第7話 アリーシャ知己を得る
私が名乗った直後、アナベルはあからさまな殺意をむけた。右手をなおしたばかりの剣の柄にかける。左半身をひき、抜刀の構えをとる。
あら、ひどいわね。助けたばかりなのに殺意を向けるなんて。
先ほどの戦いで彼女らの力量はおおよそ把握できている。三百を数えきる前に制圧できるだろう。アナベルとアルメンドラの命の保証をしなければ百を数える前にかたをつけることができる。
それはきっとアナベルも理解しているはずだ。なのに彼女は私に殺意を向けている。
何かしらの理由があると見ていいだろう。
私はそっと足を運び、カールの前に立つ。彼には毛ほどの傷をつけるわけにはいかない。
カールをこの旅に連れ出したのは私だからだ。
「やめなさいアナベル」
右手でアナベルを制するのはアルメンドラであった。
「だけど姉さん……」
「それでもです。私たちではこの人に敵いません」
はっきりとアルメンドラは言う。
不本意な顔をして、アナベルは右手を剣から離す。だが、その瞳にはまだまだ殺気が残っている。
私、どうしてこんなに嫌われるのかしら。
「私たちの窮地を救っていただき、誠にありがとうございます」
耳に心地よい高音が聞こえる。
馬車から誰かが降りてくる。
その人物は黒髪の美少女であった。小柄でほっそりとしている。赤を基調としたワンピースに身をつつんでいる。
私はこの大きな瞳をした少女のことを知っている。
アリス・カーラグ男爵令嬢その人だ。
シオン王子を寝取った相手だ。
おっと思わず口に出してしまうところだったたわ。寝取るなんてはしたない言い方だわ。それにアリスとシオン王子はそういうことはまだしていないかも知れないしね。
まあでもこの女が婚約破棄の一因になったことには間違いないわ。
そのアリスは私の顔を見て、ただでさえ大きなアーモンド型の瞳を見開いている。
「あ、アリーシャ様……」
両手でアリスは口を押さえている。
「アリーシャ、この方は?」
カールがそう私に訊く。
「彼女はアリス・カーラグ男爵令嬢よ」
私は端的にそう答える。
カールはあっとだけ言う。
まあ良く考えたら彼女がいたから私は婚約破棄され、こうして幼馴染のカールと旅に出られたのだから、それはそれで良いのかもね。
「ここではなんですから馬車の中でお話しませんか」
私はアリスの提案を受け、彼女と共に馬車の中に入る。そこは私にはとても狭く、アリスにはそうでもなさそうな空間であった。
馬の鞍になれた私にはこの馬車内の長椅子もそれなりに座り心地は良い。
「すいません、助けていただいたのになんのおもてなしもできなくて」
ぺこりとアリスは頭を下げる。
まったくアリスという少女は庇護欲をかりたてる存在だ。それは私にはないものだ。
なるほどねシオン王子が惹かれたわけだ。
しかし、ならどうしてアリスはこんな所にいるのだろうか。
「舞踏会が中断され、その後、私にも国王様から命が下されたのです。領地に戻り、許可があるまで王都には戻ることはないようにと……」
アリスはうつむき、私にそう告げた。
あらあらシオン王子に想われたせいで彼女それなりの目にあったのね。不思議とアリスにはざまあみろという気にはなれなかった。可哀想にという気持ちが芽生えていた。たぶんだけど私にはカールという支えになる人物がいたからだと思う。
アリスもまたシオン王子の自分勝手な行動の被害者だとも言える。
シオン王子被害者の会でも作ろうかしら。
「それで私はアルメンドラさんたちを雇い、領地に帰るところだったのです」
アリスはそう話を続ける。
身分はそれほど高くはないとはいえ、貴族の護衛に女二人は少な過ぎないかしら。
「シオン王子は護衛を増やそうとしましたが、誰も手を上げてはくれませんでした」
なのでアリスの父親カーラグ男爵は冒険者ギルドに依頼を出し、アルメンドラらを護衛として雇ったのだという。
アリスの話を聞いたアナベルは私をアリスの敵だと思ったのだろう。
アリスに護衛をつけなくしたのは、我がハウゼンベルグ家だと推測したのだろう。
私、そんな姑息なことをしないですわ。
正々堂々と正面から打ち破ることこそ、闘争の醍醐味なのですわ。それこそがもっとも楽しいことなのでですからね。私、後ろからこそこそと策謀を巡らすなんて疲れるだけですし、第一楽しくないですわ。
「アリーシャ様、命を助けていただきありがとうございます」
アリスは膝の上で両手をかさね、深々と頭を下げた。
カーラグ男爵家の領地はヴァルカナ自由都市連邦との国境近くにある。
ということは私たちと目的地は重なるわけだ。
「なら私たちと行動を共にしませんこと」
私の言葉を聞き、アリスは大きな瞳をさらに見開く。次にやわらかな笑みを浮かべる。
こういう笑顔に殿方は弱いのだろう。そう思わせるほど美しく、かわいらしい笑みであった。
女の私も少しだけどきりとするぐらいだからね。
「ええ、ぜひにお願いします」
アリスはその小さく白い手で私の手を握った。
アリスの手は柔らかく、温かく、とても心地よいものだった。
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