだ。つまりあのフード男は、この中々の規模の町で一番の強者と互角にやり合っているという事になる。ただ者じゃない。

そもそも、何のために奇襲を仕掛けてきたのかは明確だろう。この街の生き残りを抹消するために違いない。それ以外に目的はなかろう。

だが、何故だ?

金属がかち合う音が夜闇に響く。

闘いはほぼ互角に運んでいる。実力も互角に近いだろう。両者ともに擦り傷や切り傷が目立ち始めたが、気にする余裕はないのだろう。

だがアルトゥールは先刻せんこくからの異常事態や怪我もあってか、かなり疲れが見えてきた。

それでもアルトゥールが度々黒フード男の正体や目的について短く質問をするが、相手は無視を決め込んでいる。

それにしても、この体格差は見事なもんだ。アルトゥールがデカすぎて(あいつは町の中でも身長はくそ高かったし、骨格も最高にがっちりしている)、相手が少し小柄なだけでまるで親子がチャンバラをしているような錯覚を起こす。

だが、相手の小ささと二つの短剣の滑らかな蝶が羽ばたくような剣技は、まるで鬼人が優雅に舞っているような、そんな異質なものを感じさせる。

闘いは長引き、流石に相手の舞いも疲れを見せている。

そして俺はちゃんとこの間にも健気に、石をちぎっては投げ、ちぎっては...ん、ちょっとニュアンスが違うか?

あ、そうそう、石を拾っては投げ、拾っては投げている。でも5発に4発は当たらないんだ。悲しいだろ?

そう思いながら投げた石が、黒フード男の右手にクリティカルヒットし、奴の短剣は宙を舞って飛んで行った。

アルトゥールはそれを確認するや否や、奴の頭を思い切り剣の柄で殴った。奴はもう一つの短剣も取り落とし、頭を抱えて崩れ落ちた。気絶したらしい。

なんだ、殺さないのか。アルトゥール君は優しいのなぁ~。そんな雑念を浮かべていると、もうアルトゥールは、幾多いくたもの新しい傷と鎧のへこみをたずさえて納刀していた。

アルトゥールは鉄仮面を押し上げて、ふぅ、と小さく息を吐く。額に玉の汗がびっしりと浮かび上がっている。

ただでさえ運動をして暑いのに、あいつはアーマーを着こんでいるからたまらないだろう。

でも、あいつが勤務中にアーマーを脱いでいるのを俺は見た事がない。現に、意地でも脱がないという話を聞いた事がある。

俺は安心した雰囲気の余韻を残したまま言った。

「あ、ありがとうな。まもってくれて。流石、近衛兵長さんは格が違いますねえ!」

「お、おう。おい、リチャード、森からツタを三束くらい採ってきてくれ。あれだよ、どうせお前授業でやったやつ覚えてんだろ?スパインかグラナイトとかのツタが生えてるんじゃないか?」

ちぇーっ、雑用かよ。

「おっけ、わかった」

俺はアルトゥールから奴が装備していたうちの一つの短剣を受け取り、森林の中へ足を踏み入れ、ツタを探しに行った。

この短剣はかなり握り心地がいい。作りこんであるのが分かる。更に、剣のどこにも装飾がない事が、逆に上品さを引き立てている。

森の中はというと、半分程の木々や草が焼けて、黒くなっている。これは酷い。かの襲撃が放った炎は、木の幹までもいとも簡単に焼き尽くしている。

そう、この町の周辺には森林が広がっていて、色々な植物が生えてるんだ。

中でも実用性が高いのが、かたくて耐火性も高いスパインやグラナイトなどのツタだ。

多分この町の殆どのみんなは見たら分かったと思うよ。

ほら、あったあった。やっぱり耐火性に優れているから、こいつらはちゃんと焼け残ってるんだ。此処ら辺はグラナイトが多そうだな。

俺はこういう時の責任感だけは強いんでな、俺は素早く刈り取って(え待って、この短剣めっちゃ切れ味いい)、脇腹を押さえながら駆け足で戻っていった。

アルトゥールは手で汗を拭いながら待っていた。

あいつは俺からグラナイトと短剣を受け取ると、慣れた手つきで加工し始めた。ザクッ。シャッシャッ。ギュッ。そして同じく慣れた手つきで、加工したグラナイトを黒フードの男に縛り付けた。

