第22話 epilogue1-snowdrop
12月初旬。期末テストも終了し、あとは冬休みまでの残りの授業を消化する日々となっている。学内では早くもクリスマスの過ごし方で話し合うクラスメイトが大勢いて、特に男子連中は女子との甘いクリスマスに思いを馳せているようだ。
「あちっ」
そんな中、甘いクリスマスとは無縁の俺がいるのは清臨高校から10駅離れた閑静住宅地にある広大な霊園。
時刻は五時頃過ぎ、授業を終えた俺は夕方の寒空の下、野外ベンチで腰をかけていた。学生服の上から紺のコートを羽織り、手には温かい缶コーヒー。いつもならブラックなのだが今日は微糖にしている。
「お待たせしました」
申し訳なさそうにやって来たのは清臨高校が誇る演劇部部長、最近は悪目立ちしてしまったが一月が経って疑いも晴れた朝宮優である。
俺たちはお互いに学生服にコートという同じような格好でこの墓地に来ていた。ちなみに朝宮のコートは黒である。
「挨拶はもういいのか?」
「はい、滞りなく。日比野君も手を合わせてくれてありがとうございます」
「他所の俺が、朝宮の親父さんに手を合わせるのもおかしな話だけどな」
「父も喜んでますよ、きっと」
簡素な報告をする朝宮は、自然とした足取りで俺の隣のスペースに静かに腰を下ろす。
「座っても良いとは言ってないぞ」
「座るな、とも言われてません。それにこのベンチは公共物ですから私が座っても関係はないはずです」
朝宮の態度は何処か刺々しかった。それはあの一件以来ずっとで、今日ここに来る途中もずっと嫌味をまき散らして来ていた。しかしこの場所に近付くにつれて朝宮の口数は減り、今は言い返しているがさっきまでは暗い表情をしたままの生返事しかなかった。
「改めて、今日は付き合ってくれてありがとうございました」
笑顔を見せる朝宮だがやはり気持ちまでは割り切れていないのか、どこか無理をしているようにも見える。
「一年もかかったんですここに来るのに。こうして自然と拝むことができるようになったのもかなり後ですし。あの日もこうしてお墓参りに来ていたんですが、迂闊でしたね。その後に風邪を引くことになるなんて」
朝宮が言っているのは風俗街で鈴子が俺に見つかった日のことだ。その日、朝宮にとって大事な日があったのだ。
「親父さんは持病、だったのか」
朝宮は無言のまま頷く。
「もともと心臓の弱い人で、発作もたまにあったんです。私が成人するまでは長生きしてやるって言ってたんですけど、高校に上がる前に……」
朝宮の話を聞きながら俺はあることを思い出していた。
初めて朝宮の家に上がらせてもらった時、部屋の中でわずかにお香の匂いがした。しかも朝宮の自室に通された際、廊下から少し見えた綺麗な仏壇。最初、俺は朝宮の祖父母かご先祖のものかと思ったが、その読みは晴陽さんとの出会いで否定された。
「仕事柄いつもは毅然としている母も、父の命日には目を腫らすんです。大好きだったんです。母も、私も、父のことが」
初めて晴陽さんの笑顔を見た時、どこか自分の母親と重なって見えた。
それは最愛の人と永遠に会えないとわかって、でもそんな悲しみを他人に見られまいとする強がりの笑顔。
朝宮だけでは核心は持てなかったが、晴陽さんの悲しみを他者に見せまいとする強気な笑顔がダメ押しになった。
「親父さんの墓参りに行ってたならそう言えば良いだろうに。なんで黙ってたんだ? それならもっと早い段階で誤解も解けてた」
「……笑わないですか?」
「お前の親父さんの話でもあるんだ。笑うかよ」
寒風が俺たちを撫で、そんな中意を決するように、朝宮は俺に告げる。
「部活の皆には常に演劇や演技を優先するように言っている私が、プライベートを優先させたことを少しだけ後ろめたく思ったんです」
あまりに納得のいかない理由に俺は「は?」と答えてしまった。
「しょうがないじゃないですか! 父の命日がゲネプロと被ってたことを知ったのが前日だったんです! 私だって断腸の思いでした。本当なら何を置いてもゲネプロを優先させるべきでした。でも父の命日だけは」
「……ゲネプロ優先されてたら親父さん泣いてたと思うぞ」
「いえ、父はおそらくゲネプロを優先させろと言っていたと思います」