あいつに縛られると本当にびっくりするほど抜けられないんだぜ。

よく見てみると、奴は全身ピッチピチで真っ黒の服を着ている。

アルトゥールがこいつのフードを外すと、奴の間抜けにのびた顔が見えた。人って本当に気絶するんだな。

こいつも本当に傷が多い。血が垂れる程の傷も数か所はありそうだ。

肌は驚くほど白くて、微かにあどけなさを残した色っぽい薄いピンクが混ざっている。それも相まってかなり若い印象を受ける。下手したら俺より年下なんじゃないか?

更に、かなりのサラサラヘアーの持ち主で、即座に俺の嫉妬の対象となった。

この時の俺の憎悪の発生速度と判断速度はアルトゥールの抜刀ばっとうにコンマ34秒の差をつけて勝つ自信があった。

「ふぅ、こいつには起きてから詳しく話を聴こう。さて、俺はこいつが何なのかよりもお前に言いたい事がある。」

そうそう、まずこいつが何なのかだよな...っていや、こいつの事気になるでしょ。

「え?こいつ―」

「いや、後でいい。」

「あ、そう」

アルトゥールが、さも重々しそうに口を開く。

「リチャード...お前さっき何を投げてたんだ?」

俺は拍子抜ひょうしぬけしてしまった。

なんだ、超絶くだらない質問じゃないか?そもそもお前は見えなかったのか?

「は?石だけど」

「うん、そうだよな...」

「急になんだよ?」

「いや、速度が尋常じゃなかったな、と思ってね」

一つ問いたい。速度の話をするんなら別に何を投げたのかは関係ないだろう?

「そうか?そりゃどうも。そりゃオーク共への莫大ばくだいな恨みをぶつけたからな。ははっ。てか、投げた物と速度は関係ないだろ?」

「いやまあそりゃそうなんだがな...然しあの投擲とうてきのお陰でこの男に勝てた。その腕を誇ってくれ。にしても、その速度はリチャードの筋力が生み出しているのか?それとも身体の使い方か?と思ってな。あ、そういえばそうだ、俺はリチャードと小さい頃から腕相撲うでずもうをしていただろ?それも最近は大体互角だった。こんな歳の差があるってのに。」

確かに、俺とアルトゥールは6歳差だ。

俺の前足の筋肉(生物学上、ヒトの腕は前足だ。そうだろ?)がまだ発達していない頃から遊びでやっていたんだけど、最初はあいつが手加減もしてくれて、俺はよく負けそうになると両手でやってもいたんだ。だって俺がまだ7歳のクソガキだった頃だぜ?言ってもアルトゥールも13歳のクソガキだけどな。あ、でも俺も4年前まで13歳か。