どうやら今の朝宮を作り上げた要因は彼女の父親の影響が相当大きいようだ。さすが演劇バカ。親子揃って大バカである。
「今回の公演は前回学内で行った舞台の再演だったので、内容は全部頭に入っていました。だから今回のゲネプロ参加を見送って当日の演技に集中すれば良いと思っていたんです。ゲネプロの不参加はゲネプロ当日になってしまいましたが、講師には連絡した後、部活の皆にも連絡して不都合の内容にしたんですが」
「お前は風邪引いたと」
俯きながら朝宮は小さく頷く。
「講師の人には墓参りで休むって言ったのか?」
「わざわざ外から来てくださっているんです。説明はしっかりしないと」
「なら部活の連中にも言うべきだったな」
「……はい」
「百歩譲って部活の連中に言わなかったとしても、学校だけでも墓参り行ってたことは言うべきだった」
「……面目次第もございません」
土下座しかねないくらい頭を垂れ下げ落ち込む朝宮に俺はさらに尋ねる。
「なんで学校には言わなかったんだ、墓参りに行って風邪引いたって?」
「学校に電話をした時に聞かれたんです『朝宮、お前は昨日の夜何をしていた?』って。内容を聞くと私が、援助交際をしていると噂されていると聞いて」
朝宮の言い方から察するに、学校側も朝宮を多かれ少なかれ疑っていたのだろう。証拠がない分、真実と噓が混在するのは仕方がない。だが一番に生徒を信じなきゃならない大人が、微量でも信じていないと気取られることは避けなければならない。
でなければ子どもは大人の前で何も話せなくなってしまう。真実も嘘も。
「すみません。こんなこと言い訳にしかなりませんが、あの時私は何を言っても信じてもらえないと思い込んでいたんです。例え本当のことを話しても。だからあなたにも失礼な言い方をしてしまったんです。せっかくお見舞いまでしてくれたのに」
朝宮の気持ちは理解できた。俺にも覚えがある。だからそれ以上彼女を責めるつもりも問い詰めるつもりもなかった。
「熱っ! 何するんですか!」
どんどん暗くなっていく朝宮を見かねて俺はもう一本買っていたミルクティーを彼女の頬に当てた。もちろんホットだ。
「花巻。あの一件以来どうなったと思う?」
「ここでその話をしますか?」
「じゃあ止めとくか?」
俺の嫌がらせに文句を言おうとしたが、朝宮にとって関係のある話でもあったので「教えてください」とため息交じりに訊いてきた。
「とりあえず、あいつがしてきたことを教師と両親に話した。包み隠さず全部だ」
苦虫を噛み潰したような表情で俺の話を聞く朝宮。彼女のことだ。自分のことではないのに自分のことのように心を痛めているのだと知って気まずくなったが、その気を振り払って話を続ける。
「ただ、全校生徒には言わないでくれと頼み込んだ。あいつのしたことは決して許されることじゃないけど、それでもこの事実を学校中に流すのだけは止めてくれと」
「花巻さんが今回の件で非難されないようにするため、ですね」
朝宮の読みに俺はそのまま頷く。
「二度と今回みたいな真似はさせないと両親にも教師たちの前でも頭を下げた。これで向こうが納得したとは思ってないけどそこからはあいつの」
そんな話の途中で朝宮は「ちょっと待ってください」と中断させる。
「まさか花巻さんが謝ってる間、日比野君も一緒に同席していたんですか?」
「ああ。そうだ」
当然だろ、と付け足したいくらいに俺は朝宮に言い放つ。
「個人的な意見ですけど、日比野君がそこまで付き合う理由はなかったと思います。厳しい言い方になりますが、今回の一件は花巻さん一人が起こしたものなんですから」
朝宮が気にかけているのは鈴子の責任の所在だろう。問題の発生からその尻拭いまでするのは鈴子のすべきことで、俺が付き合うことはないと言いたいのだ。
「違う。そうじゃないんだ。これは俺がしたくてしたことなんだよ」
「どういう意味ですか?」
俺があいつにここまでする理由。その説明をしようとする俺自身が一番疑問に思っていた。何故俺は朝宮にそんな話をしようとしてるのかと。
「あいつは、花巻は俺の恩人なんだ」
だがそんな疑問は口から出た言の葉に遮られ、どうでもよくなった。
「母親と色々あった後、俺は児童養護施設に放り込まれた」
「放り込まれたって」