でも途中からプライドが出てきて、勇敢にも片手で挑んでたんだ。そうしているうちに、徐々に太刀打ちできるようになっていって、最近では勝てるようにもなっていたんだ。

あっちは常に鍛えてるのに、俺ときたら毎日ポケーっと過ごしているだけなもんだから、驚かれるのも無理はない。

なんでこんなに筋力が付いたかって?知らんよ。

「リチャードはかなりパワーがあるのかもな。」

「はぁ、なるほどね。」

「しかもだ!そうだ!お前はさっき、オーク共のアイアンパイクを持って行ったと言ってたな?あれは並大抵の兵士でも持ち上げすら出来ないことで有名なんだが..」

「へぇ〜、僕にそんな力があったなんてね!でもさ、力があっても何の武器も使えねーと意味ないんだよなー。いいよな、アルトゥールは剣を使えるんだから。」

「リチャード...弓とかいいんじゃないか?」

「は?弓?」

「石を投げる時さ、狙いが超正確だったじゃないか。」

いやいや、照れるって。嬉しいけどさ。

あっ、というか、こんな話をしている場合じゃないんじゃないか?うう、また頭が痛くなってきた。

「んー、はあ。なるほど?あのう、それよりも、今回の事について話さないか?」

「え?ああ、確かに。」

若干じゃっかん返事が鈍い。そりゃそうか。

俺はこんな意味の分からない状況になって、追われて、逃げて、沢山の血を見て、混乱して、また逃げて、天を仰いで、また逃げたんだ。

アルトゥールでさえも、爆発に巻き込まれ、一人、また一人と仲間を埋葬して帰ってきたのだろう。

自分も相当なダメージを負っているのにも拘わらず。

あー、なんかもうどうでもよくなってきちゃったかも。

俺が生き残ったところで何も変わりゃしないんだよ。俺に何ができる?俺は何故なぜ生き残ったんだ?

まあいい、あとは全部アルトゥールが何とかしてくれるさ。

「おい、聞いてるのか?」

アルトゥールがとびきり強く肩を叩いてくれたお陰で宇宙に飛ばした意識を戻す事ができた。くっそ思いっ切り叩いてくれるじゃねーか。おかげで助かったよコノヤロー!いてて。

「ああ、ごめん、なんて言ったんだ?」

「一旦状況を整理しないかと聴いたんだ。まず、町に大量のオークの群れが襲撃に来た。そして混乱した民は一斉に城に向かって逃げた。然し城はいつの間にかオーク共に制圧されており、城と町の外からはさちに遭い、全滅した。ここまで間違いはないな?」

「うん、多分合ってると思うよ。」

「ところで、アイアンパイクを持ったオークは何匹ほどいたんだ?」

何を言っているんだこいつは?全員持ってたに決まってんだろ。

「は?いや、みんな持ってたよ?」

一瞬でアルトゥールの顔が蒼くなる。

うーむ。この反応は、どうやら異常らしいな。

「いや待て待て、え?アイアンパイク...あれは群れの長が持っているかいないか、っていう代物だぞ?どうなっているんだ?おかしい、何故だ...」

アルトゥールは半分ひとごとのように、自分に言い聞かせるように何かをボソボソと言っている。

俺は、さっきからずっと気になっていた事を言うのは今だと思った。

「アルトゥール、もしかすると、この一連の襲撃は計画されたものなんじゃないか?」


「ええ?まさかぁ!そんな訳...」

アルトゥールの言葉が詰まる。というか気づいてなかったのかよ。アルトゥールは依然いぜん蒼い顔をしているが、かなり疑念の表情を浮かべている。

「うぅーむ。理由を聴かせてくれ」

俺は再び深呼吸をして話し始めた。

「まず、領主の護送部隊の爆撃事件と、町の襲撃事件が同時に起こっている。この時点でおかしいと思うんだ。」

アルトゥールは俯いて、頭を抱えている。俺は無理矢理続ける。

「次に、この町の防壁から火が起こった。そしてオーク共が外側から襲撃をしてきた。更に、風の影響で火が城の方へ煽られ、人々は城へ逃げざるを得なかった。だが城は既に占領されていた。そして、さっきお前が言ったように全滅した。こんな綺麗に全滅するなんて、明らかに計画されたものだとしか思えないだろ。」

アルトゥールは依然受け入れがたい様子だ。

「じゃあ、誰が計画したというんだ?」

「そう、そこなんだよ。僕は薄々人間が計画したんじゃないかと考えている。どこぞの悪いヤツとか―」

「おいおい、人間が計画したことを大人しくモンスター、ましてや無駄に自尊心の強いオークが実行すると思うか?」

ぐう。珍しくまともな事を言いやがる。あ!じゃあこれなら!