「誰も俺を受け入れてくれる親族がいなかったんだ。考えてもみろ。親族とはいえ見ず知らずの子どもを育てたいと名乗り出る酔狂な人間がいると思うか?」
「そ、それは」
朝宮は言い渋ったが、実際の答えはノーだったし親族たちは俺という存在を持て余していた。
「挙句の果てには、あの時に死んでくれれば良かったのにって言われていたくらいだ」
「酷過ぎます! そんなのあんまりです! 日比野君はそんな言葉を言われるために生まれた訳じゃないのに!」
「落ち着け。もう終わったことだ」
「過去のことで済まして良い話じゃありません! それにあなたもあなたです。どうしてそんなに他人事みたいに言えるんですか!」
朝宮の意見も納得だ。俺のことなのに俺は自身の過去をまるで他人の昔話のように淡々と話している。
「俺が他人事みたいに言えるのは、それこそが花巻のおかげなんだよ」
今思い出しても、俺と鈴子の出会いはおかしな話だと少し笑いそうになる。
「当時の俺は自分以外の何者も信じられなかった。近付く人間はみんな俺を攻撃してくるんだって思い込んでた。だから周りの全てを拒絶して近付かせなかった」
今だからあの頃の俺は擦れてたな、などと感想じみたことを言えるが、その危うさはいつ消えてもおかしくないろうそくの火のような脆く儚いものだった。
「けどそんな俺に近付いてきたバカがいたんだよ。今のお前みたいに」
「それが、花巻さん……」
「おかしいのがさ、あいつ施設の子どもでもないのに、近くに住んでたってだけで初対面の俺に手を差し出して『友だちになろう』って言いだしたんだ。施設にいたババアとは縁があったらしくてさ。あぁ、ババアっていうのは俺の育ての親みたいなやつだ」
何の躊躇いもなく、屈託のない笑顔を向ける鈴子の表情は今でも忘れられない。あの頃からあいつはとにかく走り回っていた。
「施設の何人かのやつらと友だちだったこともあって、花巻は毎日施設に来てな。無理やり外に連れ出すし、本読んでてもその本を叩き落として」
「……なるほど」
「しかもどの遊びも足を使った遊びばかりだった。鬼ごっこシリーズばかりでさ」
「……ふうん」
「その頃からだな。あいつの走る姿がかっこよく見えていたのは」
「あの、日比野君」
持っていた缶コーヒーが熱を失っていたことに気付いたのは、怪訝そうな表情をした朝宮の顔を見た時。彼女は半眼で俺を睨むように問い質してきた。
「もしかしてですが、その走る姿うんぬんというのは本人に直接言ってたりします?」
「え、いや、どうだったか。何しろ子どもの頃だったからな」
直接本人に言ったかと聞かれたが、どれだけ考えても答えは出ない。言ったかもしれないし、言ってないかも。
「もし走る姿うんぬんを言ったなら、今回の騒動の発端は日比野君にあるってことになりますね」
「な、なんだよそれ。俺が何したってんだ」
「気付いてないのが余計に性質悪いです。これじゃあ花巻さん被害者じゃないですか。自覚のない善意は悪意と変わりないというのが今証明されましたね」
「だからもっとわかるように言えよ!」
朝宮の中で何かが納得できたようだが、俺は未だにわからないまま。しかもその中身に俺はとんでもない勘違いが含まれているような気がした。
「子どもの頃に言ったことがそのまま今に影響することってあるんですね。つまりそれだけ花巻さんも……」
「なんだ、言いかけて止めるなよ」
「独り言を勝手に盗み聞ぎしないでください!」
独り言にしては隣の俺にしっかり聞こえる声量だったのだが、朝宮は制裁と言わんばかりに渾身の右ストレートを俺の脇腹に炸裂させる。
「とにかく。心配せずともあれから花巻はしっかり反省して、二度とあんなバカなことはしないって言ってる。自宅謹慎も明日には解けるからまた明日からうるさくなるだろうさ」
「楽しみにしているくせに」
「そんなわけない」と言いそうになったが、言葉は出てこなかった。いや、出したくなかったといった方が正確か。
「そうだな。楽しみなのかもしれない」
「へ、へえ。それは花巻さんに会えるからですか?」
「休んでいる間の授業ノートをどんな形で頼んでくるのか、今から楽しみだ」
「サイテーですね」
悪い笑みを浮かべながら、俺は飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れる。