「国家規模の命令ならあり得るんじゃないか?だって!ほら、それなら襲撃に参加したオーク全員がアイアンパイクを持っていたことも説明出来る。」

少しの沈黙の後、アルトゥールが口を開く。

「まさか...?リオネル王がそんな事考えるなんて考えられるか?」

リオネルというのはアルディアの現在の王の名前だが、やっぱアルトゥールが冴えてるというのは取り消そう。

だって、その計画した国家がアルディアである必要なんてないだろう?

「違う。アルディアに限らないで、隣国とかなら、例えば―ヴァルハラディアとか」

ヴァルハラディアは、アルディアの東に接する国家で、25年前の悲劇でも混乱に乗じて攻め込んできたらしい。

その時ハトップは持ちこたえたのに、こんなにもあっさりと滅亡して良いのだろうか。

「ヴァルハラディアか...なるほど、可能性は十二分にあるが、そうだとしたら本当にこれはアルディアだけの問題ではなくなってくる。国際的な大問題だ。なあ、俺たちはぐにカリクローに行くべきじゃないか?さっきからずっと王に伝えるべきだとは思っていたんだが...」

説明しよう。カリクローとはアルディアの首都であり、最大の商業都市だ。

そして何と言ってもカリクローの最大の特徴は、どっしりと構える要塞サターンだ。

俺は本で読んだのと周りから聞いた事しかないから詳しくは分からないけど、要塞の中央には一つの都市が入るくらい大きい円形のドームがあり、更にその中央には巨大な塔が聳えている。それを囲むように、リングフォートレスという防衛設備が輪のようにそそり立っている。

リングフォートレスというのは、城の周囲にいくつかの小型の要塞を配置して、それらを橋やトンネルで繋いでいるものなんだ。そして見事にリング状の防衛ラインを形成する。

これで城へのアクセスが難しくなるんだが、更にそれを囲むように水堀が一番外側にある。

水は透き通っていて、堀は地の底まで深いって噂だ。敵の侵入を極限まで困難にするんだな。

そして城壁、フォートレスにまで上品に散りばめられた金と銀の装飾!本当に壮麗らしいんだ!ああ、男のロマンだよな!

そしてその中にリオネル王がいる。

まあ、つまりサターンがやられるとこの国はご臨終りんじゅうするって訳だ。

「それは僕も思ってた。アルトゥールは行くべきだよ。」

アルトゥールが怪訝けげんな顔をする。

「は?お前は?」

「いや、僕みたいな一般市民が偉大なる王様に謁見するなんてありえないだろ、近衛兵長さん」

「バカ、今そんなこと言ってる場合か!そもそもお前は俺が行ってる間どうしているつもりだ!アッ...」

アルトゥールが何で最後アッって言ったかって?知らないよ。あいつの新しい語尾なんじゃないか?アアッ?

少なくとも今あいつは俺に焦点が合っていない。ということは俺の後ろに何かあるんじゃないか?ざっとそうだな...あのフード男が起きたとか。

「お前!いつから聴いていた!」


アルトゥールがそう言った後、俺は期待を込めて後ろを振り返った。

すると案の定フード男が、少し赤みを帯びた眼を開けてこちらを睨むように凝視していた。よっしゃ!当たった!

「っしゃああああぁあ!!」

あれ、心の中でガッツポーズをしたつもりだったのに思いっ切り拳を振り上げてしまった。

二人の視線が集まる。しかもびっくりするほど二人とも引いちゃってんの。

全く、俺が当てたからってそんな驚くなよ。俺の勘が冴えてるのはいつものことだろ?

「とりあえず座ろうか、きみ。」

はい、すいませんでした。

俺はアルトゥールに言われて渋々しぶしぶ腰を下ろした。やっぱり疲れてんのかな、俺。

「いつから聴いていたんだ?」

再びアルトゥールが尋ねる。然し相手はやはり無視。

改めて見ると、いつの間にどうやったのか、フードを再び被っている。

おいおい、まだ一回もこいつの声を聞いてないぞ。

「質問を変えよう、お前の目的は何だ?」

何だい、なんてぇ幼稚な質問だよ。俺たちを殺しにきたに決まってんだろ。

すると、やっとフード男がやっと口を開いた。

「ハハハッ!こりゃ傑作だ!てめえ脳みそついてんのか?お前らを殺す他にあるってのか?」

ハハハ、中々口が達者たっしゃですな。仲良くなれそうだぜ。

俺がニヤニヤしている横で、アルトゥールは顔を真っ赤に染めて立ち上がった。

この状況で「とりあえず座ろうか、きみ」って言ったら絶対斬り捨てられるだろうな。

「言え!言わなければ―」

「金だよ」

「え?」

俺とアルトゥールの声がかぶる。

「依頼されて来た。今この町にいる奴は全員侵略者だとよ。その報酬がたっぷりっつう話だ。」

侵略者だあ?それで暗殺者に依頼すんのか?

「意味が分からん。俺たちはこの町の者だぞ?」

それもそうだ。俺たちは生き残りだぞ?こっちは侵略されたんだ。

フード男はやれやれという表情を浮かべている。

「はあ?お前、噓も大概にしろよ」

これは流石に俺も黙ってはいられないな。

「こいつは噓なんかついてない。僕たちは侵略されたんだ。」

「そうだ、俺たちはその生き残りだ。ほら見てみろよ。もうこの町は壊滅しているんだ。」

フード男は目を丸くして城の方を向いた。

「だがここにいる者は侵略者だと聞いた―」

「誰に聴いたんだ?誰の依頼だ?」

「言う訳ねえだろ。阿保あほか。」

アルトゥールだとらちが明かない。

そこで俺はアルトゥールを押し退け、今度は俺がこいつの相手を...できたらかっこよかったんだが、あいつみたいな筋肉バカが成す体幹を舐めていた。

押し退ける代わりに反発を喰らってよろめいてから、

「なら、どんな依頼なんだ?」

と問うた。

「なんだったかな...確か、この町はオークが暮らしてて、そこに今夜人間の軍が侵略しにくる予定だから、この町周辺にいる人間を殲滅せんめつしろという依頼だった筈だ。」

明らかに間違いだ。こいつは依頼主に騙されたんじゃないか?

「それはおかしいだろ?オークに町を作るような知能があると思うか?それに例えオークが住んでるイカれた町を人間の軍隊が襲撃するという計画だったとして、なんでお前みたいな暗殺者に軍の殲滅を依頼するんだ?」

「んなこと知らんわ。言っただろ、俺は金を貰ったから実行してる。あと、俺の腕を舐めてもらっちゃ困る。一軍隊も殲滅できないと思っているのか?」

「でも、その依頼が間違っているのは事実だろ?」

フード男は難しい顔をする。多分考えるのが好きじゃないんだろうな。俺によく似てる。

「ちっ、好きにしろ」

「じゃあ僕たちを見逃してくれるか?」

アルトゥールがすかさず俺に耳打ちする。

「バカ!こいつが聴く訳ないだろ!」

いや、僕は見逃してくれると踏んでるね、なんか俺とこいつは似てるというか、気が合う気がするんだ。

「いいんじゃね?」

奴が答える。俺はニヤッと笑う。今日冴えてるんじゃないか?

一方でアルトゥールは口をあんぐりと開けて、フード男と俺を交互に見ている。

ああ、愉快愉快。ほんとに気が合いそうだな。

「多分お前らの言っていることは正しい。依頼主がくれた情報が間違っているんだ、いくら金を積まれたって俺は間違った事はしない。」

言ってる事はかなり飛躍しているけど、大体言いたい事は分かった。案外話が通じるみたいだな。

ってことはだ、俺たちを信用してくれたって事だ。じゃあこの質問も今なら—

「見逃してくれるのはありがたいんだが、そもそもお前は何なんだ?」

うわくっそ!アルトゥールのヤツおいしいところ持っていきやがった!!

「...はあ、この際もう言っていいか。俺は国の裏で働いてるんだ。この世の腐り切った奴らを、こっそりとぶっ殺す仕事。」

なるほど、じゃあやっぱり暗殺者ってとこか?