「そういえば朝宮、お前花巻と連絡先交換したとか言ってたよな」
「そうですけど、なんですか藪から棒に」
「いや、あれだけ面倒な騒ぎを起こされたのに、なんでそんな相手と連絡先交換したのかなって不思議に思っただけだよ」
肩まで落として落ち込んだ朝宮は深呼吸した後に告げる。
「強いて理由を言うなら、あなたですよ」
無関係ではないが、俺のことを指名してきたことは予想外だった。率直に「なんで俺?」と聞き返す。
「日比野君はここ数日ずっと走り回っていました。花巻さんのことだけを思って。あなた自身の傷はまだ癒えていないままなのに」
「大層な言い方をするな。俺はスーパーマンでもアイアンマンでもない」
「友だちを助けるために危ないことまでしておいてよく言いますよ。一歩間違えれば花巻さんと関係を持っていたその男性に返り討ちにされていたかもしれないのに」
鈴子にも言われたが、俺は危ないことをした自覚はない。鈴子を助けるためにどういった方法で原因に辿り着くか、そこだけを重要視していたからだ。
結果的に危ないと判断されても無事だったならそれで良いではないか、と俺は思っているので二人に怒られてもあまり認識がなかったりする。
「何故日比野君が花巻さんのためにそんなことができたのか知りたかったんです。それが花巻さんを想ってのことだったのか、それとも」
朝宮は俺に詰め寄り問い質す。どうやらこいつは大きな勘違いをしているようだ。
「さっきも言ったけどあいつをどうにかしたいと思ったのは、あいつに恩を感じてたからだ。それ以上の感情はない」
「あなたになくともあなた以外の人間はそう感じている、としたら?」
「仮にそうだとしてもお前に実害はないはずだ」
「少なくとも私は、困ります」
「何故?」
「今は、言えません」
何をそんなに気にしているのか。ただそこまで掘り返すのはこいつの内側に踏み込むことになる。そんな面倒なことを俺がするわけがない。
もしそうなったらそれこそ俺は彼女、朝宮優に別の感情を抱いた時だろう。ちなみにそんな日は永遠に来ないし、別の人間でも同じことだ。
「帰るか。やることもしたし」
話を無理やりに終わらせたが、朝宮自身も話し終えたのか俺の意見に賛同した。
「その前に、もう一つ確認を」
代わりに、立ち上がって朝宮は俺に言い放つ。
「私が『
言い放った割にはどうでもいい内容だったが、朝宮は顔を真っ赤にして俺の言葉を待つ。
「区分けしてるつもりはないが、あいつは幼馴染でお前は同級生だから」
「なら私を下の名前で言っても問題はないですよね?」
「それはなんだか問題な気が」
「問題なし。
さあ! と俺の答えを待つがそれは避けたい要求だった。こいつのことをどう呼ぼうが俺には関係のない話だが、それが公になるのは後々が怖い。
「寒い、今日は雪が降るとか言ってたような」
「忘れているなら私の下の名前は優です」
意地でも言わせる気だ。そして一回でも言えば未来永劫言わせ続けることは目に見えていた。
観念した俺は朝宮に向かってこう言った。
「朝宮は俺の下の名前、知ってるか?」
「はい。知ってます明君です。それがなんだというんですか? まさか今さら自己紹介などと」
「俺は朝宮のことを名前では呼ばない。けど俺の下の名前を呼んでもらって良い。それでチャラにしてくれ」
俺が提示したのは俺自身の名前を売り渡すというもの。これなら俺が言っている訳ではないので被害はゼロでないにしても朝宮が勝手に言っているとかわすことができる。
数秒間の熟考の末、朝宮は何事もなかったかのようにその場を離れた。
「ええと、朝宮?」
「何してるんですか明君。帰りますよ」
黒いコートを翻し満面の笑みを浮かべまいと、必死に嬉しそうな気持ちを抑えながら朝宮はそう告げた。その声に従い俺はゆっくりと腰を上げて歩き出す。
見上げた12月の夕暮れはすぐに夜の闇に呑まれそうになっていたが、それでも俺は確かに赤く光る夕焼けを見て、消え入りそうな夕日にこう語りかけられているように思えた。
私はここにいるよ、と。
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