「じゃあ国直属の暗殺者ってことか?」

さっきからこいつはホントにさあ。チクショーーー!

「ん、まあそういう認識でいいんじゃないか?」

む?なんでそこをにごすんだ?

そう思っていると、フード男はフードを邪魔そうに後ろに捲り上げ、相変わらずのサラサラヘアーがあらわになった。ああ嫉妬、嫉妬。

ん、待て、フードというチャームポイントがなくなったらこいつは何と呼べばいいんだ?サラサラ男?髪男?

ってあれ!?束縛が解けている!?いつの間に!?

更にあいつは腰から短剣を取り出し、ものの一瞬で足の束縛も全て解いてしまった。

そして立ち上がって言う。

「そろそろお暇してもいいか?俺はもうここに用はない。ああ、それとアーマーを着たアルトゥールクンだっけか、中々だな。俺の奇襲がばれたのは初めてだ。その腕なら一兵卒はとっくだろ。兵長くらいか?」

そう言った途端に奴は上に跳んだ。と思ったら消えた。森の中からかすかに音がして、そのまま音は奥へと消えていった。


俺とアルトゥールは立ちすくんでいた。二人とも考えてる事は同じだろうし、呆気あっけにとられる対象も同じだろう。そこで試しに口を開いてみる。

「なあ、あいつ、かなり強いよな?素人にも分かったよ」

返事がない。少し心配になってアルトゥールを見ると、フード男が消えていった方を呆然ぼうぜんと眺めている。

それもそうだ、自分の誇りとも言える強さの殆どを否定されたんだ。階級という名の冷酷なものさしの上で。

なあ、アルトゥールよ、お前は―

「お前はあいつの腕前をどう見た?」

アルトゥールがそっけなく投げかけた。

これは思ったよりも相当ショックを受けている。ここで下手な答えをすればあいつの中の何かが切れてしまう気がした。

慎重に言葉を選ばなければ、と本能的に思った。

「えっと、闘い自体はほぼ互角だったけど、実力はアルトゥールより少し劣るくらいかな?お前はそもそも、あいつと闘う前から疲れてた訳だし。」

アルトゥールが俯く。俺の回答は正しかったのか?

「なるほど。そう見たか...」

アルトゥールが呟く。

俺は少し黙って様子を見る事にした。アルトゥールは、俺が口を開かないのを確認してからこちらを向いて言った。

「なあ、あいつは暗殺業を営んでいるんだぜ。なんでずっと暗殺技術を磨いてきた奴が、剣術に心血を注いできた奴と互角に闘っているんだ?」

俺はハッとして、鳥肌が立った。確かにそうだ。

いくらアルトゥールの疲労が悪さをしていたって、相手は暗殺者だ。

直後、俺の頭に二つの仮説が浮かんだ。一つは、あのフード男がべらぼうに強いという説。

もう一つは、あんまり考えたくはないが...アルトゥールが、弱いという説。

それをアルトゥールも一番恐れているんだろう。

俺だって、そんな説が仮に事実だったとしても受け容れたくない。というか聞きたくもない。

俺だってあいつのここまでの努力は分かっているつもりだ。

既にアルトゥールはショックのあまり泣きそうな表情を浮かべている。

この時のアルトゥールの真っ直ぐな瞳は、この屈辱的な気持ちをどう整理すればいいんだ?と訴えているようだった。

多分俺はこの表情を忘れる事はないだろう。そんな気がした。

「でもさ、あれじゃん、あの男の奇襲に気づいたのは凄いことじゃない?それこそあっちの専門分野だぜ?」

アルトゥールはため息をついた。まずい、何か気にさわる事言ったか?めっちゃいいフォローだと思ったのに。

「あいつは...最初手を抜いてたよ。」

「へ?」

「殺気が丸出しだったんだよ。俺たち戦士にとっては、あれは『気づいてください』と言わんばかりの激しい殺気だ。暗殺者は愚か、剣士でさえもあの殺気は出さないと思う。」

うっひゃ、そんな事が分かるのか。俺の知らないところでそんな事に気づいてたんだなあ。

アルトゥールは、フード男が簡単にに抜けてしまった縄を拾い上げ、それを見ながら呟いた。

「何者なんだろうな、あいつ。」

するといきなり、あらん限りの大音声だいおんじょう

「クソッ!」

と短く叫んだ。

俺はあいつとかなり距離をとっていたはずなのに音が割れた。すっかり日が落ちた夜空に響く。

気持ちは分かるけど、どんだけでかい声出るんだよ。モンスターどもに気づかれたらどうすんだ。

を置いてから、アルトゥールは北を指差して言った。

「行くぞ、カリクローに」

うん、いや、今回は俺も行くという事に対して待ったはないんだが...

「...此処はどうするんだ?ハトップは」

アルトゥールはさも意外だという顔をしている。

「え?ああ、さっきからこんなに騒いでんのに誰一人来ないということは、本当に生き残りは俺たちだけのようだからな。」

そうだよ。分かっているじゃないか。

「そう、此処に人がいなくなるんだぜ?僕たちの故郷に」

俺はそれが怖い。

自分たちの故郷がすさんでいって、何も残らなくなるのが。

「今は行くしかないだろう。」

なんで?俺たちの故郷に誇りはないのかよ。

俺たちが離れたら、ハトップは本当に滅びてしまう。分からないのか?

「でも―」

「でももクソもない。あまり言いたくはないが、今は一刻を争うんだ。」

いやうん、まあそうなんだよ、そうなんだけどさあ。

「...わかったよ。じゃあ!せめて城に物資を揃えに―」

「城を襲撃してきたオーク共が消えているという保証はどこにある?それに折角せっかく城を落としたのに帰るバカがいるか?そのまま占拠して自分のものにしようとするだろ。」

嗚呼ああ、グゥの音も出ない。けど、けど...もっと、ハトップに居たいんだ。もっと、故郷に。離れるのなんて、嫌だ。

「確かに城は危ないかも知れない!でも、でも、もっと此処に居たいとは思わないの?」

アルトゥールの堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れた。俺は頭上から怒鳴りつけられる。

「馬鹿野郎!!何度言ったら分かる!此処はもう直にモンスターの巣になるだろう。この異常事態を、すなわち王国の危機を!一刻も早く王に報告しなければならんのが分からんのか!?」

アルトゥールが付け加える。

「これだからお前はいくつになってもガキだと言われるんだよ」

は?なんだよ、それ。

「は?ふざけんなよ、おい、自分の故郷を護りたいという思いの何がガキだ!?故郷を愛することの何がガキだ!?教えてくれよ!!ふざけんじゃねえ、お前は町のことを何とも思ってなんかないからそんなことが言えるんだ、ああそうだよ、町のみんなが殺されたのだってお前は見てないんだからな!お前がご丁寧にお仲間を埋葬している間だったもんな!!」

カチンときたと思うと俺の舌は知らない間に回り、言わなくてもいい事まで言った。アルトゥールが傷つくに決まっている事を。ああ、これじゃこいつと同じじゃないか。

「ああ!くそ!いい加減にしろ!俺がこの町を愛していない訳がないだろう!なあ!何のためにこの仕事をしてると思ってんだ!毎日飄々ひょうひょうと過ごしているお前には分からんだろうな!他でもないハトップのためだ!少しは考えてものを言え!」

普段は落ち着いているアルトゥールの声は興奮を極め、所々が裏返っている。俺は口の中のの全ての力を込めて舌打ちをしてから、

「てめえこそいい加減にしろ!くそったれ!その飄々と過ごしている人間より成績が悪い奴がいるけどな!!」

と叫んだ。

もう何を言えばいいのか分からなくなって、悪口しか出てこない。

アルトゥールは急に冷めたような口調で言葉を発した。

「悲しいな、お前は。困ったら人のあら探ししかできない。だからガキだと言っているんだ。」

ブルッと寒気がした。余りにもいきなりテンションの差がついたアルトゥールに、俺は言葉が返せなくなって俯いてしまった。

「ほら、出発だ。お前が騒ぐからとっくに気づかれている。」

振り返ると、城からオークが10匹程出てきてこちらを確認している。

城の設備から奪ったのだろう、殆どのオークがハトップのアーマーを着込んでいる(かなりキツそうだが)。

俺はもうどうすればいいのか、最早もはやどうしたいのかも分からなくなってしまった。

アルトゥールは見兼みかねて、俺の手を引いて駆け足で森の奥に入っていく。

やっぱり城は奴らに占領されていたんだ。

毎日見飽きたけど、もう暫く見る事はないであろう城だ。いや、そもそも戻ってくるかも分からないのだ。これで見納めかも知れない。

そう思い、俺は振り返った。

依然容赦ようしゃなく燃え盛る業火ごうかの奥に、哀しげにそびえる城。ひたすら遠ざかってゆく。

小さくなっていく俺の故郷は、ついに木々に囲まれて見えなくなった。





(宿命の灼熱 終)




用語解説


国名、地名

・アルディア

世界の中でもかなりの規模を持つ大国。海を持ち、首都のカリクローが有名。ハトップもここに含まれる。国の中では、「アルディア英雄たん」が一般教養的に知られており、童話として親しまれている。

・ヴァルハラディア

アルディアの隣国で、領土はアルディアよりかなり小さい。軍事力に力を入れている。昔からアルディアと敵対しており、たまに戦争をする。25年前の悲劇では混乱に乗じて攻め込んできた。領土の殆どが湿地のため、兵装も文化もアルディアとは異なる。

・ハトップ

アルディア屈指の商業地域。アルトゥールとリチャードの生まれであり、故郷である。

・カリクロー

アルディア最大の商業都市にして、絶対的な首都。海の上にそそり立つ要塞サターンがとても印象的で、リオネル王やその他重要な貴族たちを格納している。


装備品

・パイク

槍。厳密には歩兵が使うもの。馬上戦で扱うものはランスと呼ばれる。なので基本的にパイクは短く、ランスは長いという傾向がある。また、ショートパイク、ミドルパイクなどの長さを呼び方の差で区別することもある。槍を包括して呼ぶ言葉として、スピアがある。

・アイアンパイク(アイアンランス)

包括的な名称だが、一般的にはオークが持っている長槍を指す。重量があり、並みの者は持ち上げることすら困難。だがその分、攻撃力は高い。先端に限り斬撃も出来るようになっている。

・フルプレートアーマー

全身を覆う金属製の鎧。防御力は向上するが、移動の際に音が出るので、隠密行動には向いていない。

・鉄仮面

兜に付属品として付いている、顔を守る面。ハトップの兜には付いており、上下に動かす事で着脱が可能だが、地域ごとに着脱方法及び鉄仮面の有無も異なる。

・素材

スパイン、グラナイト

とても堅いツタ植物であり、縄として使われることがしばしばある。耐火性に富んでいる。主に湿潤の地に生息し、樹木などに絡みついている。

・コルバーン

色は黒に近い。ハトップ周辺でも採れる鉱物であり、貿易にも用いられる。


魔物

・オーク

二足歩行をするモンスター。豚の顔を持っており、野蛮でプライドが高い。普段は群れを作らず、単体で行動する。大型で、並の人間よりは身長が高く、個体によってはかなりふくよかである。群れのおさ級の者がアイアンパイクを所持している場合がある。


その他

・サターン

カリクローにどっしりと構える巨大な要塞。様々な防衛設備に富んでおり、アルディアの技術の結晶が詰まっている。

・リングフォートレス

サターンの防衛設備の一つ。城を囲むように輪のようにそそり立っている。城の周囲にいくつかの小型の要塞を配置し、それらを橋やトンネルで繋いでおり、リング状の防衛ラインを形成、城へのアクセスを困難にする。金や銀の装飾が繊細に施されている。

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カイザー @Richard_Windermere

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